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2016/10/31

『パパが遺した物語』

Fathersanddaughters2015年米伊。ラッセル・クロウ、アマンダ・セイフライド他。アマゾンの紹介文。

過去のトラウマから、愛を見失ってしまったケイティ。自暴自棄な日々を過ごし、人と深い関係を築くことを避けてきた彼女は、ある日、作家だったケイティの父ジェイク・デイヴィスの大ファンだという青年キャメロンと出会い、恋に落ちる。
ケイティは過去と向き合い、新しい人生に踏み出そうとするが・・・。次第に明かされていく過去の事件と、あまりに純粋な父と娘の愛の物語。そしてケイティに遺された、父の最後の小説とは―。(引用終わり)

邦題タイトルやジャケット写真から、ほのぼのとした内容を想像していたが、全く違っていた。幼くして交通事故で母を、次いで心因性の発作によって父を失った主人公は、大学で心理学を学びながらも、行きずりの男と関係を持つなど、自分を見失いかけていた。

しかし、同じように悲惨な境遇にある女の子の心を開くことに成功し、また父の遺作 “Fathers & Daughters” (映画の原題もこれ)のファンだというキャメロンとの出会いを通じて、過去の自分と向き合い、生きる意味を見出すというところで終わっている。

「パパ」との関係は既に幼少時に終わっているけれども、その記憶が時々ケイティの意識の中にフラッシュバックのように現れ、父と娘の絆が地下水脈のように流れていることを窺わせる。映画の中では父の遺作の中身についてはほとんど明かされないが、“Fathers & Daughters” と、あえて複数形にしてあるのは、そうした絆の普遍性を示唆しているのだろうか。

10月29、31日 ジョグ10キロ
月間走行距離  255キロ

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2016/10/27

東海道を走る その12(日坂~見付)

道の駅を早々にお暇して旧道に戻り、一路掛川宿に向かう。国道1号掛川バイパスを越えたところに、寛保2年の銘がある「福天権現本(道)」の道標がある。骨太で特異な字体が面白い。

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県道に合流してさらに西進すると、JA支所の前に「大頭龍大権現」「福天大権現」の道標がある。先のものと字体等が類似しており、同じ頃に建立されたものらしい。

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逆川を越えたところに創業約200年の菓子処「もちや」があり、振袖餅というのが名物だというので立ち寄ってみた。午前中で売り切れることが多いそうだが、この日は幸いまだ残っていたので早速賞味した。1個120円。また食べてる。(笑)

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餅もさることながら、サービスの冷茶が驚くほどおいしい。さすがはお茶どころ掛川である。

掛川宿に入るところに「新町の七曲り」があり、街道をわざと何度も曲がるようにしてある。「真田丸」でもやっていたが、これは外敵を容易に進入させないための仕掛けなのである。

Nanamagari

ここは少し不安だったので事前に Google のストリートビューで確認しておいた。おかげで道に迷うことはなかったが、一方で既視感というのか、もう何度か来たことがあるような感覚を味わい、初めての場所を探訪する新鮮さが少し殺がれた。便利なものも良し悪しである。

逆に、掛川宿を抜けたあと街道が斜め右に曲がる地点で、まだ地図に載っていない新しい道が出来ていて、一瞬迷ってしまった。川筋や寺の位置から判断して事なきを得たが、こういうハプニングが旅の面白さでもある。

この先、秋葉山への参詣道との分岐点となる大池橋を渡る。広重は風の強い日にここを通る人々を描いている。

Kakegawa

右斜め前方に描かれている秋葉山は、現在は全く見えない。

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橋を渡ってさらに西進し、天竜浜名湖線のガードを潜り、東名高速の高架を潜ると、見事な松並木が現れた。車もほとんど通らず、旧街道の雰囲気をよく残している。

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この先、一旦国道1号に合流して同心橋を渡ると袋井市に入る。再び旧街道に復すると、また見事な松並木が続いているが、国道の抜け道になっているのか、ここは結構交通量が多い。

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この先、約1キロの間で、こんな感じの道標が、確認できただけで7基もあった。まるで道標銀座(?)である。

