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2017/03/31

『シェルブールの雨傘』

Cherbourg1964年、仏。主演カトリーヌ・ドヌーヴ。音楽ミシェル・ルグラン。某映画祭の紹介文。

アルジェリア戦争ただ中のフランス。港町シェルブールの傘屋の娘ジュヌヴィエーヴ(C・ドヌーヴ)と工員の青年ギイ(N・カステルヌオーヴォ)は、将来を誓い合った恋人同士。だが、ギイに召集がかかり、別れを惜しみつつ戦場へ向かう。残されたジュヌヴィエーヴはギイの子を身籠っていた。しかし戦争が激化し、ギイとの連絡が途絶えてしまう。不安になるジュヌヴィエーヴに、彼女を見初めた宝石商カサール(M・ミシェル)が「僕たちの子として育てよう」と、結婚を申し出る。(引用終わり)

有名なテーマ曲以外、内容は全く知らなかったが、一見してこれはオペラそのものだと感じた。全体は3幕構成になっていて、美女役のソプラノと美男役のテノールが繰り広げる悲恋劇。アリアに当たるテーマ曲以外のセリフ部分は、話し言葉に節をつけたレチタティーヴォ(叙唱)で繋いでいる。

主役の二人は生活は貧しいがとても純真で、何だかプッチーニの『ボエーム』を観ているみたいな錯覚に襲われた。考えようによっては、紅涙を絞らしめる古臭いメロドラマに堕しかねないのだが、この映画の名画たる所以は、いろいろと新しい要素を盛り込んで、それをうまく調和させているところにあると思う。

例えば、オープニングで雨の中を行き交う人々を上から撮った斬新な映像は大変印象的だし、当時進行しつつあったモータリゼーションを巧みに取り込んでいる。さらには色彩の使い方や、ファッション(自分にはよく分からないが・笑)にも、新しい感覚が活かされているのだろう。

古くからあるストーリーでも、新しい感覚を取り入れれば、こんなに美しい映画に仕上がる。これを要するに、芭蕉が言った「不易流行」というものではないか。

3月30日 ジョグ10キロ
月間走行 200キロ

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2017/03/28

『大いなる幻影』

Grandeillusion1937年、仏。ジャン・ルノワール監督。ジャン・ギャバン、エリック・フォン・シュトロハイム他。allcinema の紹介文。

第一次大戦のさなか、仏軍のマレシャル中尉(J・ギャバン)とド・ボアルデュー大尉(P・フレネー)は敵情視察に飛び、ドイツ軍の捕虜となる。下町の機械工だった中尉と貴族出の大尉ではなにかと溝があり、収容所で一緒になった連中とも打ち解けないままに、脱走計画が企てられ、一同は団結する。裕福なユダヤ人のローゼンタールの家から送られた慰問物資の缶詰が穴を掘る道具となった。そして、いざ脱出路貫通の間際に別の収容所へ移送される一同。スイス国境に近いケーニヒスブルグの古城が次の彼らの向かう先。そこの所長は中尉たちを撃墜したフォン・ラウフェンシュタイン(E・シュトロハイム)で、大尉とは貴族同士の語らいを持つ。そして、捕虜たちは中尉とロザンタールだけでも逃がそうと行動を起こし、大尉が図らずも所長の銃に撃たれ犠牲となる。脱出に成功した二人は、夫を戦地に送り出した子持ちの人妻エルザに匿われ、無事スイス側へと逃げ延びる…。(引用終わり、一部修正)

我が国には1938年に輸入されたものの、内容が内容だけに検閲により上映が禁じられ、第二次世界大戦後の1949年になってようやく公開が実現した。ナチス・ドイツも本作を敵視し、パリ占領時にネガフィルムを奪取したため、長らく行方不明となっていたという、曰くつきの作品である。

確かに反戦映画という分類にはなるだろうが、本作はそれ以上に、戦時下という特殊な状況における人間と人間の出会いと交流、さらにはそれらが国際情勢に翻弄される姿をリアルに描いた、第一級のヒューマンドラマとみるべきであろう。

フランス人とドイツ人(さらにはユダヤ人)、貴族と平民、男と女。これらが単純な二項対立とはならず、そうした壁を越えた交流が生まれるかに見えるのだが、しかし、現実はそんなに甘くはない。

終盤で「戦争などさっさと終わらせればいいんだ。これを最後に」と言うマレシャルに、ローゼンタールが「それは幻影だ」と冷たく返す(もっと前、マレシャルが足を洗ってもらうシーンにも同様の遣り取りがある)。それがこの作品のテーマなのだろうが、それは現実に第二次世界大戦となって的中したのだ。

