『紙の月』
わかば銀行から契約社員・梅澤梨花(41歳)が約一億円を横領した。梨花は発覚する前に、海外へ逃亡する。梨花は、果たして逃げ切れるのか? ――自分にあまり興味を抱かない会社員の夫と安定した生活を送っていた、正義感の強い平凡な主婦。年下の大学生・光太と出会ったことから、金銭感覚と日常が少しずつ少しずつ歪んでいき、「私には、ほしいものは、みな手に入る」と思いはじめる。夫とつましい生活をしながら、一方光太とはホテルのスイートに連泊し、高級寿司店で食事をし、高価な買い物をし・・・。そしてついには顧客のお金に手をつけてゆく。(引用終わり)
昔、三和銀行の女子行員が銀行から多額の金を横領して男に貢ぎ、その挙句逃亡先のフィリピンで逮捕された事件があった。おそらくはそれを下敷きにした作品だろう。ひとことで言えば、「金の持つ魔力」がテーマということになるだろう。本書にこんな記述がある。
お金というのは、多くあればあるだけ、なぜか見えなくなる。なければつねにお金のことを考えるが、多くあれば、一瞬でその状態が当然になる。百万円あれば、それは一万円が百枚集まったものだとは考えない。そこに最初からある、何かかたまりのようなものだと思う。そして人は、親に庇護してもらう子どものように無邪気にそれを享受する。(265頁)
光太との交際が始まるとともに服や化粧品への出費が増え、最初に彼と関係を持った翌朝、「やろうと思ったことをどのようにでもやることができる」万能感を覚えた梨花の心の箍が外れる。顧客からの信頼が厚いことを利用して、架空の定期預金証書を渡して現金を着服するに至り、内部検査が入る直前にタイに逃亡したところで終わっている。
全体は梨花自身に加え、岡崎木綿子(中学高校の同級生)、山田和貴(昔の交際相手)、中條亜紀(料理教室での友人)、都合4人のストーリーが交互に綴られる形になっている。関係者の目から見た梨花像を浮き彫りにするのが狙いかもしれない。しかし、だとすればいかにも中途半端で、せいぜい彼女のある一面を描いているに過ぎない。
それよりはむしろ、金の魔力に取り込まれ、一直線に犯罪に堕ちていった梨花ほどでなくとも、一部の大金持ちを除けば誰しも、大なり小なり「お金にふりまわされるような生活」を送っている。ふとしたことで落とし穴にはまるかもしれず、決して梨花だけが特別な存在ではないということを言いたいのではないか。
裕福な家に育ったため身の丈以上の買い物を続け、ついに消費者金融に手を出した和貴の妻牧子然り。一旦ブランドショップに入ると店員が勧める服や靴を全て買ってしまう、買い物依存症の亜紀然り。スーパーのチラシを丹念にチェックし、同窓会では余った食べ物を持ち帰るような倹約家の木綿子ですら、ついには娘がスーパーで化粧品を万引きしてしまうのである。
ところで、表題は英語では paper moon (紙で作った月)で、ここでは「他人の金で買ったまやかしの幸福」といった意味だと考えられるが、あるいは貨幣そのものの本質を言い当てているとも取れる。
1月12、14日 ジョグ10キロ
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