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2015/10/30

下津井電鉄廃線ラン

一昨日、岡山県の下津井電鉄の廃線跡を走った。同県内の廃線跡は片上鉄道に続いて2箇所目の訪問となるが、ここも片上と同様サイクリングロードとして整備されている。県民に鉄ちゃんが多いのだろうか。(笑)

下津井電鉄は岡山県倉敷市茶屋町から同下津井までの21キロを結んで大正3年に全線開業した。昔から金比羅参りの参詣客などが下津井から船で丸亀に渡っていたが、明治の末に国鉄宇野線が全通、宇野―高松間で連絡船の運航が始まると、下津井―丸亀航路の利用客は激減した。そのため、下津井ルートの旅行客を取り戻すべく、地元の有力者らが発起人となって、下津井から宇野線に接続する軽便鉄道路線を建設したのである。

戦後は電化され、昭和30年代には全盛期を迎えたが、その後はバス路線との競合などで利用者は減少し、昭和47年に茶屋町―児島間が廃止となった。さらに、瀬戸大橋線の開通が決定打となって、平成2年末をもって残る児島―下津井間も廃止された。

快晴に恵まれた10月28日正午過ぎにJR茶屋町駅付近からスタート。下津井電鉄の駅跡は全く痕跡をとどめていない。

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自転車道の起点。軌間762ミリのナローゲージだったせいか、自転車道としてはやや狭く感じる。起点からの距離が500メートルおきに表示されていたが、なぜか7.5キロ辺りから先は表示がなくなった。設置が面倒くさくなったのだろう。(苦笑)

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最初の天城駅も痕跡をとどめないが、2番目の藤戸駅跡はホームが残る。

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やがて広い県道21号と合流し、瀬戸中央自動車道の水島ICの下を潜る。交通機関の勝者が、敗者を文字通り見下ろしている構図である。

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稗田駅跡。駅舎跡は公園として整備され、近所の老夫婦がのんびり散歩していた。この先には両側が桜並木になっている箇所があり、花見シーズンには賑わうのだろう。役目を終えた鉄路が地元民の憩いの場になっているのは何よりだ。

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まもなく児島駅跡に到着。中に入れるのは週末のみとのことで、入り口のシャッターは閉まっていた。

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ガラス窓から中を覗いてみた。プラットフォームなどの遺構があるようだが、よく分からない。

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実は、茶屋町から電車で先乗りしていた家内とここで待ち合わせていて、この先約6.5キロの区間は二人でのんびりと景色を眺めながら走った。未舗装の箇所が多く、昭和の匂いがしている。2両編成ぐらいの愛らしい電車が踏切を横切る光景が目に浮かぶ。

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阿津駅跡付近では地元の人が両側に花壇を作ってくれている。

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倉敷シティ病院の前も桜並木になっている。入院患者の目の慰めになっていることだろう。

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瀬戸大橋線を潜ると眼下に海が見えてきた。児島競艇の先の琴海(きんかい)駅は、ホームから瀬戸内海を望める絶景の駅だったのだ。

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この先、鷲羽山駅跡付近はかなりの勾配である。戦時中、燃料が不足していた頃は、乗客が降りて押していたそうだ。

鷲羽山駅跡から瀬戸大橋を望む。下電を廃止に追いやり、地域にはほとんど恩恵がないであろうこの巨大な構造物を、地元の人はどんな思いで眺めているだろう。

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16時半前に下津井駅跡に到着。ナローゲージの線路が2本残されている。

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ホーム横の空き地には使用されていた電車が何両か保存されているが、普段は立ち入り禁止のようで近づくことは出来ない。車庫(?)は巨大な温室のような作りだが、屋根が破れてしまって何とも寂しい風景だ。

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廃線ランはここで終わり。この後の行程については稿を改める。

10月26日 ジョグ10キロ
10月28日 LSD21キロ

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2015/10/26

高校駅伝を初観戦

いつも走っている橿原公苑周回コースは、高校駅伝奈良県大会のコースとなっていて、今年の大会が昨日行われた。本番を控えて練習中の選手に気持ちよく抜かれたことは何度もあるが、大会そのものはこれまで一度もナマで見たことがなかった。

