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2016/05/31

@niftyリサーチ

今年2月末、@niftyリサーチなるものに会員登録した。ネットで随時送られてくるアンケートやクイズに答えると、その都度15コインとか20コインをもらえて、これが5000コインになると500円分のネット使用料に充当できるという仕組みである。

ちょっとしたスキマ時間が出来たときなどに気が向けば答えるだけ良く、新着アンケートのメールが頻繁に来るものの、それ以外はノルマも催促もないので気楽だ。ポップアップの広告が煩わしいが、これがあるからコインをもらえるので仕方ないだろう。

アンケート結果はどこかの企業がマーケティングに使ったりするのだろう。また、某クイズ番組のパーセント問題の出典になったりしているのかもしれない。だとしたら、実にいい加減な統計に基づいているわけだ(笑)。クイズは簡単なものが多いが、たまに勉強になる場合もある。

登録から約3か月経過して、このほどようやく5000コインを達成した。時間給にすると微々たる額でしかないが、退職してから初めて自分で稼いだお金は貴重だ。(笑)

5月30日 ジョグ10キロ
月間走行 210キロ

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2016/05/28

『Nのために』

For_n_2湊かなえ原作のドラマ。同じ原作者の『夜行観覧車』同様、TBS系金曜22時の「金曜ドラマ」枠で2014年10月期に放送された。公式サイトの紹介文。

高層マンションに住むセレブ夫妻、野口貴弘(徳井義実)・奈央子夫妻(小西真奈美)が殺害された。その現場に居合わせたのは“ある計画”を立てた大学生の希美(榮倉奈々)、成瀬(窪田正孝)、安藤(賀来賢人)、西崎(小出恵介)。その場で西崎が逮捕され、自供から有罪が確定し、懲役10年が言い渡された。
それから10年後、この事件の判決に疑いを抱く元警察官・高野(三浦友和)は、事件の真相を追い始める。この事件は15年前の夏、瀬戸内海に浮かぶ島で、希美と成瀬が起こした“ある事件”からすべてが始まっていると高野は確信していた。
「彼らはあの時、罪を犯した。それぞれのNのために」 (引用終わり)

複数の人間が絡み、過去と現在を行きつ戻りつする構成は、いかにもこの原作者らしい。一方で、ある日突然父が愛人を家に連れて来て、妻子が家から追い出されたり、資産家に接近しようとした矢先、それが就職内定先の課長であることが判明したりといった、少し不自然な設定は、彼女の他の作品でも散見されるところだ。

しかしながら、登場人物のその時々の心情が丁寧に描かれているため、それほど違和感なく観られた。4人の俳優たちの落ち着いた演技にも好感が持てた。瀬戸内ロケによる美しい映像も特筆すべきだろう。ただ、ミステリーの謎解きとしては呆気ないというか、もう少し周到な伏線とひとヒネリが欲しかった気がする。

5月26日 LSD20キロ
5月28日 ジョグ10キロ

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2016/05/25

アは朝日のア

先日、ひらがなの「た」を電話で相手に伝える必要があり、「たばこ」の「た」と説明した。うろ覚えだったが、後で調べたらそれで正しかった。ただ、他の仮名はほとんど知らなかったので、この機会に全部覚えてみようと思い立った。

正式には「通話表」と言い、総務省令無線局運用規則という法令で決まっているそうだ。歪や雑音が多い無線電話で文字を読み上げる際に正確を期すためのもので、電話で電報を依頼するとオペレーターはこれを使って復唱する…はずである。

「○は何々の○」の何々だけを書くと、

朝日、いろは、上野、英語(鉛筆とする資料も)、大阪
為替、切手、クラブ、景子、じゃなかった(笑)景色、子供
桜、新聞、すずめ、世界、そろばん
煙草、千鳥、つるかめ、手紙、東京
名古屋、日本(にっぽんと発音)、沼津、ねずみ、野原
はがき、飛行機、富士山、平和、保険
マッチ、三笠、無線、明治、もみじ
大和、弓矢、吉野
ラジオ、りんご、留守居、れんげ、ローマ

