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2017/02/20

『道』

Lastrada1954年、伊。フェデリコ・フェリーニ監督。アンソニー・クイン、ジュリエッタ・マシーナ他。アマゾンの紹介文。

野卑な旅芸人ザンパノに引き取られ、芸を学びながら旅を共にするジェルソミーナ。自分勝手な振る舞いに明け暮れるザンパノにジェルソミーナは苦労が絶えない。
ある日、優しい綱渡り芸人と心を通わせるようになるのだが、その芸人はかつてザンパノと因縁のある男だった……。(引用終わり)

ご存じ、不朽の名作。純真だが少し知能が低いジェルソミーナは、野卑な芸人ザンパノに1万リラで売られる。助手として口上や太鼓など芸を仕込まれるが、彼はジェルソミーナをほとんど人間扱いしない。

逃走を図っても連れ戻され、自暴自棄になりかけていた彼女はある日、綱渡り芸人(今日的には少し問題のある名前がついているが、DVD字幕では出てこない)になぜ逃げないのかと問われ、逃げても同じこと、私は何の役にも立たない女、と泣きながら言う。

それに対して綱渡りが諭すように話した内容がとても深い。

この世の中にあるものは何かの役に立つんだ。例えばこの石だ。こんな小石でも何か役に立ってる。これが無益ならすべて無益だ。空の星だって同じだとおれは思う。お前だって、何かの役に立ってる。

これが正しかったことを証明するのがラストシーンで、彼女を捨てて逃げたことを後悔するザンパノが柄にもなく流す涙は、いくら鋼鉄の肉体を持っていても、人間は一人では生きていけない、か弱い存在なのだということを思い知らせる。

ここで重要なカギとなるのが、ニーノ・ロータによる哀愁に満ちた有名なテーマ曲である。最初は子供用の小さいヴァイオリンで奏され、のちにジェルソミーナがトランペットで演奏する。楽器法的にも、これは天使のメロディなのである。最近も髙橋大輔だったか、フィギュアスケートの音楽に使われたらしい。

(追記)
「小石でも何か役に立ってる」というセリフの引用を、どこかで見聞きした気がすると思っていたが、以前読んだ関川夏央の『石ころだって役に立つ』だった。読んでから10年近く経ってようやく腑に落ちたわけだ。(笑)

2月18、20日 ジョグ10キロ

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コメント

[道」は良い映画でした。
あの頃のヨーロッパ映画は、とても良かったです。
ニーノ・ロータも良い曲を多く残していますね。
ついでに?まだでしたら「シェルブールの雨傘」も観て下さいませ。
自分の中では生涯No1作品と思っています(笑)。
もちろん、ブルーレイも購入済み(^^;)。

投稿: AKA | 2017/02/21 18:16

AKAさん
お久しぶりです。
ニーノ・ロータ自身は、自分はクラシックの音楽家で、
映画音楽は趣味に過ぎないと言っていたそうです。
以前、彼のクラシック作品を聴いたことがあります。
何の曲だったのか思い出せませんが(笑)、
とても正統的な構成の楽曲だった記憶があります。
『シェルブール…』、近いうちに観てみますね。

投稿: まこてぃん | 2017/02/22 11:52

映画は昔観たはずですが、ほぼ忘れています。(^^;
高橋大輔さんの演技は何度もみました。
(いまだにネットでみることもできますし)
映画を彷彿させる演技だったかと・・・。(^^)

投稿: くー | 2017/02/25 00:39

くーさん
髙橋大輔のバンクーバーの演技を見てみました。
冒頭で何かに躓いて、それを振り返って苦笑するような
仕草がありましたが、映画の内容と関係があるのかどうか
よく分かりませんでした。
それよりは、自分がここまで来た「道」というような
意味合いだったのでしょうか?

投稿: まこてぃん | 2017/02/25 18:02

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