今年はラン仲間のTさんの息子さんが出場するというので応援に出かけた。間近に見る選手たちの走りはピンからキリまで様々だが、一生懸命さだけはどの選手からもひしひしと伝わってきて、チーム競技としての難しさ、厳しさを実感する。

T君の力走には大変感激したのだが、応援に夢中になるあまり写真を撮り忘れてしまった。写真は別のチームの襷渡し風景である。T君は1周約2キロを7分ちょうどぐらいで4周回走り抜いた。自分は最盛期ですら1周だけ走って7分半を切るのがやっとだったというのに。比べるなって。(苦笑)

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全国的にはそれほどレベルの高くない奈良県は、例年同じチームの優勝が続いていたが、今年は女子で番狂わせがあった。駅伝というのは本当に何があるか分からない。

10月24日 ジョグ10キロ

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2015/10/23

東海道を走る その4(平塚~小田原)

平塚市に入ってすぐ、国道1号から分岐するところに十五里の一里塚を発見。昨日に続き、予定の半分まで来て正午近くになったので、その先のコンビニのカップラーメンで塩分補給する。

JR平塚駅付近はアーケードのある商店街になっていて賑わっているが、昔の平塚宿はさらに西へ進んだ市民プラザ近くにある江戸方見附跡辺りからである。

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再び国道1号に合流する地点が平塚宿の西端に当たる上方見附跡で、この先は大磯町に入る。背後に見えるこんもりとした山は高麗(こま)山で、名前のとおり高句麗からの渡来人が住み着いた場所らしい。

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とても印象的な形の山を、広重もやはり外せなかったと見える。

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花水橋を渡って高麗山の麓を進み、また一旦国道1号から分岐して化粧(けわい)坂を行く。両側に高い樹木が茂って人や車の往来も少なく、旧街道の雰囲気がよく残っている。東海道線を潜った先に大きな松が街道に覆い被さっている。支えもなしでよく倒れないものだ。この辺りから大磯宿に入る。

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広重の絵はここで雨を降らせている。曽我物語のヒロイン虎御前が十郎の命日に流す涙雨なのだとか。

Oiso

国道1号に合流し、大磯の街中に入る。町役場を過ぎた辺りに、日本三大俳諧道場の一つ鴫立庵がある。俳句の趣味はないけれども、さすがに風流な建物である。

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大磯宿を抜けて伊藤博文旧邸跡がある付近に、ひと際見事な松並木がある。舗装を剥がせば今でも旧東海道の風景が甦りそうだ。

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やがて二宮町を経ていよいよ小田原市に入る。車坂という坂を下り始めたら、目の前にいきなり相模湾の眺望が開けてきた。昔の旅人も思わず足を止めたに違いない。

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JR国府津駅近くで海岸に降りる階段があったので、波打ち際まで行ってみた。前方右手に次回最大の難所となる箱根連山が見えている。

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酒匂川を渡る。箱根連山の右奥に富士山がうっすらと見えている。

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広重の時代は橋はなく渡しである。箱根はかなり誇張しているが、富士山の見え方はそのままなので感心する。

Odawara

小田原市内に入り、二十里の一里塚跡のある辺りからが宿場となる。箱根駅伝の小田原中継所となる「ういろう本店」前で今日の行程を終える。夏の間故障で全く走れなかったので最後まで不安だったが、何とか完走できて良かった。しかし、自分が丸二日かけて走った行程を、駅伝ランナーは4人のリレーとはいえ僅か4時間少しで走り切ってしまうのだから、改めて恐れ入る。

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ホテルまで歩く途中で小田原城の横を通ったが、現在耐震改修工事中のため天守閣を望むことは出来ない。まあ、神社仏閣同様、城にもほとんど興味はないが。

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次回、小田原以降は来春の予定である。この調子で年2回のペースでいくと、京三条大橋まで3年かかり、自分は還暦を迎える計算になる。早期退職して良かったとつくづく思う、今日この頃なのである。(笑)

10月22日 ジョグ10キロ

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2015/10/21

東海道を走る その3(戸塚~平塚)