この後はややこしいので略さず書くと、
ワはわらびのワ、ヰはゐど(井戸)のヰ、ヱはかぎのあるヱ、ヲは尾張のヲ、ンはおしまいのン、である。

旧郵政省が管轄していた無線や郵便関係の用語が目立つが、いささか古風な言葉も多い。今時「そろばん」や「マッチ」を使っている人は少ないだろうし、「手紙」や「はがき」もあと何十年かすると「それ、何ですか?」となりかねない。というか、そもそも電話で文字を読み上げる必要自体がなくなるかもしれない。

5月23、24日 ジョグ10キロ

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2016/05/22

『贖罪』

Shokuzai_2湊かなえ原作。WOWOWの連続ドラマWで2012年放映。黒沢清監督。公式サイトの紹介文。

15年前、ある田舎町で小学生の少女エミリ(木村葉月)が男に連れ去られ、殺される事件が発生した。直前までいっしょに遊んでいた仲良しの小学生4人(小俣絵里佳、木村真那月、菊池和澄、柴田杏花)は第一発見者になる。犯人は見つからず、事件は迷宮入り。エミリの母・麻子(小泉今日子)は、目撃した犯人の顔をよく思い出せない4人を責め「犯人を見つけなさい。でなければ、私が納得できるような“償い”をしなさい。」と激情の言葉を投げつける。事件への恐怖、麻子の言葉へのショックを抱えながら、それぞれの道を歩み大人になった4人(蒼井優、小池栄子、安藤サクラ、池脇千鶴)。「“償い”とは何か?」という呪縛にとらわれてきた彼女たちは、やがて連鎖する悲劇を引き寄せていく。(引用終わり)

小学生時代に友達が殺された事件の責任を大人になっても負い続け、その償いを果たすという全体のストーリーからして現実味がないし、個々のエピソードはもっと不自然な話ばかりで、ミステリーとしてはほとんど破綻している。

それにもかかわらず、ドラマとしてはよく出来ていて、筋はさておいても最後まで観られる作品に仕上がっている。丁寧に作りこまれた映像、音声ともに大変美しく、特に背景を含めて「光」と「影」を効果的に使っているのに感心した。4人の女優の中では、独特の存在感がある安藤サクラが、異形とも言うべき迫真の演技を見せている。

TVドラマとしては珍しく、海外の複数の映画祭でも上映され、2012年の東京ドラマアウォードでは作品賞優秀賞および演出賞を受賞したそうだ。

5月19、21日 ジョグ10キロ

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2016/05/19

『拍手のルール』

Applause副題「秘伝クラシック鑑賞術」。「もぎぎ」こと茂木大輔著。アマゾンの紹介文。

クラシックの敷居は高い? ほかのお客さんは音楽がすごく解っているようだが? 正しい拍手のしかた、指揮者によって何が違う? 楽譜が読めないと音楽は解らないのか? など…。知りたかった疑問にお答えまします。(引用終わり)

ご存じ、N響首席オーボエ奏者にして、「のだめカンタービレ」の音楽監修を担当するなど、クラシック音楽の普及にも力を入れる茂木氏によるクラシック入門書である。ユーモアを交えた、軽妙で肩の凝らない文章ながら、書かれていることはかなり本格的である。

年季だけは入ったクラシックファンである自分としては今更の感もあるが、「フライング拍手」について書かれた部分に興味を抱いた。是正される兆しもないではないが、本当に何とかならないものか。それは演奏者側にとっても同じのようだ。

演奏者にとっても、1時間をこえるような大作交響曲を準備し、集中し、必死で演奏し、ついに最後の美しい瞬間に到達したその達成感、満足感は、この数人、一人の行為でみごとに破壊されてしまう。(112頁)

