下津井電鉄廃線ラン
一昨日、岡山県の下津井電鉄の廃線跡を走った。同県内の廃線跡は片上鉄道に続いて2箇所目の訪問となるが、ここも片上と同様サイクリングロードとして整備されている。県民に鉄ちゃんが多いのだろうか。(笑)
下津井電鉄は岡山県倉敷市茶屋町から同下津井までの21キロを結んで大正3年に全線開業した。昔から金比羅参りの参詣客などが下津井から船で丸亀に渡っていたが、明治の末に国鉄宇野線が全通、宇野―高松間で連絡船の運航が始まると、下津井―丸亀航路の利用客は激減した。そのため、下津井ルートの旅行客を取り戻すべく、地元の有力者らが発起人となって、下津井から宇野線に接続する軽便鉄道路線を建設したのである。
戦後は電化され、昭和30年代には全盛期を迎えたが、その後はバス路線との競合などで利用者は減少し、昭和47年に茶屋町―児島間が廃止となった。さらに、瀬戸大橋線の開通が決定打となって、平成2年末をもって残る児島―下津井間も廃止された。
快晴に恵まれた10月28日正午過ぎにJR茶屋町駅付近からスタート。下津井電鉄の駅跡は全く痕跡をとどめていない。
自転車道の起点。軌間762ミリのナローゲージだったせいか、自転車道としてはやや狭く感じる。起点からの距離が500メートルおきに表示されていたが、なぜか7.5キロ辺りから先は表示がなくなった。設置が面倒くさくなったのだろう。(苦笑)
最初の天城駅も痕跡をとどめないが、2番目の藤戸駅跡はホームが残る。
やがて広い県道21号と合流し、瀬戸中央自動車道の水島ICの下を潜る。交通機関の勝者が、敗者を文字通り見下ろしている構図である。
稗田駅跡。駅舎跡は公園として整備され、近所の老夫婦がのんびり散歩していた。この先には両側が桜並木になっている箇所があり、花見シーズンには賑わうのだろう。役目を終えた鉄路が地元民の憩いの場になっているのは何よりだ。
まもなく児島駅跡に到着。中に入れるのは週末のみとのことで、入り口のシャッターは閉まっていた。
ガラス窓から中を覗いてみた。プラットフォームなどの遺構があるようだが、よく分からない。
実は、茶屋町から電車で先乗りしていた家内とここで待ち合わせていて、この先約6.5キロの区間は二人でのんびりと景色を眺めながら走った。未舗装の箇所が多く、昭和の匂いがしている。2両編成ぐらいの愛らしい電車が踏切を横切る光景が目に浮かぶ。
倉敷シティ病院の前も桜並木になっている。入院患者の目の慰めになっていることだろう。
瀬戸大橋線を潜ると眼下に海が見えてきた。児島競艇の先の琴海(きんかい)駅は、ホームから瀬戸内海を望める絶景の駅だったのだ。
この先、鷲羽山駅跡付近はかなりの勾配である。戦時中、燃料が不足していた頃は、乗客が降りて押していたそうだ。
鷲羽山駅跡から瀬戸大橋を望む。下電を廃止に追いやり、地域にはほとんど恩恵がないであろうこの巨大な構造物を、地元の人はどんな思いで眺めているだろう。
16時半前に下津井駅跡に到着。ナローゲージの線路が2本残されている。
ホーム横の空き地には使用されていた電車が何両か保存されているが、普段は立ち入り禁止のようで近づくことは出来ない。車庫(?)は巨大な温室のような作りだが、屋根が破れてしまって何とも寂しい風景だ。
10月26日 ジョグ10キロ
10月28日 LSD21キロ
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