3月26、28日 ジョグ10キロ

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2017/03/25

白内障

ついに来たか。両親とも何年か前に手術したので、自分も時間の問題だと覚悟はしていたが、まさか50代で出るとは思わなかった。

最近、コンタクトレンズを購入した際の視力検査で、右目の視力が低下していることが判明。その後メガネも作り変えようとしたが、度の強いレンズでも矯正出来なかった。単に近視が進んだのではない可能性があり、眼科を受診した結果、右目に白内障が出ていることが分かった。

まだ視界が霞むなどの症状はなく、しばらく定期的に診察を受けることにしたが、いずれにしろ改善することはないので、早晩手術は避けられない。水晶体を超音波で破壊して、その後に人工レンズを埋め込むという。症例は数え切れないほど多く、安心して受けられる手術だというが、これまで手術らしい手術の経験がない自分としては、今から不安でならない。

3月24日 ジョグ10キロ

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2017/03/22

『大人は判ってくれない』

Lesquatre1959年、仏。フランソワ・トリュフォー監督。ジャン=ピエール・レオ主演。allcinema の紹介文。

フランソワ・トリュフォーの長編第一作。アントワーヌ・ドワネルはパリの下町に住む13歳の少年。学校ではいつもいたずらばかりして先生に目をつけられている。共稼ぎの両親は、夫婦仲が余りよくなく何かと口論ばかりしていた。そんなある日、遊ぶ金に困った彼は父の会社のタイプライターを盗んで質に入れようとしたが、すぐにバレてしまい、両親は彼を少年鑑別所に入れてしまう……。(引用終わり)

原題は Les Quatre Cents Coups 。直訳すれば「400回の殴打」ということになる。その意味するところは諸説あるようだが、映画の解釈を押し付けるに等しい邦題が、果たして正鵠を射ているのかどうか。

それはともかく、途中まではアントワーヌの度が過ぎた悪戯と、その結末である鑑別所送りまでの顛末が、客観的かつ少々コミカルなタッチで描かれる。町中をランニングさせられる少年たちが、教師の目を盗んで次々と隊列を離れる連続映像は秀逸だ。

ところが、ほとんど最後になって、鑑別所の中で女性医師の質問に対して、アントワーヌが自らの身の上を語る場面がある。多分ここがクライマックスであり、これによって彼の行動の理由が明らかになると同時に、それまでのどのシーンも大変な重みを持ち始めるのである。トリュフォー自身の体験に加え、新聞の三面記事などから集めた、全て実話に基づくエピソードが、まさに小説より奇なる迫力を生んでいる。

その後、彼が鑑別所から脱走し、田舎道を駈け抜ける有名な長回しのシーンがあって、海辺に到着した彼がこちらを振り向いたところでストップモーションとなって、映画は唐突に終わっている。その後の彼はどうなったか。それは観る者の想像次第だ。そう言わんばかりのこの結末は見事である。

3月20日 ジョグ10キロ
3月22日 LSD40キロ

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2017/03/19

30回目の献血

先日でようやく30回目に到達して、写真のような記念品を頂いた。大層立派な箱に入っていて、高名な美術家の作品であるとの説明書きが添えられている。しかし、底面に凹凸があるのか、少し安定が悪い。そういうところが美術工芸品なのかもしれないが。早速、赤ワインを入れて飲んでみたが、ちょっと悪趣味だったかも。(笑)

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ところで、20回目は4年前のことだったから、このペースで行くと8年後には50回となり、また別の杯が頂けるうえに、60歳または68歳到達以降に献血すれば、感謝状も頂けるそうだ。

別にそういうのが目的で献血しているわけではないが、節目節目での記念品は励みになる。毎回の血液検査に加えて、年1回は心電図を取ってくれるので、今後も可能な限り続けていきたい。

3月17、19日 ジョグ10キロ

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2017/03/16

『我が道を往く』

Goingmyway_21944年、米。レオ・マッケリー監督。ビング・クロスビー主演。ウィキペディアの紹介文。

ニューヨークの下町にある古びた教会、セント・ドミニク。老神父フィッツギボン(バリー・フィッツジェラルド)は、廃屋寸前の建物と周囲の劣悪な環境に、最近はあきらめ顔である。そこへ副神父として派遣された若いオマリー(ビング・クロスビー)がやってきた。口うるさい老婆と家主の喧嘩をなだめ、街のギャングたちには芝居の券を配り楽しみ方を教え、不良少年たちには合唱を教え込み合唱隊を作る。ついでに、幼友達のオペラ歌手リンデン(リーゼ・スティーヴンス)が教会の財政難を救ってくれて、フィッツギボンとオマリーは大喜び。しかし、その夜、教会は全焼してしまう。そして、間もなくオマリーは、別の教区へ移ることが決まった。(引用終わり)