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この辺りまではいい感じだったが、袋井宿に入ってすぐ、袋井市総合センターという役所の建物が街道の真上に建っていて、迂回を余儀なくされた。

旧道に復帰するところに、「どまん中茶屋」なる施設があった。袋井宿が江戸からも京からも27番目、ちょうど真ん中に位置することから名づけたようだが、もちろん最近になって作られたものだ。茶屋というより、観光案内所のようなものだ。

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少し覗いて写真を撮っていたら、係りの人がわざわざ出てきて、お茶を飲んでいけと盛んに勧める。当方としては、往時のものかそれを復元したものしか興味がないので、適当にお茶を濁そうとするが、かなりしつこい。平成の留め女か。(苦笑)

何とか振り切って街道を行くと、今度はこんな巨大な看板が掲げてある。

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旧東海道を観光の起爆剤にという意図は分かるけれども、市役所自身が旧街道を潰しておきながら、作り物めいた施設で観光客を呼ぼうという姿勢は頂けない。前述の島田市を見習ってほしいものだ。

広重は宿場の西外れの様子を描く。

Fukuroi

高札場を復元してあるが、今は住宅が建ち並んで、街道に往時の面影はない。

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県道をひたすら西進すると、今回の行程で初めて立派な一里塚跡があった。江戸から61里。それでもまだ全行程126里の半分に満たない。快適な木陰が子供の遊び場になっている。

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太田川を渡った先で、江戸、明治、大正各時代の道路に分岐する箇所があり、ここも道に迷う可能性があったが、ストビューのおかげで難なく通過。分岐点に「従是鎌田山薬師道」と刻む道標があった。

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間もなく見付宿(現在の磐田)に入る。「見付」とは、京から来た旅人がここで初めて富士山を目にするという意味で、実際、旧街道沿いに富士見町という町名がある。街道筋の今の風景。

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街道沿いに建つ旧見付学校。明治8年落成で、現存する日本最古の木造擬洋風小学校校舎だそうだ。映画のロケとかに使えそうだ。

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文化2年に脇本陣となった、旅籠屋大三河屋の門の実物が、平成19年に移築復元されている。

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旧東海道のバイパスである姫街道との分岐点で左折し、JR磐田駅前まで一気に走って、今回の行程を無事に終えた。

10月26、27日 ジョグ10キロ

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2016/10/24

東海道を走る その11(藤枝~日坂)

2日目は六合駅前からスタート。駅付近の数百メートルほど旧道を走ったあとは、島田宿まで国道1号をひたすら西進する。この日も朝から快晴で早くも汗をかいたが、島田宿に入ってすぐ、甘露の井戸水を発見したので有難く頂戴した。少し金気の味がするのが、いかにも井戸水らしい。

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下本陣跡の一角は遊歩道になっていて、からくり時計塔が設置されている。ちょうど9時になるところで、どんな仕掛けが出てくるのか期待していたが、なんと10時から始まるのだった。残念。

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島田は小さな町ですぐに市街地を抜け、新東海製紙の工場を回りこむように走ると、まもなく「越すに越されぬ」大井川である。川会所、札場、番宿などからなる川越場が、タイムスリップしたように往時のまま残っている。一部は復元したものかもしれないが、なるべく当時のままに景観を維持しようという姿勢は好ましい。

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とある番宿に入ると、屈強そうな川越し人足が仁王立ちになって、「何か用けぃ?」とばかりにこちらを睨んでいた。奥に見えるハシゴのようなものは連台といって、その上に旅人を乗せ、人足たちがそれを担いで川を渡るのである。

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川越しの手続きをする川会所(かわかいしょ)は現存し、今も近所のおばあさんたちの会所になっているようだ。(笑)

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また、浄瑠璃「生写朝顔話」で有名な「朝顔の松」がこの辺りにあって、昭和10年代に枯死してしまったが、二代目の松が植えられている。

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広重は川越えの様子を鳥瞰図のように高い視点から描いている。手前に見えるのは「朝顔の松」か?