戸塚駅西方を午前8時過ぎにスタート。この日も終日晴天に恵まれた。いきなり大坂というかなり急な坂が出迎えてくれる。それを登り切ると国道1号バイパス、通称ワンマン道路に合流する。戸塚駅の開かずの踏切に業を煮やした宰相吉田茂が作らせたという逸話がある道路で、エライ人の近くに住んでいると何かと便利なのだ。(笑)

合流点の歩道橋上からワンマン道路の東京方向を見たところ。少し分かりにくいが、正面の黄色い看板の釣具店付近が箱根駅伝の戸塚中継所となる。右から合流してくるのが旧東海道である。

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しばらく国道1号をひたすら直進する。途中、お軽勘平の碑がある。仮名手本忠臣蔵の「戸塚山中道行の場」の舞台がこの辺りだという。

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藤沢バイパスに入る国道1号と別れて県道30号に入ると、間もなく藤沢市である。右手に遊行寺を見て下る。箱根駅伝もここを走るが、相当な急坂だ。この辺りからが藤沢宿になる。

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県道から鉤の手に右折、左折して(枡形というらしい)、遊行寺橋で境川を渡って振り返ったところ。

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広重の絵は背景の遊行寺を誇張して描いている。手前の鳥居は江ノ島弁財天への鳥居で現存しない。

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ここから西へ一本道だが、名称は国道467号、県道43号、県道44号とめまぐるしく変わる。四ツ谷でようやく国道1号に突き当たって合流する。大山道(右奥)との分岐点にあたり、四谷不動(大山道標)が祠の中に収められている。当時は大山参詣が大変盛んだったようで、その案内標識である。

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祠の中の道標は正面に「大山道」、側面に「これより大山みち」とあり、延宝四年建立。初代のものは万治四年建立だが既に失われ、堂外に復元されたものが置かれている。「是与里右大山みち」とある。

国道1号を進むと、次第に見事な松並木が現れてきた。レスピーギが見たら、アッピア街道に続いて「東海道の松」を作曲したに違いない(笑)。よく見るとそれぞれの木には管理番号が付され、松枯れ予防の注射をした記録が貼られている。ちゃんと管理されているからこその美観なのだ。

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茅ヶ崎市に入るすぐ手前にも大山参詣道との分岐点があり、民家の庭先に道標らしきものを発見した。一部は表面が剥がれて痛々しい姿であるが、後で調べてみると道標ではなく、西国三十三箇所巡礼を達成した記念に建てられた供養塔だそうだ。和歌らしきものが刻まれているが、さっぱり読めないのが悔しい。辛うじて享和三年の銘だけ確認できた。

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茅ヶ崎高校前の見事な松並木。ここでも全ての木がきちんと管理されている。さすがは湘南、文化度が高い。

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茅ヶ崎駅付近を通過、十間坂という緩い坂を登った辺りに「南湖の左富士」の碑があった。街道が北西に向かっているため、東海道では普通は右に見える富士山が左に見えるという名所である。左富士はここと吉原の2箇所しかないそうだが、残念ながら薄曇りで拝むことは出来なかった。

更に進んで相模川を渡る手前に、旧相模川橋脚跡がある。長らく水田に埋もれていたのが、関東大震災による液状化現象で地表に姿を現したという。その際の様子を再現したものであるが、本物は元通り地下に保存されていて、水面上に見えているのは複製である。

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馬入橋で相模川を渡ると平塚市。間もなく平塚宿である。

次回に続く。

10月20日 ジョグ10キロ

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2015/10/19

東海道を走る その2(神奈川~戸塚)

JR神奈川駅付近で国道15号と別れ、宮前商店街の通りを西に向かって進む。青木橋でJRの線路を越えてすぐ、東急東横線が地下化される前の廃線跡がある。遊歩道として整備されているのでトンネルの入口まで行ってみた。街道走りの最中に廃線ランも出来るとは、一石二鳥で言うことなしだ。(笑)

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その先はかなり急な坂で、その名も台町という。

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広重の時代、左側はすぐ内海だった。今の横浜駅付近にかけての街並みは、海を埋め立てて作られたのだ。

Kanagawa

建ち並ぶ旅籠の看板の中に「さくらや」とあるが、その流れを汲む文久三年創業の料亭「田中屋」が現在も営業中である。坂本龍馬の妻おりょうがここで働いていたそうで、彼女とは高千穂峰以来の再会だ。(笑)

