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2016/10/20

東海道を走る その9(興津~府中)

「東海道を走る」第3回目は、興津から見附まで走った。前回の箱根越えに続き、今回は大井川の川越えがあり、これで昔の東海道の二大難所をクリアしたことになる。

快晴に恵まれた10月15日午前8時半、興津駅前をスタート。本陣跡の標石はあるが、宿場の名残りはもう何もない。

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国道1号をしばらく西進すると清見ケ関跡がある。大和朝廷が東北の蝦夷に備えて設けたものだそうだ。

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その先に西園寺公望の別荘「坐漁荘」がある。愛知県の明治村に移築されていたが、地元有志の運動によって平成16年に元の場所に復元したものだそうだ。

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足利尊氏が戦の際、旗を打ち立てたことに由来するという波多打川を渡り、一旦国道1号から旧道に入る。東海道線の踏切を越え、再び国道1号に合流する。辻町で旧道へ分岐する地点に細井の松原跡がある。かつてこの付近には約200本の松並木があったが、戦時中に油を取るため伐採され、その際人骨が多数出土したため、無縁さんの碑が設置されている。

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清水駅前のランドマーク「えじりあ」が見えてきて、まもなく江尻宿に入る。広重は少し高い視点から、清水湊と三保の松原を描いている。

Ejiri

今日では街道から海を望むことができないので、前日に自転車で清水港の岸壁まで行ってみた。コンクリートの護岸になっても、三保の景色だけは今も変わらない。

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江尻宿の中心付近は現在商店街になっている。土曜の早朝とあって人通りは少ない。

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巴川を渡る稚児橋。渡り初めをしようという直前に、河童の子供がさっさと渡ってしまったのが名前の由来だそうだ。

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橋を渡ってしばらく西進すると、清水湊への追分(分岐点)に、「是より志三づ道」と刻まれた道標があり、その横に元禄8年創業の追分羊かん本店が今も営業している。

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日持ちがして昔の旅人が道中食にしたという追分羊かんを頂くことにした。1個240円。写真は小さく切った試食品である。竹皮に包んだ蒸し羊羹で、ほのかな甘さがどこか懐かしい。

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東海道線の踏切を渡ってしばらく行くと、「久能寺観音道」の道標がある。安永7年の銘があり、自分と同じ戊戌の年生まれということで親近感を覚える。(笑)

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その先で県道に合流し、やがて草薙にさしかかる。日本武尊が賊に火を放たれたが、剣で草を薙いで難を逃れたという伝説が地名の由来だ。草薙総合運動公園の横を通過し、その後東海道線を北へ南へ都合3度越えるが、旧街道が分断され、消滅している箇所がある。致し方ないけれど、やはり残念だ。

伝馬町通りを進むと、いよいよ府中宿(現在の静岡。「府中」が「不忠」に通じるのを嫌い、賤機山(しずはたやま)から取って改名された)に到着である。目抜き通りの呉服町は商店、飲食店が軒を連ね、大勢の人々で賑わっている。

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繁華街を抜け、新通りを進むと、間もなく安倍川を渡るが、その手前に文化元年創業の元祖安倍川餅「石部屋(せきべや)」がある。折角なので、ここでも安倍川餅を頂くことにした。1人前600円。黄な粉の方はまだ餅が温かく、とても美味だった。

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広重は安倍川越えの風景を描いている。

Fuchuu

これは対岸から府中方向を眺めた構図で、背景の山は賤機山としている資料が多いが、そんなに高い山ではないし、ご覧のように真正面に見える富士山を外すわけがないと思う。

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ある資料では、これは府中側から西の対岸を眺めた構図で、背景は徳願寺の山であろうとしている。おそらくそれが正解ではないか。

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安倍川を渡り、次の丸子(まりこ)宿に向かう。

10月20日 ジョグ10キロ

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