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2017/04/28

東海道を走る その15(二川~赤坂)

2日目は、JRで豊橋から二川まで戻ってから再開である。いきなり火打坂というかなり急な登りが出迎えてくれるが、街道らしい風景はまったく残っていない。

国道1号に合流して暫く進むと豊橋の市街地に入る。旧吉田宿である。以前、中日豊橋マラソンで何度か来たことがあるが、こういう目的で再び来ることになるとは思わなかった。宿場の江戸方口に当たる東八町交差点に東惣門が復元されている。

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ここから、掛川でもあったような、わざと何度も曲がる城下町特有の道筋となる。掛川は「七曲がり」、ここ吉田は特に名前はないようだが実際に9回曲がり、今回の目的地の岡崎は実に「二十七曲がり」である。ただ、街道には「←東海道→」という大きな標識が設置されているので分かりやすい。

宿場を抜けると、やがて豊橋(とよばし)で豊川を渡る。

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かつては豊川を利用した水運が盛んだったようで、河岸には昔の船着場らしき跡が残っている。

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広重の「吉田」は、この橋(当時は吉田大橋)と、修理中の吉田城を鳥瞰するように描いている。

Yoshida

この構図に近い風景を求めて、豊橋市役所の13階展望ロビーに登ってみたが、左に見える橋は往時はなかった新しい吉田大橋で、城は高い木に隠れてほとんど見えない(赤丸内)。

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豊川を渡り、北西に伸びる県道をひたすら走ると、豊川放水路を渡ったところに「子だが橋」の跡がある。かつて、近くの菟足(うたり)神社の大祭の初日、最初にその橋を渡る女性を人身御供とする風習があり、ある時、それが里帰りした我が娘であったけれども、「子だが止むを得ん」と、生贄にしたことからその名がある。今の感覚からすればとても信じ難いが、人々の信仰心が篤かった往時にはあり得た話なのだろう。

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やがて一旦国道1号に合流したあと、名鉄国府(こう)駅付近で再び旧道に分岐すると、間もなく姫街道との分岐点の追分に至る。大きな道標は明治期のものである。

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やがて、御油(ごゆ)宿に入る。広重の「御油」は、旅人の首を締めるほど強引に引き止める留め女を描く。次の赤坂宿がすぐ近くなので必死なのだ。右手の旅籠からそれを見下ろす女中の呆れたような表情が面白い。ちなみに、その背後には「摺師平兵衛」など、広重の仕事仲間の名前が記されている。

Goyu

現在の御油の様子。何となく往時の風情を残している。

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宿場を出ると、国の天然記念物に指定されている見事な松並木がある。樹皮が亀甲状に割れるのが特徴の三河黒松とのことである。

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約600メートルの松並木を抜けると、そこがもう次の赤坂宿である。

4月27日 ジョグ10キロ

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コメント

お疲れさまでした。
この春、岡崎辺りへ行ってみようかと図書館で本を借りまくって
地図を用意してましたが、結局先送りとなりました。(^^; 
まだ行ってないわけですが、地図の復習?をしてる気分で拝見しました。

投稿: くー | 2017/04/29 13:14

くーさん
大阪人の私としては、狸親父の古里など
出来れば一気に通過したかったのですが、
行程の関係で宿泊せざるを得ませんでした。
でも、城の横を菅生川がゆったりと流れ、
意外にいい感じの町でしたよ。

投稿: まこてぃん | 2017/04/29 16:59

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