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この先、街道は旧内海の海岸線に沿って左にカーブしながら進み、やがて八王子道との分岐点である芝生(しぼう)追分を経て松原商店街に入り、帷子川を渡ると相模鉄道天王町駅前の公園に旧帷子橋を模したモニュメントがあった。

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この先が保土ヶ谷宿で、広重はこの橋からの風景を描いている。

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JR保土ヶ谷駅前を通過してすぐ、金沢浦賀往還との分岐点である金沢横町に四基の道標が並んで立っていた。横浜市教育委員会による詳細な解説がある。右端は「円海山之道」とあり、天明三年建立、2番目は「かなさわ、かまくら道」とあり、天和二年建立、3番目は「杉田道 程ヶ谷の枝道曲がれ梅の花 其爪」と句が刻まれ、文化十一年建立、左端は「富岡山芋大明神社の道」とあり、弘化二年建立である。

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ここまで来てようやく出会えた道標たちに感激し、暫くの間飽かずに鑑賞していたが、ランニングの格好をして、いつまでも石にへばりついている中年男は、どこから見ても挙動不審者だ。(苦笑)

この先で東海道線の踏切を渡ると、国道1号に突き当たって右に曲がる。この辺りに本陣などが建ち並んでいたそうだが、一里塚の跡を除き今は全く面影がない。

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町外れで国道1号と別れ、いよいよ難所の権太坂に差し掛かる。権太坂の名前の由来には二説あるが、あまりに有名なのでここでは省く。その前にコンビニに立ち寄ってドーナツで燃料補給しておく。旧街道でも至るところにコンビニがあるので助かる。

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最初の急坂「一番坂」を登って後ろを振り返ったところ。明日に脚を残しておくためと自分に言い訳して、ここだけは歩いてしまったが、それにしても凄い坂だ。ちなみに箱根駅伝の選手が通るのはここを迂回する国道1号で、本来の権太坂ではないのである。

権太坂を登り切って街道から少し外れたところに投込塚がある。急坂の難所で行き倒れた旅人の死骸を投げ込んだという場所で、昭和になって再開発のために掘削したところ、実際に多くの人や馬の骨が出土したという。昔の人にとっては街道走りなどと呑気なものではなく、まさに命がけの旅路だったのだ。

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街道に戻るとすぐ境木地蔵があり、境内にある大欅が文字通り武蔵と相模の国境なのである。今の行政区では横浜市保土ヶ谷区から同戸塚区になるだけなのだが、旧国境を跨いでも同じ市というのは他にあるのだろうか。横浜市、デカすぎ!(笑)

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ここから焼餅坂、品濃坂と下っていく。京方面から来ると大変な登りだ。本当にこんな道を参勤交代の大名行列が通っていたのかと思ってしまう。

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坂を降り切って国道1号に合流したり分岐したりしながら進むと、ようやく戸塚の街並みが見えてくるが、途中こんな古い家が打ち捨てられたように残っていたので驚いた。今にもちょんまげ姿の人が中から出て来そうだ。

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戸塚に入る前に少し寄り道して妙秀寺という寺に立ち寄る。信仰心ゼロ、神社仏閣などほとんど興味のない自分にしては異例の行動だが、その理由はこれである。

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広重の絵で吉田大橋の手前、灯篭の右に描かれている道標の実物がここに移設されているのだ。実物の「左かまくらみち」が、絵では「左かまくら道」となっているが、記憶を頼りに描いているため、その程度の食い違いはあって不思議ではない。

Totsuka

現在の吉田大橋の様子。「こめや」は当然跡形もない。

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戸塚駅北側で東海道線を渡る「開かずの踏切」は今では廃止され、エレベーター付きの歩道橋で越えるようになっている。往時とは違って戸塚唯一のホテルという「相鉄フレッサイン」に、予定の午後5時きっかりに到着した。

日本橋から十里強、約43キロ。昔の旅人も前の保土ヶ谷かこの戸塚で1泊目となることが多かったようで、『膝栗毛』にも「お泊りはよい程が谷と留め女、戸塚前ては放さざりけり」という狂歌が出てくる。なお、「留め女」とは旅籠の客引き女のことである。

