『第三の男』
1949年、英。キャロル・リード監督。ジョセフ・コットン、オーソン・ウェルズ、アリダ・ヴァリ他。allcinema の紹介文。
第二次大戦後のウィーン。親友のハリー・ライムの招きでこの街を訪れた作家のマーチンは、到着早々、ハリーが死亡したことを知らされる。ハリーの死には三人の男が立ち会っていたと言うのだが、その三番目の男の正体を追って、マーチンは独自の調査を開始する。陰影や構図を凝らした、サスペンス・スリラーの傑作。(引用終わり)
アントン・カラスによる軽快なツィターのメロディ。花の都ウィーンを舞台にしたハラハラドキドキのサスペンス。男女の擦れ違いを象徴するラストシーン。
そうした先入観をもっていたのだけれども、それはこの映画の表面をなぞっただけのもので、内容的にはとても陰惨で、冷酷極まりない現実を描いた作品だった。テンポの良い展開や巧みな構図などから、「映画の教科書」とも言われるけれど、カラスのあの音楽がなければ、これほど親しまれたかどうかは疑わしい。
冒頭からただちに、第二次大戦で破壊され、米英ソ仏4カ国による分割統治の下、闇市が栄えるウィーンの殺伐たる風景が映し出され、いきなり頭をガツンと殴られる思いだ。そこに乗り込んできたアメリカ人作家のマーチンが、親友のハリーの死の真相を探る物語が展開する。
マーチンはいかにもアメリカ的価値観を体現したような男で、ハリーが手を染めていた不正を絶対に許せないのだが、ヨーロッパ社会の複雑な現実は、到底そんな一筋縄ではいかないのである。それを象徴するのが、有名な観覧車のシーンでのハリーのセリフである。
ボルジア家の下で陰謀やテロが横行した。だが、多くの芸術家が誕生した。スイスは愛の国だが、500年の民主主義と平和は何を生んだ? 鳩時計が精一杯だ。
祖国チェコから偽パスポートでウィーンに逃れてきたアンナもまた、こうしたヨーロッパ社会の現実の中で生き、これからも生き延びなければならない女性である。マーチンの思いに気づいてはいるはずだけれど、それほど現実は甘くないというのが、ラストシーンの意味合いなのだろう。
2月24日 LSD40キロ
2月26日 ジョグ10キロ
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