Shimada

堤防から見るとせいぜいこのぐらいで、広重の着想は見事というしかない。

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現在は大井川橋を渡っても島田市のままだが、旧国名では大井川を境に駿河から遠江に変わる。

広重の「金谷」は宿場に入る前、川越しを終えたばかりの様子を描いている。大井川はそれほどの難所だったということだろう。人足の背中から降りたばかりの旅人とか、本当に細かいところまでよく描いている。

Kanaya

今は当然ながら川原は無人である。

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旧街道に復帰してすぐ、SLで有名な大井川鐵道の新金谷駅横を通過。 間もなく金谷宿に入り、緩やかな登り坂が続く。

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金谷駅手前の一里塚跡で東海道線のガードを潜り、間もなく金谷坂に取り掛かる。最近になって地元の努力で復元された石畳道が続く。

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これを登り切ると、今度は菊川坂の下りとなる。周囲は一面に茶畑が広がり、秋の陽光を浴びている。

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坂を下りたところは菊川という小さな集落で、その先の難所、小夜の中山を控えた間の宿となっていた。近くの川から出た菊花紋のこの菊石が、その名の由来だという。

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菊川を出るとすぐ、青木坂という滅茶苦茶急な坂道となり、思わず歩きが入る。これを登り切った辺りが小夜の中山で、古くから歌に詠まれた名所である。あちこちに歌碑があったが、嗜みがない自分には値打ちが分からない。

また、この付近には夜泣石伝説というのがあって、山賊に殺された妊婦の霊が石に宿り、夜になると石が泣いたという。一方、助かった子は近くの寺の住職に水飴で育てられ、長じて親の仇を討ったそうである。

その寺の近くに宝永年間創業の扇屋があり、週末のみ営業している。子育飴というのを売っていたので味見してみた。1本100円。写真がピンボケになってしまったが、その昔、紙芝居のおじさんが売っていたような水飴で懐かしい味がした。

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広重の「日坂(にっさか)」は小夜の中山を描いている。当時は夜泣石が街道の真ん中に鎮座していたのだ。

Nissaka

明治天皇の東幸に当たってこの石は移動されたが、それだと伝えられる石が付近の2箇所にあり、いずれが本物か判別できないのだという。

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この先、転げ落ちそうに急な沓掛坂を下り、国道1号バイパスを越えると日坂宿に入る。往時の佇まいが比較的よく残っている。

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旅籠の川坂屋が資料館として公開されている。中年男女のツアー客が中に入り切れないほど大勢いて、ガイドの説明を熱心に聞いていた。

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この先で一旦国道1号バイパスまで出て、現代の茶屋道の駅で塩分補給兼昼食とする。信じられないくらい大勢の客でごった返していて、人気の少ない旧街道を走ってきた人間には、とても落ち着ける場所ではない。

10月24日 ジョグ10キロ

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2016/10/22

東海道を走る その10(府中~藤枝)

安倍川を渡り、手越(てごし)、佐渡(さわたり)と由緒ありげな地名が続く。やがて県道が急に狭くなるところが丸子宿の入り口、江戸方見附である。

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のどかな宿場町を予想していたが、狭い県道を対向してくる車が数珠繋ぎになっていて、ドアミラーをよけながら慎重に走る。車との接触はもうゴメンだ。やがて慶長元年創業、自然薯のとろろ汁が名物の丁子屋が見えてきた。

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広重はこの店で休憩する弥次さん喜多さんらしき二人連れを描いている。実は「膝栗毛」での彼らは、茶屋の夫婦の喧嘩のせいで食べ損ねているのだが。

Mariko

ちょうど昼時だったので、とろろ汁定食「丸子」を頂くことにした。お代は1,440円。珍しく麦飯を茶碗に3杯も食べてしまった。店内はほぼ満席、駐車場も何箇所かあって、洗練されたウェブサイトまで開設している。おそらく旧東海道で一番はやっている店に違いない。

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この後、丸子川に沿って次第に山中に入っていく。いよいよ宇津ノ谷峠越えである。峠の手前の宇津ノ谷集落は往時の雰囲気を残す。