次回に続く。

10月18日 ジョグ10キロ

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2015/10/17

東海道を走る その1(日本橋~神奈川)

ついに「キング・オブ・街道」東海道の旧街道走りを開始し、その第1回目として先日、日本橋から小田原までを2日に分けて走ってきた。

晴天に恵まれた10月14日午前8時半、街道起点の日本橋を出立。

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ここは今も日本の道路の原点というべき場所で、橋の中央に「日本国道路元標」が埋め込まれ、橋の北詰歩道脇にはそのレプリカが置かれている。

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歌川広重の東海道五十三次の内、日本橋。

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同じアングルの現在の風景。目障りな首都高速を何とかしようという話があったが、その後どうなったのだろう。

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ここから日本橋交差点までは国道1号、その先は国道15号(第一京浜)となり、京橋から銀座、新橋とビジネス街の真ん中を走り抜ける。京橋や新橋の親柱が歩道脇に飾られているが、旧街道の雰囲気は当然ながら全くない。

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田町付近に西郷隆盛と勝海舟が会見して江戸無血開城を決めた場所を示す石碑がある。写真では分かりづらいが、画面奥(東方向)に向けて道路がなだらかに下っているのは、昔はすぐそこが海だったからだ。なお、ここは日比谷通りとの交差点に当たり、大手町をスタートした箱根駅伝の選手はここから国道15号に入る。

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その先は「札の辻」と呼ばれていた桜田通りとの交差点で、北方向を振り返ると東京タワーが秋空に映えていた。

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高輪に大木戸の跡が残っている。江戸の南口に当たり、治安維持のため夜間は閉鎖されていたそうだ。

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十返舎一九の『東海道中膝栗毛』に、「高輪へ来て忘れたることばかり」という句が出てくる。旅行に出発して暫くしてから忘れ物を思い出す人間の性分は、今も昔も変わらない。

品川駅を過ぎて八ツ山橋で東海道線を渡ると最初の宿場品川に入る。広重の時代、右は御殿山、左はすぐ海だった。

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現在では山は削られて電車が走り、海は埋め立てられて、街道の両側にはビルが建ち並んでいる。

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国道15号から分岐すると、ようやく旧街道らしくうねりのある道筋が現れた。往時は沿道に多くの宿屋や茶屋が建ち並び、大変賑やかだったそうだ。

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大井競馬場付近で再び国道15号に合流するが、その地点に鈴ケ森刑場の跡がある。八百屋お七が火炙りにされたのもここで、火炙台や磔台などというものが今も残されていて、花が手向けられていた。

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再び国道15号から分岐する地点に大森海岸交番がある。以前の東京マラソンの折り返し地点だった場所だ。2003年の東京国際女子併設で走ったときのことを思い出し撮影していると、若い警官が不審げな目を向けてきたので事情を話した。「先輩からそういう話を聞いたことはあるが自分はよく知らない」と言っていた彼も実はランナーで、最近、福島の小名浜マラソンに出たが途中棄権したのだという。

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この先で再び国道15号に合流し、そこから多摩川までは単純な直線道路である。途中、京急蒲田駅付近で京急空港線が高架で国道を横断している。ここは以前踏切だった箇所で、箱根駅伝のランナーが足止めされたこともあった。

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ひたすら直進すると間もなく多摩川を越える六郷橋に差し掛かる。元禄時代に橋が流された後は渡し舟で越えていたといい、広重はその渡し舟の向こうに川崎宿を描いている。

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川崎側に渡ったところに渡し舟の跡があった。街道はここで国道15号を今度は西側に分岐して、川崎駅近くの繁華街の真ん中を進んでいく。

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市街地を通り抜けると、また長い直線道路(八丁畷)で、横浜市に入ってすぐのところに市場一里塚がある。江戸日本橋から五里。京急鶴見市場駅、箱根駅伝の鶴見中継所の近くである。

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今日の予定の半分まで来て、ちょうど昼時になったので近くのコンビニでカップラーメンを買って食べた。最近昼食は食べておらず、どちらかというと塩分補給が目的でスープも飲み干す。爽やかな陽気だが、日中は気温が上がって結構汗をかいている。

