道の駅を早々にお暇して旧道に戻り、一路掛川宿に向かう。国道1号掛川バイパスを越えたところに、寛保2年の銘がある「福天権現本(道)」の道標がある。骨太で特異な字体が面白い。

県道に合流してさらに西進すると、JA支所の前に「大頭龍大権現」「福天大権現」の道標がある。先のものと字体等が類似しており、同じ頃に建立されたものらしい。

逆川を越えたところに創業約200年の菓子処「もちや」があり、振袖餅というのが名物だというので立ち寄ってみた。午前中で売り切れることが多いそうだが、この日は幸いまだ残っていたので早速賞味した。1個120円。また食べてる。(笑)

餅もさることながら、サービスの冷茶が驚くほどおいしい。さすがはお茶どころ掛川である。
掛川宿に入るところに「新町の七曲り」があり、街道をわざと何度も曲がるようにしてある。「真田丸」でもやっていたが、これは外敵を容易に進入させないための仕掛けなのである。

ここは少し不安だったので事前に Google のストリートビューで確認しておいた。おかげで道に迷うことはなかったが、一方で既視感というのか、もう何度か来たことがあるような感覚を味わい、初めての場所を探訪する新鮮さが少し殺がれた。便利なものも良し悪しである。
逆に、掛川宿を抜けたあと街道が斜め右に曲がる地点で、まだ地図に載っていない新しい道が出来ていて、一瞬迷ってしまった。川筋や寺の位置から判断して事なきを得たが、こういうハプニングが旅の面白さでもある。
この先、秋葉山への参詣道との分岐点となる大池橋を渡る。広重は風の強い日にここを通る人々を描いている。

右斜め前方に描かれている秋葉山は、現在は全く見えない。

橋を渡ってさらに西進し、天竜浜名湖線のガードを潜り、東名高速の高架を潜ると、見事な松並木が現れた。車もほとんど通らず、旧街道の雰囲気をよく残している。

この先、一旦国道1号に合流して同心橋を渡ると袋井市に入る。再び旧街道に復すると、また見事な松並木が続いているが、国道の抜け道になっているのか、ここは結構交通量が多い。

この先、約1キロの間で、こんな感じの道標が、確認できただけで7基もあった。まるで道標銀座(?)である。

この辺りまではいい感じだったが、袋井宿に入ってすぐ、袋井市総合センターという役所の建物が街道の真上に建っていて、迂回を余儀なくされた。
旧道に復帰するところに、「どまん中茶屋」なる施設があった。袋井宿が江戸からも京からも27番目、ちょうど真ん中に位置することから名づけたようだが、もちろん最近になって作られたものだ。茶屋というより、観光案内所のようなものだ。

少し覗いて写真を撮っていたら、係りの人がわざわざ出てきて、お茶を飲んでいけと盛んに勧める。当方としては、往時のものかそれを復元したものしか興味がないので、適当にお茶を濁そうとするが、かなりしつこい。平成の留め女か。(苦笑)
何とか振り切って街道を行くと、今度はこんな巨大な看板が掲げてある。

旧東海道を観光の起爆剤にという意図は分かるけれども、市役所自身が旧街道を潰しておきながら、作り物めいた施設で観光客を呼ぼうという姿勢は頂けない。前述の島田市を見習ってほしいものだ。
広重は宿場の西外れの様子を描く。

高札場を復元してあるが、今は住宅が建ち並んで、街道に往時の面影はない。

県道をひたすら西進すると、今回の行程で初めて立派な一里塚跡があった。江戸から61里。それでもまだ全行程126里の半分に満たない。快適な木陰が子供の遊び場になっている。

太田川を渡った先で、江戸、明治、大正各時代の道路に分岐する箇所があり、ここも道に迷う可能性があったが、ストビューのおかげで難なく通過。分岐点に「従是鎌田山薬師道」と刻む道標があった。

間もなく見付宿(現在の磐田)に入る。「見付」とは、京から来た旅人がここで初めて富士山を目にするという意味で、実際、旧街道沿いに富士見町という町名がある。街道筋の今の風景。

街道沿いに建つ旧見付学校。明治8年落成で、現存する日本最古の木造擬洋風小学校校舎だそうだ。映画のロケとかに使えそうだ。

文化2年に脇本陣となった、旅籠屋大三河屋の門の実物が、平成19年に移築復元されている。

旧東海道のバイパスである姫街道との分岐点で左折し、JR磐田駅前まで一気に走って、今回の行程を無事に終えた。
10月26、27日 ジョグ10キロ
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