東海道を走る その7(沼津~吉原)
2日目は沼津を8時前に出発。蛇松線跡を少し覗いてみる予定だったが、前日に終えているのでスルー。この日は少々急いでいたので助かった。その理由は後ほど。
沼津の市街地を外れると、後はまっすぐ伸びる県道をひたすら西進するのみとなる。前日は石畳と藪道ばかり走ったが、この日は狭い歩道の側溝の蓋の上ばかり走った気がする。
次の宿場である原に到着。広重の当時は文字通り何もない原っぱの向こうに富士山を望む風光明媚な場所だったようだが、今日では住宅等が建ち並び眺望はあまり良くない。それでも、広重が画面からはみ出させた富士山の頂上が、雲の隙間から僅かに顔を出してくれた。
街道沿いにある高嶋酒造が、酒の仕込みに使う「富士山の霊水」を無料で提供していて、近所の人がペットボトルに水を詰めていた。午前中から陽射しが強く、渇いていた喉にまろやかな名水が心地よかった。
ウエストポーチのボトルにも詰めておいたおかげで、午前中いっぱいは霊水パワーが持続したように感じたが、もしかすると水汲み場を案内してくれた高嶋酒造の女性が大変な美人だったせいかもしれない。(笑)
この先の海岸は万葉集にも歌われた田子の浦で、街道が海に近づいた辺りで防潮堤を登って海岸まで出てみた。
間もなく次の宿場、吉原に到着する。吉原宿は当初は海岸沿い、現在のJR吉原駅付近の元吉原にあったが、寛永16年の津波で壊滅。再発防止のため内陸側の中吉原に移転したが、ここも延宝8年の津波で壊滅して、更に内陸の現在の吉原本町付近に再び移転したという歴史を持つ。
そのため、昔は海岸近くを通っていた東海道は、内陸側に大きく迂回するルートを辿ることになった。今も東日本大震災からの復興で、住宅地や鉄道の内陸移転が進められているが、まさに「歴史は繰り返す」のである。
広重は吉原名物の左富士を描いている。この辺りが中吉原に当たり、街道が内陸に迂回したおかげで、江戸から行くと通常右側に見える富士山が左に見えるのだが、残念ながら再び雲で隠れて全く見えなかった。
吉原宿を抜けて間もなく、富士川を渡る手前で久々に道標を発見した。「左東海道」とあるが、実際の方角と一致しない。別の場所から移転したものだろう。
富士川を越えても静岡県、旧駿河国に変わりはないが、実は電気の周波数は富士川を境に50Hzから60Hzに変わる。従来の供給エリアで言えば、東京電力から中部電力に変わるわけだ。その意味では、東西の境界のひとつを越えたことになるだろう。まだまだ先は長いが。(笑)
5月8、10日 ジョグ10キロ
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