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宇津ノ谷峠は天正17年、秀吉が小田原攻めの際に大軍を通すため開削したものだが、こんなに急で狭い山道を兵や馬が行軍したとは信じられない。この先は箱根越えもあるし、小田原に着いた頃には戦どころではなかっただろう。たぶん、重い鎧兜や刀は宅配便にして、小田原営業所留めで事前に送っていたのだろう。(笑)

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峠を降りると、それ以前の蔦の細道との分岐を経て、国道1号に合流する。その付近から次の岡部宿方向を眺めたところ。

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広重の「岡部」は宇津ノ谷峠から岡部宿を望んでいるが、場所はよく分からない。

Okabe

やがて岡部宿に到着。大旅籠柏屋(かしばや)が当時の佇まいを残し、歴史資料館となっている。

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岡部宿を出て、国道1号を斜めに横切る辺りには松並木が残り、旧街道の風情が残る。

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この先に「従是西田中領」という表示があり、田中城へ通じる御成道との分岐点があった。城はもうないが、同心円状の堀の跡が今も地図に残っている。その先の水守というところで旧街道の一部が通行止めになり、雑草が生い茂っていた。しかし、少し先には付近の旧街道の位置を説明した案内板があり、それならちゃんと整備して残すべきだろう。

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藤枝宿に入ると、お寺の看板にまさ.かのDAI語が…。うぃっしゅ!

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広重は人馬の継立てを行なう問屋場の様子を描く。

Fujieda

その付近は現在、交番になっている。

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交番の向かいに慶長年間創業の菓子商紅家(べにや)がある。折角だからとここにも入り、名物の長寿柿を頂いた。食べてばっかりだ(苦笑)。1個292円。干し柿の中に白餡を詰めてある。徳川家康に献上していたそうで、「家康公にあやかり元気に長生きしますよう」名付けたそうだ。大阪人の自分としては、狸親父にあやかろうなど露ほども思わないが、できるだけ長く元気に走り続けたいという願いをこめて頂いた。

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勝草橋を渡り、西南方向にひたすら進む。国道1号を斜めに横切り、県道と合流する辺りを瀬戸といい、古東海道との追分がある。その昔、この付近は池や湿地が多かったため、それを避けて南に回り込むルートを通っていたそうだ。写真で奥へ通じているのが古東海道である。

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この付近には洪水に備えるために千貫堤が築かれ、今もその一部が残っている。また、染飯(そめいい)といって、クチナシの実で黄色く染めた強飯(こわいい)をすりつぶして干したものを供する茶屋があったそうである。千貫堤・瀬戸染飯伝承館という資料館があったが、ちょうど閉館時間で入場は出来なかったが、係りの女性がせめてパンフレットをと、取りに戻ってくれた。

この先のJR六合駅で1日目の行程を終え、電車で1駅の藤枝まで戻った。夕食は駅前の喜久屋に予約しておいた染飯弁当である。700円。さすがにすりつぶしたり干したりはしていない普通の握り飯だったが、当時の旅人の気分を少しは味わうことが出来たし、クチナシの実には疲労回復の効果があるらしい。

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10月22日 ジョグ10キロ

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2016/10/20

東海道を走る その9(興津~府中)

「東海道を走る」第3回目は、興津から見附まで走った。前回の箱根越えに続き、今回は大井川の川越えがあり、これで昔の東海道の二大難所をクリアしたことになる。

快晴に恵まれた10月15日午前8時半、興津駅前をスタート。本陣跡の標石はあるが、宿場の名残りはもう何もない。

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国道1号をしばらく西進すると清見ケ関跡がある。大和朝廷が東北の蝦夷に備えて設けたものだそうだ。

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その先に西園寺公望の別荘「坐漁荘」がある。愛知県の明治村に移築されていたが、地元有志の運動によって平成16年に元の場所に復元したものだそうだ。