では、それをやめさせる手立てはないものか。もぎぎ先生が提唱するのは、次のような対策である。演奏会鑑賞免許制度、喝采安全信号機、指揮者の聴衆管理、場内アナウンス。実現性や効果はともかくとして、演奏家にそんなことまで考えさせるほどの迷惑行為ということだ。

ところで、フライング拍手に要注意の楽曲リストも添えられていて、その中で、ドヴォルザークの交響曲第8番ト長調の最後の1小節が、GP(ゲネラルパウゼ=全楽器休止)となっているとの指摘があった。知らなかったなあ。当時もフライング拍手する聴衆がいて、ドヴォルザークは業を煮やしていたとか。まさかね。

5月17日 LSD40キロ
5月19日 ジョグ10キロ

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2016/05/16

東海道を走る その8(吉原~興津)

富士川を渡ったところにある光栄寺の前に享保16年の道標があり、「身延山道 身延江三里」などとある。「身延山」は山梨県身延町にある日蓮宗総本山久遠寺のことだとすれば、とてもここから「三里」などという距離ではないのだが。

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岩淵村を抜けて東名高速と新幹線の下を潜り、さらに東名高速を今度は橋で越え、新坂をだらだらと下っていくと蒲原宿に至る。街道をカラー舗装にして、由緒ある建物には案内板を立てるなど、旧宿場町の風景を保存しようという意気込みを感じる。

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広重は夜の雪景色を描いているが、温暖な土地なので実際は雪が降ることも滅多にないそうだ。

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ところで、この絵を図柄にした国際文通週間シリーズの記念切手が、昭和35年に発行されている。子供の頃に切手を集めていて、「蒲原」はかなり値打ちがあったのを記憶している。

蒲原宿の西の外れに古い街道の痕跡が残っている。写真右側の細い路地がそれで、この先が旧蒲原宿であったが、元禄12年の大津波で壊滅したため、現在の山側に移転した。そのため、街道も迂回ルートを辿っている。

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再び単調な県道をひたすら西進。並行する東海道本線の駅名は、宿場町の最寄りが「新蒲原」、由比との中間の辺鄙な場所が「蒲原」となっている。これは、東側の富士川駅との駅間が短かいため、当初は新蒲原駅がなかったからだそうだ。

やがて由比宿に到着。本陣跡は公園として整備されている。東海道廣重美術館も併設されているが、基本的に入場料、拝観料を取る施設には入らない主義(どんな主義や)の上、この日は先を急いでいたのでパス。

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本陣前の馬の水呑場は、馬ならぬ亀たちが占領して甲羅干ししていた。本陣向かいにある正雪紺屋は、慶安の変の首謀者由比正雪の生家とのことである。

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さて、宿場を抜けてしばらくすると、由比漁港付近を通る。名物桜えびがちょうど春の漁獲期を迎えたところで、折角なので東海道線と国道バイパスを潜って漁港に出る。写真左の「浜のかきあげや」で桜えびのかきあげを食するのを、この日2番目の楽しみにしていたのだ。ただ、営業時間が15時までなので、道中を急いでいたというわけだ。(笑)

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その甲斐あって、漁港に到着したのは14時前だった。念願のかきあげ蕎麦にありつくことが出来たが、一部売り切れのメニューもあったから、もう少し遅かったらどうなっていたか分からない。大きなかきあげが2枚入っていて、口の中が香ばしさで一杯になった。

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えびの香りが残るダシまで完食して塩分補給を済ませ、再び街道筋に戻る。JR由比駅付近を通過した辺りから次第に登りがきつくなる。写真は、分岐点にある一里塚跡を由比方向に眺めたところ。江戸からついに40里となった。右手の建物は望嶽亭といい、官軍に追われた山岡鉄舟が逃げ込み、清水次郎長の手引きで脱出した逸話があるそうだ。

