東海道を走る その3(戸塚~平塚)
戸塚駅西方を午前8時過ぎにスタート。この日も終日晴天に恵まれた。いきなり大坂というかなり急な坂が出迎えてくれる。それを登り切ると国道1号バイパス、通称ワンマン道路に合流する。戸塚駅の開かずの踏切に業を煮やした宰相吉田茂が作らせたという逸話がある道路で、エライ人の近くに住んでいると何かと便利なのだ。(笑)
合流点の歩道橋上からワンマン道路の東京方向を見たところ。少し分かりにくいが、正面の黄色い看板の釣具店付近が箱根駅伝の戸塚中継所となる。右から合流してくるのが旧東海道である。
しばらく国道1号をひたすら直進する。途中、お軽勘平の碑がある。仮名手本忠臣蔵の「戸塚山中道行の場」の舞台がこの辺りだという。
藤沢バイパスに入る国道1号と別れて県道30号に入ると、間もなく藤沢市である。右手に遊行寺を見て下る。箱根駅伝もここを走るが、相当な急坂だ。この辺りからが藤沢宿になる。
県道から鉤の手に右折、左折して(枡形というらしい)、遊行寺橋で境川を渡って振り返ったところ。
広重の絵は背景の遊行寺を誇張して描いている。手前の鳥居は江ノ島弁財天への鳥居で現存しない。
ここから西へ一本道だが、名称は国道467号、県道43号、県道44号とめまぐるしく変わる。四ツ谷でようやく国道1号に突き当たって合流する。大山道(右奥)との分岐点にあたり、四谷不動(大山道標)が祠の中に収められている。当時は大山参詣が大変盛んだったようで、その案内標識である。
祠の中の道標は正面に「大山道」、側面に「これより大山みち」とあり、延宝四年建立。初代のものは万治四年建立だが既に失われ、堂外に復元されたものが置かれている。「是与里右大山みち」とある。
国道1号を進むと、次第に見事な松並木が現れてきた。レスピーギが見たら、アッピア街道に続いて「東海道の松」を作曲したに違いない(笑)。よく見るとそれぞれの木には管理番号が付され、松枯れ予防の注射をした記録が貼られている。ちゃんと管理されているからこその美観なのだ。
茅ヶ崎市に入るすぐ手前にも大山参詣道との分岐点があり、民家の庭先に道標らしきものを発見した。一部は表面が剥がれて痛々しい姿であるが、後で調べてみると道標ではなく、西国三十三箇所巡礼を達成した記念に建てられた供養塔だそうだ。和歌らしきものが刻まれているが、さっぱり読めないのが悔しい。辛うじて享和三年の銘だけ確認できた。
茅ヶ崎高校前の見事な松並木。ここでも全ての木がきちんと管理されている。さすがは湘南、文化度が高い。
茅ヶ崎駅付近を通過、十間坂という緩い坂を登った辺りに「南湖の左富士」の碑があった。街道が北西に向かっているため、東海道では普通は右に見える富士山が左に見えるという名所である。左富士はここと吉原の2箇所しかないそうだが、残念ながら薄曇りで拝むことは出来なかった。
更に進んで相模川を渡る手前に、旧相模川橋脚跡がある。長らく水田に埋もれていたのが、関東大震災による液状化現象で地表に姿を現したという。その際の様子を再現したものであるが、本物は元通り地下に保存されていて、水面上に見えているのは複製である。
次回に続く。
10月20日 ジョグ10キロ
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