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2016/07/19

湧網線(東線)廃線ラン

今回の北海道旅行の主たる目的は湧網線(東線)の廃線ランである。以前、サロマ湖ウルトラマラソンからの帰り道にその存在を知って以来、いつかは走ってみたいと思っていたのだ。

中湧別-網走間を結ぶ湧網線は昭和28年に全線開通した。昭和7年の着工から数えて、太平洋戦争による中断を挟んで実に21年もかかっている。ブラームスの第1交響曲にも匹敵する(?)長年に亘る努力の成果なのだ。

それにもかかわらず、御多分にもれず沿線の過疎化とモータリゼーションの進展により利用客が減少し、国鉄民営化直前の昭和62年3月19日をもって全線廃止となったものである。

そのうち常呂-網走間約31キロの湧網東線は、大部分がオホーツクサイクリングロードとして整備されていて、私が走った前の週末には、ここをコースの一部とするサイクリング大会が開催されたそうだ。ただ、この日は雨のせいもあって、網走付近でディスタンスチャレンジのランナー数人に出会った以外、コース上で1台の自転車も1人のランナーも見かけなかった。

常呂町内、ウルトラマラソンのフィニッシュ地点近くの道路脇から網走に向けてスタート。ここから画面手前の中湧別方は既に廃線跡は失われ、途中何箇所かで駅舎などの遺構を残すのみとなっているようだ。

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間もなく常呂駅跡の常呂交通ターミナルに到着。現在は鉄道代替のバス路線が運行され、その停留所として利用されている。以前は船のような形をしていたと思うが、建て替えられたのだろう。清潔なトイレや飲料自販機があって助かった。

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この先、サイクリングロードは一旦国道238号に合流する設定となっているが、自分は常呂漁港のある海岸沿いの集落内を走る。こちらが本来の廃線跡に近いからで、高台を走る国道まで上がるのがイヤだったからではない。(笑)

集落を出たところでようやく本来の廃線跡に入る。「天に続く道」同様、はるか彼方まで直線道路が伸びていて、一瞬気が遠くなる。(苦笑)

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いかにも北海道という風景の中をひたすら走り続ける。

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やがて、次の能取(のとろ)駅跡に到着。ホーム跡が残っているのは、ここと卯原内(うばらない)の2駅のみで、それ以外は駅の位置すら確認できなかった。

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この先、左手に能取湖を望む区間に入るが、単調な景色が続く上に、次第に雨が激しくなり、やや辛いものがあった。遠くて写真は撮れなかったが、サギの仲間と思われる水鳥が干潟で羽を休めているのが見えた。

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能取湖を西岸沿いに約半周して、ようやく卯原内駅跡に到着。付近は鉄道記念公園として整備され、9600形蒸気機関車とオハ47形客車1両が静態保存されていた。

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ただ、鉄道記念館の建物内は無人で、2階の展示スペースにも鍵がかかっていた。来訪者があまりに少なく、実質的に閉鎖されているのだろう。

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やがて能取湖に別れを告げ、二見ケ岡という低い峠を越えると、今後は右手に網走湖が見えてくる。国道238号を越える湖眺橋(こちょうばし)の上から網走湖を望む。

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間もなく網走川を渡って網走市街に入る。レンガ風の欄干は多分刑務所をイメージしたものだろう。この橋を渡ったところ大曲駐輪場があり、自転車専用道としてはそこまでだが、廃鉄ファンとしては更に網走方に進む。

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石北本線との合流点付近。優雅にカーブする道が明らかに廃線跡と分かる。写真右手から左奥にかけての山裾を石北本線が走っていて、湧網線はこれに合流する形で網走に向かっていた。合流点には大曲仮乗降場があったそうだが、その痕跡は全くない。

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この後は国道39号の歩道を走って終点網走駅に到着。レンガの壁といい「網走駅」の字体といい、まるで刑務所である。(苦笑)

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あいにく雨に祟られたが、念願の廃線ランを果たすことができ、今回の旅行のハイライトが無事終了した。

7月17、19日 ジョグ10キロ

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