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いよいよここからがこの日一番の楽しみにしていた薩埵(さった)峠である。広重の「由井」も、あえて宿場から離れたこの場所から富士山を望む絶景を描いている。

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しかし、この日は残念ながら肝心の富士山は裾野しか望むことが出来なかった。近くで道路工事をしていたお兄さんに、「昨日はよく見えていたよ」と声をかけられたが、それに合わせて奈良から来られるわけはないので致し方ない。

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それでも、広重の構図が決して誇張ではないと思えるほどの急斜面で、下を走る東名高速が奈落の底のように見える。広重の絵の左上で、山の中腹の細い道を恐々と進む旅人の気持ちがよく分かった。

しばらく待っても富士山を隠す雲は霽れないので、文字通り後ろ髪を引かれる思いで峠を下り、次の宿場である興津(おきつ)に到着した。広重は興津川を渡る力士の姿を描いている。

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実はこの絵は、街道から少し離れた山側から河口方向を眺めている。同じ構図を求めて、自分も少し寄り道してみた。

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興津宿は今では古い旅館が1軒あるのみで、興津川河口近くの温泉施設に泊まることにした。駿河湾を見下ろす広々とした天然温泉の大浴場で2日間の疲れを癒した。

5月14、15日 ジョグ10キロ

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2016/05/13

ショスタコーヴィチ交響曲全集

Shostakovich_3だいぶ以前に、自分の音楽理解がようやく20世紀に入ったというを書いた。その後、さしたる進展はないけれど、最近ショスタコーヴィチの交響曲全集、CD11枚組を衝動買いした。ハイティンク指揮、コンセルトヘボウ管およびロイヤルフィル。1枚500円しないという値段に惹かれた。(笑)

何も知らずにただ聴いたのでは理解しづらい複雑な構成に加え、作曲者を取りまく時代背景や社会情勢と切り離せない作品ばかりで、音楽之友社刊『作曲家別名曲解説ライブラリー』を片手に、第1番から第15番まで順に聴いていった。

これまでよく聴いた第5番以外で特に印象に残ったのは、第1、第9、第10、第15番といった辺りだが、第4、第8番もまた聴いてみたいと思った。半音階を多用し調性と無調のはざまを行き来する独特のメロディライン、執拗に反復される同じリズム、多彩な打楽器の活用など、全ての曲に共通するいくつかの特徴は、一種の「ショスタコ節」と言えるかもしれない。

音友の解説本で諸井誠氏が書いているように、全体としてマーラーから強い影響を受けたことは明らかである。ただ、その活動の場がウィーンから遠く離れたソヴィエトだったことは、運命の皮肉というほかない。終始ソ連政府の統制を受け、公開の場で自作が討議されるなどという、芸術家にとってはタマラン状況にも耐えつつ、しぶとく生き抜いたショスタコはただの天才作曲家ではない。

さて、交響曲と並んで、彼の創作の大きな柱である弦楽四重奏曲も、近いうちに聴いてみようと思っている。きっと、そのうち耳に「タコ」が出来るに違いない。(笑)

5月12日 ジョグ10キロ

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2016/05/10

東海道を走る その7(沼津~吉原)

2日目は沼津を8時前に出発。蛇松線跡を少し覗いてみる予定だったが、前日に終えているのでスルー。この日は少々急いでいたので助かった。その理由は後ほど。

沼津の市街地を外れると、後はまっすぐ伸びる県道をひたすら西進するのみとなる。前日は石畳と藪道ばかり走ったが、この日は狭い歩道の側溝の蓋の上ばかり走った気がする。

次の宿場である原に到着。広重の当時は文字通り何もない原っぱの向こうに富士山を望む風光明媚な場所だったようだが、今日では住宅等が建ち並び眺望はあまり良くない。それでも、広重が画面からはみ出させた富士山の頂上が、雲の隙間から僅かに顔を出してくれた。