鶴見駅前を経由して、国道15号を斜めに横断すると、JR鶴見線国道駅のガードを潜る。このアーチの上が高架駅なのだが、独特な雰囲気が漂うため映画などのロケによく使われるらしい。

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その先が旧生麦村で、幕末に薩摩藩士がイギリス人を殺傷した「生麦事件」の発生現場である。街道沿いに記念碑が建っているが、付近で行われている高速道路工事の関係で仮移設されていたのを見逃してしまい、150メートルほど先から引き返す破目になった。

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再び国道15号に合流して暫くすると、京急仲木戸駅付近で神奈川宿に入る。以下、次回に続く。

10月14日 LSD42キロ
10月15日 LSD42キロ

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2015/10/12

久々に仲間と走る

9月下旬にランを再開してから、今までのところ順調に走れていて、昨日はいつものラン仲間と一緒に奈良市内を食べ歩きならぬ、食べ走りしてきた。

こんなのとか、

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(植村牧場のソフトクリーム)

こんなのも。

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(「空気ケーキ。」の期間限定モンブラン)

本当は鯛焼きも食べる予定だったが、そちらは店が臨時休業で叶わなかった。

最近では甘いものを口にする機会がほとんどなくなったが、どちらも上品な甘みが体に染み渡るようだった。企画いただいたKさん、いつもながら有難うございます。

10月11日 LSD22キロ

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2015/10/10

2か月経過

8月10日から1日2食生活を始めて2か月が経過した。家族で出かけたりした時はサラダなど軽いものを食べることもあったが、それ以外は基本的に昼は果物少々と青汁だけである。当初あった空腹感もほとんど感じなくなった。人間、慣れれば慣れるものだ。

先月末までケガで全く走れていなかった間も体重が増えることはなく、再び走り始めてからは順調に減量できている。体調もすこぶる良く、ほぼ毎日快眠、快食、快便の快適生活が続いている。特に最後の点が消化器官の健康を物語っているように思う。

食事ネタつながりの余談を。いつも自分で用意する朝食の卵はこれまでずっとスクランブルだったが、このところオムレツ作りに取り組んでいる。まだまだ下手くそだけど、新しいことに挑戦するのは老化防止にも良いかと。(笑)

Omlet

10月9日 ジョグ10キロ

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2015/10/07

『偉大なる、しゅららぼん』

Shurarabon2014年、製作委員会、東映配給。KINENOTEの紹介文。

琵琶湖畔の街、石走に住む本家の元へやってきた日出涼介(岡田将生)。本家の日出家は1300年来代々琵琶湖から不思議な力を授かる一族で、涼介は高校への進学を期に修行するために本家で居候を始める。日出家は江戸時代に建てられた石走城に住み、石走の街を牛耳っていた。本家の跡取り息子・淡十郎(濱田岳)は最強の力の持ち主とされ、人々から崇め奉られていた。その姉・清子(深田恭子)は『グレート清子』と呼ばれるほどあまりに強大な力を持つため社会に馴染めず、城に引きこもっていた。
城での暮らし、白馬を乗りこなす清子、源治郎(笹野高史)が漕ぐ船での登校など、涼介にとっては本家での生活は戸惑うことだらけだった。さらに生まれながらにして殿である淡十郎と接するうちに供の者として扱われ、自ずと主従関係ができてしまう。ある日、淡十郎は校長(村上弘明)の娘・速水沙月(大野いと)に恋をする。
しかし沙月が思いを寄せるのは同じクラスの棗広海(渡辺大)であることを知り、尋常ではないほど取り乱す淡十郎。広海のいる棗家もやはり力を持っており、1300年にわたり日出家とライバル関係にある一族だった。元々いがみあっていた両家は淡十郎の小さな失恋をきっかけにさらに対立を深め、やがて世界を滅ぼしかねない大騒動を巻き起こす……。(引用終わり)

万城目学原作の映画・ドラマはこれで4本目。相変わらず「マキメワールド」全開の、荒唐無稽でありながら妙なリアリティのある、独特の作品世界を作り出している。対立していた日出、棗両家の若者が手を携え、未知の強敵と戦うクライマックスはなかなか感動的だった。