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足利尊氏が戦の際、旗を打ち立てたことに由来するという波多打川を渡り、一旦国道1号から旧道に入る。東海道線の踏切を越え、再び国道1号に合流する。辻町で旧道へ分岐する地点に細井の松原跡がある。かつてこの付近には約200本の松並木があったが、戦時中に油を取るため伐採され、その際人骨が多数出土したため、無縁さんの碑が設置されている。

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清水駅前のランドマーク「えじりあ」が見えてきて、まもなく江尻宿に入る。広重は少し高い視点から、清水湊と三保の松原を描いている。

Ejiri

今日では街道から海を望むことができないので、前日に自転車で清水港の岸壁まで行ってみた。コンクリートの護岸になっても、三保の景色だけは今も変わらない。

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江尻宿の中心付近は現在商店街になっている。土曜の早朝とあって人通りは少ない。

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巴川を渡る稚児橋。渡り初めをしようという直前に、河童の子供がさっさと渡ってしまったのが名前の由来だそうだ。

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橋を渡ってしばらく西進すると、清水湊への追分(分岐点)に、「是より志三づ道」と刻まれた道標があり、その横に元禄8年創業の追分羊かん本店が今も営業している。

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日持ちがして昔の旅人が道中食にしたという追分羊かんを頂くことにした。1個240円。写真は小さく切った試食品である。竹皮に包んだ蒸し羊羹で、ほのかな甘さがどこか懐かしい。

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東海道線の踏切を渡ってしばらく行くと、「久能寺観音道」の道標がある。安永7年の銘があり、自分と同じ戊戌の年生まれということで親近感を覚える。(笑)

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その先で県道に合流し、やがて草薙にさしかかる。日本武尊が賊に火を放たれたが、剣で草を薙いで難を逃れたという伝説が地名の由来だ。草薙総合運動公園の横を通過し、その後東海道線を北へ南へ都合3度越えるが、旧街道が分断され、消滅している箇所がある。致し方ないけれど、やはり残念だ。

伝馬町通りを進むと、いよいよ府中宿(現在の静岡。「府中」が「不忠」に通じるのを嫌い、賤機山(しずはたやま)から取って改名された)に到着である。目抜き通りの呉服町は商店、飲食店が軒を連ね、大勢の人々で賑わっている。

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繁華街を抜け、新通りを進むと、間もなく安倍川を渡るが、その手前に文化元年創業の元祖安倍川餅「石部屋(せきべや)」がある。折角なので、ここでも安倍川餅を頂くことにした。1人前600円。黄な粉の方はまだ餅が温かく、とても美味だった。

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広重は安倍川越えの風景を描いている。

Fuchuu

これは対岸から府中方向を眺めた構図で、背景の山は賤機山としている資料が多いが、そんなに高い山ではないし、ご覧のように真正面に見える富士山を外すわけがないと思う。

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ある資料では、これは府中側から西の対岸を眺めた構図で、背景は徳願寺の山であろうとしている。おそらくそれが正解ではないか。

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安倍川を渡り、次の丸子(まりこ)宿に向かう。

10月20日 ジョグ10キロ

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2016/10/18

清水港線廃線探訪

昨日、東海道街道走りから帰宅。詳細は改めて書くとして、その前に清水港線の廃線跡を走った(といっても自転車でだが)ので、まずはその報告から。顛末はこうである。

今回の東海道は興津宿が起点だが、現在は古い旅館が1軒あるのみで、前回は由比側に1キロほど行った温泉施設に泊まった。今回は興津から電車で1駅の清水駅前のホテルに投宿することにした。折角だから前日に世界文化遺産の三保の松原を見物しておこうという寸法である。

ちなみに、以前ボストンマラソンや神戸マラソンに参加した際、都心のホテルが満室かとても高額で泊まれず、電車で何駅かの郊外にホテルを取ったことがある。「ボストン・神戸方式」と呼ばれる(自分だけだが・笑)この方法を今回も採用したわけである。

清水駅前から三保の松原まで片道8キロ強なので、自分の足で走って走れないことはないが、次の2日間で合計80キロの行程を考えると無理は禁物だ。幸い泊まったホテルにレンタサイクルがあるので、自転車で行ってみようとネットで調べてみると、お誂え向きに国県道と並行してサイクリングロードが走っているではないか。