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街道沿いにある高嶋酒造が、酒の仕込みに使う「富士山の霊水」を無料で提供していて、近所の人がペットボトルに水を詰めていた。午前中から陽射しが強く、渇いていた喉にまろやかな名水が心地よかった。

ウエストポーチのボトルにも詰めておいたおかげで、午前中いっぱいは霊水パワーが持続したように感じたが、もしかすると水汲み場を案内してくれた高嶋酒造の女性が大変な美人だったせいかもしれない。(笑)

この先の海岸は万葉集にも歌われた田子の浦で、街道が海に近づいた辺りで防潮堤を登って海岸まで出てみた。

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間もなく次の宿場、吉原に到着する。吉原宿は当初は海岸沿い、現在のJR吉原駅付近の元吉原にあったが、寛永16年の津波で壊滅。再発防止のため内陸側の中吉原に移転したが、ここも延宝8年の津波で壊滅して、更に内陸の現在の吉原本町付近に再び移転したという歴史を持つ。

そのため、昔は海岸近くを通っていた東海道は、内陸側に大きく迂回するルートを辿ることになった。今も東日本大震災からの復興で、住宅地や鉄道の内陸移転が進められているが、まさに「歴史は繰り返す」のである。

広重は吉原名物の左富士を描いている。この辺りが中吉原に当たり、街道が内陸に迂回したおかげで、江戸から行くと通常右側に見える富士山が左に見えるのだが、残念ながら再び雲で隠れて全く見えなかった。

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吉原宿を抜けて間もなく、富士川を渡る手前で久々に道標を発見した。「左東海道」とあるが、実際の方角と一致しない。別の場所から移転したものだろう。

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富士川を渡る。富士山は雄大な裾野しか見えない。

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富士川を越えても静岡県、旧駿河国に変わりはないが、実は電気の周波数は富士川を境に50Hzから60Hzに変わる。従来の供給エリアで言えば、東京電力から中部電力に変わるわけだ。その意味では、東西の境界のひとつを越えたことになるだろう。まだまだ先は長いが。(笑)

5月8、10日 ジョグ10キロ

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2016/05/07

蛇松線廃線探訪

沼津に予定より早く着いたので、一旦ホテルにチェックインしてシャワーを浴びてから、蛇松線(じゃまつせん)廃線跡の探訪に徒歩で出かけた。箱根を越えて走ってきた後で、明日の行程もあるので、廃線「走り」とはいかなかったが、そもそも緑道として整備された道を走るのはあまり適当でないだろう。

さて、沼津-沼津港間の約3キロを結んでいた東海道本線貨物支線、通称沼津港線または蛇松線は、東海道本線の建設資材を沼津港に陸揚げして輸送するため、明治20年に開業した。その後は海産物、漁船燃料や木材などを運んでいたが、例によってトラックへの代替により輸送量が減少、昭和49年に廃止となった。

沼津駅近くの沼津通運倉庫の構内にゆるやかなカーブを描く通路が残っており、位置から考えて明らかに廃線跡と分かる。

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まもなく廃線跡は蛇松緑道という名の遊歩道となり、近所の人が犬を連れて散歩する姿が見受けられた。ところどころ、ベンチや水道が設置されている。

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こうした緑道が延々と続くので、適当なところで引き返そうかと思いながら沼津港に近づいていくと、何と線路がそのまま残されている場所があった。

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沼津港の様子。折角港まで来たので、近くの「浜焼きしんちゃん」という店で夕食をとる。

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ホテルまで歩いて帰る途中、夕暮れの空に富士山がシルエットとなって浮かび上がっていた。思わず手を合わせたくなるような神々しさだった。

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5月5、7日 ジョグ10キロ

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2016/05/04

東海道を走る その6(箱根~沼津)