それぞれユニークな登場人物たちの突拍子もない言動は予想すらできず、また随所にギャグが散りばめられていて飽きさせない。通行人のチョイ役で出演した浜村淳のセリフはやっぱり「アレ」だったが、これって関西以外の人に分かるだろうか。(笑)

10月5日 LSD40キロ
10月7日 ジョグ10キロ

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2015/10/04

『マエストロ!』

Maestro2015年、アスミック・エース。松竹配給。松坂桃李、miwa、西田敏行他。公式サイトの紹介文。

若きヴァイオリニスト香坂のもとに、解散した名門オーケストラ再結成の話が舞い込む。だが、練習場は廃工場、集まったメンバーは再就職先も決まらない「負け組」楽団員たちと、アマチュアフルート奏者のあまね。久しぶりに合わせた音はとてもプロとは言えないもので、不安が広がる。そこに現れた謎の指揮者、天道。再結成を企画した張本人だが、経歴も素性も不明、指揮棒の代わりに大工道具を振り回す。自分勝手な進め方に、楽団員たちは猛反発するが、次第に天道が導く音の深さに皆、引き込まれていく。だが、香坂は名ヴァイオリニストだった父親が死んだ裏には天道が関係していた事を知り、反発を強めてしまう。あまねのひた向きに音楽に取り組む姿勢を目の前にしながらも素直になれない香坂。そして、迎えた復活コンサート当日、楽団員たち全員が知らなかった、天道が仕掛けた“本当”の秘密が明らかになる――。(引用終わり)

ありきたりな結末は途中で大体想像がついてしまったが、それよりも練習や本番の演奏シーンをはじめ、オーケストラに関する諸々の描写がとてもリアルで、元オケマンとしてはそちらの方が面白かった。

起きている時間の90%はリードを削っているというオーボエ奏者の自虐ネタ。買ったリードをそのまま使えるクラリネット吹きにその苦労は分からないと、かつて実際に自分も言われた経験がある。

ただ、「運命」からいきなり「未完成」に変更と言われるシーンで、クラリネット奏者が全く慌てる素振りを見せないところは不自然だ。B管(変ロ調の楽器)からA管(イ調の楽器)に持ち替えないといけないからだ。予め用意してあったとしても、息を吹き込んで楽器を温めないと、冒頭のオーボエとのユニゾンに到底間に合わない。

それから、調子が出ないホルン奏者を連行して、楽器のベル(朝顔)を怪しげな職人にハンマーで叩かせるシーンがある。曰く、「金属原子はよぉ、放っておくと結晶がデカくなって響きが悪くなんだよ。だからよぉ、たまにはこうやって叩いて、バラバラにしてやんねえとよぉ」というのだが、「結晶がデカくな」るという表現からして俄かには信じがたいが、果たして本当だろうか?

10月3日 ジョグ10キロ

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2015/10/01

ブロワーの用途

朝夕はめっきり涼しくなり秋の気配が濃くなってきた。我が家の前の桜並木も落葉の季節を迎え、そろそろ電動ブロワーの出番である。昨秋購入したばかりの当初は面白がってやっていたが、段々と面倒に感じてきていて、今から少し気が重い。

ところで、北川景子の公式サイトをチェックしていたら、早くも来年のカレンダー用の写真撮影を行ったという記事が出ていて、その写真を見て驚いてしまった。

Blower

左の助手が手にしているのは、まさにウチと同型と思われるマキタの電動ブロワーではないか! 彼女自身の説明によると、

扇風機のようなファンは、洋服も含め全体になびかせたい場合に使います!
この時は表紙の撮影で、肩から上しか写っていないので、ピンポイントに髪の毛をなびかせるために小さいブロアです(*^^*)
撮影のために瞬きを我慢するので目が乾くんだよねえ

とのことである。なるほど。髪なら髪だけピンポイントで効率よく当てることが出来るというわけだ。ただ、目が乾くというのは言われてみるまで分からなかった。芸能人の仕事も大変なんだな。(笑)

9月29日 ジョグ10キロ
月間走行 26キロ(笑)
10月1日 LSD20キロ

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