ビング・クロスビー主演で、随所に歌が登場することから、「ミュージカル映画」という分類も可能だが、ストーリー上も歌になる場面で歌うので、通常のミュージカルのような「登場人物が突然歌い出す」違和感は全くない。

笑って泣いての人情コメディとも言うべき内容で、同様に下町を舞台にした「フーテンの寅さん」シリーズを連想させる(第21作は「寅次郎わが道をゆく」というタイトルだが、本作との関連は特にないようだ)。ただ、こうした作品が戦時下の1944年に制作され、終戦後間もない1946年に公開されたというのは驚きである。

なお、オマリーの幼なじみでオペラ歌手という設定のジュヌビエーブを演じたリーゼ・スティーヴンスは、本作中と同様、メトロポリタン・オペラで「カルメン」のタイトルロールを演じて好評を博したメゾ・ソプラノだそうである。道理で上手いはずだわ。

3月15日 ジョグ10キロ

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2017/03/13

dポイントに喝!

dポイントカードを使い始めた話は先日書いたが、酒量販店での利用以外にも、銀行や公共料金のポイントが dポイントに交換できることが分かり、早速手続きをしておいた。これで酒代の負担が少しでも軽くなれば助かる。

ところが、手続きから1か月近くも経って、銀行から「交換先で受付けできませんでした」のでエラーになったというメールが来た。不審に思って交換手続きの手順を辿ってみると、おそらく「dポイントクラブ会員番号」を入力すべきところに、「dポイントカード番号」を入力したためと判明した。

この両者はそれぞれ12桁、15桁で違うのだが、ややこしいことに後者は4桁×3、3桁で表示されていて、確か最後の3桁を省略したような記憶がある。その時点で気づくべきだったといえば、確かにそのとおりだ。しかし、それにしてもなぜこんな紛らわしいシステムになっているのだろう。

クラブ会員番号とカード番号は紐付けできている筈なので、カード番号だけで管理すれば単純明快で、こんな間違いは防止できる。それとも、カードを複数持っている人が、ポイントをまとめるのに便利だから、というわけだろうか。だとしても、そういう特殊なユーザーのために、大多数の利便性が犠牲になるのはおかしい。

再度手続きをやり直したが、ポイント交換に1か月もかかるというのが、これまた解せない話だ。これだけIT技術が進歩しているというのに、いまだにバッチ処理をしているのだろうか。それとも、ポイント交換は本当はやりたくないのがホンネで、そのための嫌がらせなのか? ここはハリさんに代わって「喝!」である。

3月11、13日 ジョグ10キロ

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2017/03/10

『太陽がいっぱい』

Pleinsoleil1960年、仏伊。ルネ・クレマン監督。アラン・ドロン主演。アマゾンの紹介文。

アメリカ人青年トム・リプリー(アラン・ドロン)は、イタリアに滞在中の裕福な友人フィリップ・グリンリーフ(モーリス・ロネ)のもとを訪れていた。フィリップの父親の依頼で、合衆国に戻るようフィリップを説得するのが目的である。だがフィリップはトムの説得に応じる気はなく、元来貧乏なトムの方もフィリップとの贅沢なイタリア生活を楽しんでいた。トムはフィリップとその恋人マルジュ(マリー・ラフォレ)の関係を羨み、自らの貧困生活を捨てて富裕な人生を歩むことを切望している。一方、甘やかされて育ち、傲慢なフィリップは、トムの卑屈さに次第にうんざりし始め、彼を邪険に扱ったり罵倒したりするようになる。やがてトムの心に、フィリップに対する殺意が芽生え始める……。 (引用終わり)

あまりにも有名な、アラン・ドロンの出世作である。鬱屈した青年の野望と内面を終始クールに演じ切った、彼独特の存在感なくして、この作品は成り立たなかったと思える。

詐欺つながりという訳ではないが、どこか憎めない『キャッチ・ミー…』と比べると、さすがはヨーロッパというべきか、その犯行の一部始終はとても陰惨でやるせない。しかも、それがイタリアの明るい陽光の下で繰り広げられるという皮肉も見事だ。