箱根峠から先は人っ子一人通らない藪道となった。おそらく江戸時代そのままの風景に違いないが、かつてこれが東西を結ぶ幹線道路であったとは信じがたい。また、ここまで石畳道が走りにくくて閉口していたが、石畳のない地道は所々ぬかるんでいて、それを改善するための工夫だったのかと得心がいった。

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さて、ここまでは道に迷うこともなく順調に進んできたが、山中城跡の先で何と工事のため旧道が通行止めになっていた。新道開通などにより旧道の一部が破壊されるのは珍しいことではないけれども、「キング・オブ・街道」の東海道でさえ例外ではないことを思い知る。

仕方なく指示どおり国道1号に迂回したが、おかげで駿河湾と伊豆半島を望む絶景を楽しむことが出来た。

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さらに、これまで雲に隠れていた富士山の頂上付近が見えるようになってきた。この辺りを富士見平と言い、その名に偽りなしというわけだ。

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付近には日本最長という観光吊り橋が出来ていて、平日というのに結構な人出であるが、それを尻目に旧道に復帰し、しばらくすると人里に降りてきた。「○○新田」という地名が続くのは、東海道の整備とともに農地開発が進んだ地域なのだろう。

新幹線と東海道本線を越える辺りを愛宕坂といい、ここでも旧道が復元されているが、石畳というよりは足裏マッサージみたいな丸石が敷かれている。思わず裸足になって3往復しなければと思ってしまった(笑)。近くのコンビニでコーヒー休憩を取る。

まもなく三島宿に入る。三島大社の大鳥居は広重時代とは違うのかもしれないが、構図としては大体この辺りと思われる。

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三島の市街地を抜けると、駿河との国境の境川を越えるが、その付近に千貫樋(せんがんどい)という史跡が残っている。街道と平行に伸びる水路が境川の上を横断している。

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近くまで寄って水路上を見たところ。カモがのんびり泳いでいた。

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この先に伏見の一里塚がある。日本橋から数えて二十九里。これまで見てきたうちでは最も立派な部類に入る。

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三島-沼津間は5.5キロと短く、現在では市街地が続いてしまっているので、次の宿場に入ったという実感がないまま、1日目の目的地沼津に到着した。富士山がさらにはっきりと見えている。

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広重の絵では、狩野川に注ぐ小川に架かる三枚橋が画面中央奥に描かれている。小川は今でも暗渠として流れ、三枚橋の遺構が残っていた。

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予定より早めに着いたので、ホテルで一息ついてから廃線探訪に出かけた。それについては稿を改める。

5月3日 ジョグ10キロ

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2016/05/01

『花の鎖』

Hananokusari映画、ドラマから入ったので、湊かなえの本を読むのは初めてだったが、東海道への往復の鈍行車中で一気に読んだ。アマゾンの紹介文。

両親を亡くし仕事も失った矢先に祖母がガンで入院した梨花。職場結婚したが子供ができず悩む美雪。水彩画の講師をしつつ和菓子屋でバイトする紗月。花の記憶が3人の女性を繋いだ時、見えてくる衝撃の事実。そして彼女たちの人生に影を落とす謎の男「K」の正体とは。驚きのラストが胸を打つ、感動の傑作ミステリ。 (引用終わり)

第一章から第六章のそれぞれの章で、上記3人の女性の物語が、最初は何の脈絡もないかのように語られるが、次第に彼女たちの関係性が明らかになっていく。きんつば、花、山、絵画など、いくつかのキーワードがその手がかりになる。

その構成は大変凝っていて、最後に全貌が明らかになり、ひとつの大きな流れの中に収束していくところは見事である。個々のエピソードについては迫力不足というか、若干ありきたりな感じがするけれども、それよりは全体の構成の妙を味わうべき作品なのだろう。

TVドラマ化もされたらしい。映像にするといきなりネタバレになりはしないかと思うのだが、DVDは出ていないようなので確かめようがない。

4月29日 ジョグ10キロ
月間走行 224キロ
5月 1日 ジョグ10キロ

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