« 『海街diary』 | トップページ | エキスポシティ »

2016/01/25

『の・ようなもの のようなもの』

Noyounamono1月16日封切。製作委員会、松竹配給。松山ケンイチ、北川景子、伊藤克信ほか。公式サイトの紹介文。

東京、谷中。30歳で脱サラ、落語家になるものの、いまだ前座の出船亭志ん田(松山ケンイチ)。師匠、志ん米(尾藤イサオ)の自宅に住み込み修行中だが、「小学生が国語の教科書を読んでいる」ような落語で、全然パッとしない。同居している師匠の娘、夕美(北川景子)に秘かな想いを寄せているが、彼女にはいつもイジられっぱなし。
ある日、志ん田は志ん米から、以前、この一門にいた兄弟子・志ん魚(伊藤克信)を探し出すよう命じられる。志ん米の師匠、志ん扇の十三回忌一門会に、スポンサーである斉藤後援会長(三田佳子)のご機嫌とりのため、彼女お気に入りの志ん魚を復帰させようという魂胆。
すったもんだの挙句、夕美と張り込んだ墓地で見つけ出した志ん魚は、落語とは無縁の生活を送る55歳の男になっていた。志ん扇が亡くなってから、もう二度と落語はやらないと誓っていた志ん魚の頑なな心を動かすべく、志ん米の命令で志ん田は志ん魚と男2人のおかしな共同生活を始めることに。
志ん田は、のんきに暮らしながらも、自分らしく、楽しく生きる志ん魚の姿に、自分の中に足りない何かを見つける。一方の志ん魚も、不器用ながらもまっすぐな志ん田の姿に昔の自分を重ね、忘れかけていた落語への愛を思い出すようになっていた。果たして志ん田は落語も恋も最高の“オチ”を見せることができるのか?(引用終わり)

故森田芳光監督の劇場デビュー作『の・ようなもの』(1981年)の35年後を描く。最初のシーンからオリジナルを踏襲しているし、登場人物がしょっちゅう何かを食べていたり、鉄道ネタがさりげなく織り込まれているなど、全体に森田色が濃厚に漂う。

ただ、商業映画に堕していないというか、徹し切れていないオリジナルは、ある種の猥雑さやアナーキーな味わいがあったが、本作では志ん田と志ん魚の世代を超えた絆が深まる物語を中心に、老若男女の誰もが楽しめる肩の凝らない作品に仕上がっている。

お目当ての北川景子は『間宮兄弟』の夕美に還ったかのようだったが、さすがに年齢を感じさせる(笑)。尾藤イサオ、でんでんらオリジナルのメンバーの他、鈴木京香、佐々木蔵之介、塚地武雅、ピエール瀧、仲村トオル、鈴木亮平といった「森田組」の面々が、チョイ役を嬉々として演じているのも見ものだ。

1月23、25日 ジョグ10キロ

|

« 『海街diary』 | トップページ | エキスポシティ »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 『の・ようなもの のようなもの』:

« 『海街diary』 | トップページ | エキスポシティ »