一旦は完全犯罪が成功したかに見え、トムは「太陽がいっぱいだ。今までで最高の気分だよ」と嘯くが、その直後に悲惨な現実が彼をどん底に突き落とす。この有名なラストシーンだけは記憶に残っていたが、分かっていてもなお打ちのめされてしまった。

ところで、これまた有名なテーマ音楽の作曲者ニーノ・ロータの名前が、オープニングのクレジットでは Musique de Nino Rotta  となっている。 t  がひとつ多いのは単なる間違いだろうか。

3月9日 LSD20キロ

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2017/03/07

『キャッチ・ミー・イフ・ユー・キャン』

Catchme2002年、米。スティーブン・スピルバーグ監督。レオナルド・ディカプリオ、トム・ハンクス他。allcinema の紹介文。

高校生のフランク・W・アバグネイルは尊敬する父が母と離婚すると聞き、ショックで衝動的に家を飛び出してしまう。そして、生活のため偽造小切手の詐欺を始めるようになる。最初はなかなかうまくいかなかったが、大手航空会社のパイロットに成りすますと誰もがもののみごとに騙された。これに味をしめたフランクは小切手の偽造を繰り返し巨額の資金を手に入れるのだった。一方、巨額小切手偽造詐欺事件を捜査していたFBI捜査官カール・ハンラティは、徐々に犯人に迫っていくのだったが…。(引用終わり)

タイトルは日本で言う「鬼さんこちら」に当たる言葉だそうだ。子供の遊びとまではいかないにしても、希代の天才詐欺師とFBI捜査官との駆け引きが、さほど深刻にならず軽妙洒脱に描かれていて、一級の娯楽作品に仕上がっている。さすがはスピルバーグである。

パンナムやTWAといった今はもうない航空会社、馬鹿でかいアメ車がひしめく街の風景など、60年代当時を見事に再現した映像を観るだけでも楽しい。どのカットもよく考えられているが、父親役クリストファー・ウォーケンのアップを半逆光で撮り、彫りの深い表情に親としての情感が窺える映像は特に印象的だった。

以下、結末に関連する感想を…

3月5、7日 ジョグ10キロ

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2017/03/04

月ヶ瀬梅林

休暇で実家に帰って来た息子のリクエストで、月ヶ瀬梅林までドライブに出かけた。彼の運転習熟が主たる目的であったりするけれども。

湖畔は五分咲き、山手はまだ咲き始めということで、花見としては少し寂しかったが、木によっては満開に近いものもあった。

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ここを訪れたのは大学生の時以来で、何と40年近くも前のことだ。遊歩道からの景色なども全く記憶に残っておらず、初めてのような感覚で見られたので良かった。次に来るときは…多分もうないだろう。

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3月3日 ジョグ10キロ

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2017/03/01

『エデンの東』

Eastofeden_21955年、米。エリア・カザン監督。アマゾンの紹介文。

第一次世界大戦下のカリフォルニア州サーリナス。 24歳のキャルは農場を営む父アダムが、兄のアーロンばかりを可愛がっていると感じ、反抗的な問題児扱いされていた。落ちこぼれで愛に飢えたキャルを、(アーロンの)恋人のアブラは何かと気にかけていた。 ある日、キャルは死んだと聞かされていた母ケートが実は生きていて、モントレーで酒場を経営していることを知る。アダムが野菜の輸送中の事故で無一文になった時、キャルは父親を助けようと、ケートに資金を借りに行くが・・・。孤独を抱えたナイーブな青年の青春と家族との確執を描き、ジェームズ・ディーンを一躍伝説のスターにした名作。(引用終わり)

ジェームズ・ディーンの代表作で、有名なテーマ音楽をバックに展開される青春ラブロマンス。…という先入観はまたしても見事に覆された。親子や兄弟の間の愛憎半ばする複雑な人間関係を描いた心理劇であるし、そもそもこの映画の主人公はキャルではなく、映画冒頭で流れる配役のトップにあるように、アーロンとキャル両方の良き理解者となるアブラなのである。ラスト近くで彼女が病床のアダムに語りかける場面は、この映画のクライマックスであり、大変に感動的だ。

旧約聖書のカインとアベルの物語が下敷きとなっている(父親はまさにアダム)ことから、このアブラという人物は、ケートの身代わりのイブなのか、あるいは他の誰かの象徴なのかとも考えられるが、聖書をまともに読んだことがない私にはよく分からない。死ぬまでには聖書のことも一応は勉強しておかなければと、改めて思った。

2月28日 ジョグ10キロ
月間走行 180キロ
3月 1日 ジョグ10キロ

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