その地図を眺めていて、「これは廃線跡かも」と直感が働いた。果たして、清水-三保間8.3キロを結ぶ旧国鉄清水港線が昭和59年まで走っていた跡と判明した。街道走りの前日に計画した三保の松原観光で、廃線探訪まで出来るとは、一石三鳥の嬉しさだ。

清水に到着して早々にホテルで自転車を借りて出発。商店街を抜けて清水駅南方の狭い踏切を渡ると、東海道線本線から分岐した線路2本を発見したが、旧清水港線のものかどうかよく分からない。付近には清水港という貨物駅があったようだが、現在は公共施設などになっていて痕跡をとどめない。

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南に少し行くと、ご覧のような自転車道、遊歩道がスタートしていて、エスパルスドリームプラザという商業施設まで約1キロの区間は、ひとまず快適なサイクリングが楽しめる。

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大型商業施設の海側に巨大な構築物を発見。テルファークレーンといって、木材を船から貨車に直接積み込めるもので、従前のベルトコンベアーだと1日かかる作業が僅か48分と、とても効率が上がったそうである。平成12年に国の登録有形文化財に登録されている。

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この先は自転車道は途切れているが、工場や倉庫が建ち並ぶ中に廃線跡が今も残っている。雑草の生えた廃線跡で、近くの工場の従業員が休憩していた。こんな場所を自転車で通るなんで、どこの物好きだろうと思われたに違いない。

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巴川を渡る鉄橋の橋台が残っていた。さらに道路を横断する線路のようなものが見える。狭軌の軌間より広いので線路そのものではないが、鉄道施設の一部だったことは間違いない。この右手に巴川口駅があったが、現在は浄化センターになっていて立入り不可である。

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さらに進んで工場地帯を抜け、国道150号と合流する地点で再び自転車道が始まった。以前は写真にも写っている鈴与という会社の協力で、左側の空き地辺りに当時の電車1両が展示されていたようだが、もう既に撤去されていた。

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海岸沿いに回り込んで三保の半島側に入り、しばらく進むと折戸駅跡がある。現在は公園として整備されている。

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更に半島の先に向かって自転車を漕ぐ。自転車に乗った高校生や、下校途中の小学生を多く見かけた。車が通らないので格好の通学路になっているようだ。小学生の女の子は、姿格好が「ちびまる子ちゃん」そっくりだ。そう、清水は原作者さくらももこの出身地なのだ。

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終点、三保駅跡に到着。ホームがそのまま残り、なぜか野良猫が何匹もたむろしていた。

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ディーゼル機関車DB152とタンク車1両が静態保存されている。

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いささか主客転倒になったが(笑)、この後、本来の目的である三保の松原を見物した。御穂神社に来臨する神様が通るという「神の道」。自転車は降りて歩くのが決まりだ。

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羽衣伝説で名高い「羽衣の松」。

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名勝三保の松原。何とか富士山のシルエットを拝むことが出来て、今回の旅は幸先の良いスタートとなった。

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10月15日 LSD44キロ
10月16日 LSD41キロ
10月18日 ジョグ10キロ

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2016/10/13

『タワーリング・インフェルノ』

Inferno_21974年米。スティーブ・マックイーン、ポール・ニューマン他。アマゾンの紹介文。

138階建て超高層ビルの落成パーティが大火災に襲われた! 地下の発電機から発生した炎は、執拗に攻め上がりながら世界最大のビルを、数百人の生命を飲み込む炎の地獄へと変えていった。逃げ惑う人々を救出すべく、消火隊隊長オハラハンは超人的な離れわざで、ビルの設計者ロバーツは研ぎ澄まされた知性で、生死を賭けた闘いに挑む。(引用終わり)

『ポセイドン・アドベンチャー』と同じアーウィン・アレン製作によるパニック映画の最高傑作とされる作品。想像を絶する災難の中で繰り広げられる人間ドラマ、迫力ある映像と音楽(ジョン・ウィリアムズ)は『ポセイドン…』を凌駕し、スピード感溢れる展開は165分の長尺を全く感じさせない。

