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2015/10/19

東海道を走る その2(神奈川~戸塚)

JR神奈川駅付近で国道15号と別れ、宮前商店街の通りを西に向かって進む。青木橋でJRの線路を越えてすぐ、東急東横線が地下化される前の廃線跡がある。遊歩道として整備されているのでトンネルの入口まで行ってみた。街道走りの最中に廃線ランも出来るとは、一石二鳥で言うことなしだ。(笑)

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その先はかなり急な坂で、その名も台町という。

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広重の時代、左側はすぐ内海だった。今の横浜駅付近にかけての街並みは、海を埋め立てて作られたのだ。

Kanagawa

建ち並ぶ旅籠の看板の中に「さくらや」とあるが、その流れを汲む文久三年創業の料亭「田中屋」が現在も営業中である。坂本龍馬の妻おりょうがここで働いていたそうで、彼女とは高千穂峰以来の再会だ。(笑)

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この先、街道は旧内海の海岸線に沿って左にカーブしながら進み、やがて八王子道との分岐点である芝生(しぼう)追分を経て松原商店街に入り、帷子川を渡ると相模鉄道天王町駅前の公園に旧帷子橋を模したモニュメントがあった。

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この先が保土ヶ谷宿で、広重はこの橋からの風景を描いている。

Hodogaya

JR保土ヶ谷駅前を通過してすぐ、金沢浦賀往還との分岐点である金沢横町に四基の道標が並んで立っていた。横浜市教育委員会による詳細な解説がある。右端は「円海山之道」とあり、天明三年建立、2番目は「かなさわ、かまくら道」とあり、天和二年建立、3番目は「杉田道 程ヶ谷の枝道曲がれ梅の花 其爪」と句が刻まれ、文化十一年建立、左端は「富岡山芋大明神社の道」とあり、弘化二年建立である。

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ここまで来てようやく出会えた道標たちに感激し、暫くの間飽かずに鑑賞していたが、ランニングの格好をして、いつまでも石にへばりついている中年男は、どこから見ても挙動不審者だ。(苦笑)

この先で東海道線の踏切を渡ると、国道1号に突き当たって右に曲がる。この辺りに本陣などが建ち並んでいたそうだが、一里塚の跡を除き今は全く面影がない。

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町外れで国道1号と別れ、いよいよ難所の権太坂に差し掛かる。権太坂の名前の由来には二説あるが、あまりに有名なのでここでは省く。その前にコンビニに立ち寄ってドーナツで燃料補給しておく。旧街道でも至るところにコンビニがあるので助かる。

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最初の急坂「一番坂」を登って後ろを振り返ったところ。明日に脚を残しておくためと自分に言い訳して、ここだけは歩いてしまったが、それにしても凄い坂だ。ちなみに箱根駅伝の選手が通るのはここを迂回する国道1号で、本来の権太坂ではないのである。

権太坂を登り切って街道から少し外れたところに投込塚がある。急坂の難所で行き倒れた旅人の死骸を投げ込んだという場所で、昭和になって再開発のために掘削したところ、実際に多くの人や馬の骨が出土したという。昔の人にとっては街道走りなどと呑気なものではなく、まさに命がけの旅路だったのだ。

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街道に戻るとすぐ境木地蔵があり、境内にある大欅が文字通り武蔵と相模の国境なのである。今の行政区では横浜市保土ヶ谷区から同戸塚区になるだけなのだが、旧国境を跨いでも同じ市というのは他にあるのだろうか。横浜市、デカすぎ!(笑)

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ここから焼餅坂、品濃坂と下っていく。京方面から来ると大変な登りだ。本当にこんな道を参勤交代の大名行列が通っていたのかと思ってしまう。

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坂を降り切って国道1号に合流したり分岐したりしながら進むと、ようやく戸塚の街並みが見えてくるが、途中こんな古い家が打ち捨てられたように残っていたので驚いた。今にもちょんまげ姿の人が中から出て来そうだ。

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戸塚に入る前に少し寄り道して妙秀寺という寺に立ち寄る。信仰心ゼロ、神社仏閣などほとんど興味のない自分にしては異例の行動だが、その理由はこれである。

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広重の絵で吉田大橋の手前、灯篭の右に描かれている道標の実物がここに移設されているのだ。実物の「左かまくらみち」が、絵では「左かまくら道」となっているが、記憶を頼りに描いているため、その程度の食い違いはあって不思議ではない。

Totsuka

現在の吉田大橋の様子。「こめや」は当然跡形もない。

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戸塚駅北側で東海道線を渡る「開かずの踏切」は今では廃止され、エレベーター付きの歩道橋で越えるようになっている。往時とは違って戸塚唯一のホテルという「相鉄フレッサイン」に、予定の午後5時きっかりに到着した。

日本橋から十里強、約43キロ。昔の旅人も前の保土ヶ谷かこの戸塚で1泊目となることが多かったようで、『膝栗毛』にも「お泊りはよい程が谷と留め女、戸塚前ては放さざりけり」という狂歌が出てくる。なお、「留め女」とは旅籠の客引き女のことである。

次回に続く。

10月18日 ジョグ10キロ

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