なかでも、マックイーン演じる消防隊長が、冷静かつ的確な判断をテキパキこなしていくところがとても格好良かった。強く逞しく頼りになるヒーロー像が、1974年時点のアメリカではまだ健在だったのだ。

ところで、高層ビルの保安主任役で、元フットボール選手のO・J・シンプソンが出演していて、なかなか渋い演技を披露している。彼は20年後の1994年、元妻を殺害した容疑で逮捕され、全米で大きな関心を集めた。ちょうど自分がアメリカに滞在していた頃で、各メディアが中間選挙そっちのけで連日報道していたのを思い出す。

さて、明日からまた東海道街道走りに出かけるので、次回更新までしばらくお待ちを。

10月11、13日 ジョグ10キロ

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2016/10/09

何をいまさら五本指

先日、ユニクロのバーゲン品で五本指ソックスを買った。2足セットで税別790円。昔はランナーズの通販で買ったのをレース用に使ったものだが、確か1足2000円弱だった。ユニクロなら優に4足は買える計算になる。まさにユニクロ万歳!である。

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何をいまさらの五本指だが、同じユニクロのショートソックスはあまりに短く、踵がシューズと擦れて出血することがあったので、代わりを探していたのだ。これなら大丈夫だろう。早速、一昨日久々に吉野LSDに行った際に使ったが、足指部分の脱ぎ着がやや面倒な以外、使用感は良好である。

それにしても、以前は午前中だけでサクっと行っていた吉野がはるか遠くなってしまった。昼前に家を出て、帰るともう日が暮れている。復路では何度も休憩を入れないと、股関節が固まって動かなくなる始末だ。身体への負担を考えて夏場は避けていたツケかもしれないが、改めて体力の衰えを痛感した。

10月7日 LSD40キロ
10月9日 ジョグ10キロ

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2016/10/06

お茶と栗羊羹

今年の春から日本茶を毎日飲んでいるけれども、近所のスーパーなどで売っている茶葉を何種類か試してみて、今のところ成城石井オリジナルの宇治茶に落ち着いている。100gで千円ちょっとするが、それ以下の商品では香りや甘みが不足して美味しくないのだ。

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今回はついでに栗羊羹もあわせて購入。ちゃんと淹れたお茶を飲んでいると、なぜか上品な甘さの和菓子が恋しくなる。糖質は極力控えている自分だけれど、体重に影響しない範囲で、体が欲するものはOKということにしておこう。宇宙飛行士が「宇宙でも、”栗ようかん”と緑茶のコンビネーションは最強だ」とか言っているCMもあったことだし。(笑)

10月4日 ジョグ10キロ

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2016/10/03

『髪結いの亭主』

Coiffeuse_21990年仏。パトリス・ルコント監督。ジャン・ロシュフォール、アンナ・ガリエナ。アマゾンの紹介文。

少年時代に豊満な女性理髪師に憧れたアントワーヌは、以来、女の理髪師と結婚する夢を抱き続けてきた。中年を迎えた彼はついに美しい女性マチルドに出会い、見事、理髪店の主人に収まることに。人間味に溢れた顧客たちにも恵まれ、愛に溢れた10年がすぎるが、ある雷雨の日、マチルドは……。(引用終わり)

だいぶ前に書いた記事にあるように、散髪に行けば少なくともその日は気分良く過ごすことができる。まして、髪を切ってくれるのが色っぽい女性だったとしたら、アントワーヌ少年ならずともそこは地上の楽園のように映るだろう。

長じてもその夢を強く念じ続けることで叶えた彼は、働きもせずどこにも出かけず、日がな一日、理髪店の待合ベンチでクロスワードをしながら、女房の働きを眺めて暮す。日本でも半ばやっかみを籠めて言われる「髪結いの亭主」を地で行く生活を続けるのである。稼業への貢献と言えば、お得意のアラビア風ダンスでむずかる子供客をなだめることぐらいだ。

以下、ネタバレを含む感想。

10月1日 ジョグ10キロ

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