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2015/07/31

映画『ガッチャマン』サウンドトラック

Gatchamanどういう風の吹き回しと思うなかれ(笑)。散々酷評されている映画本体ではなく、その劇伴音楽に興味があったのだ。作曲者は Nima Fakhrara (ニマ・ファクララ)。ロサンゼルス在住のイラン人作曲家で、他にもサスペンスやSFなどのハリウッド映画の音楽を担当しているようだ。

実は、7月からスタートしたドラマ「探偵の探偵」の彼の音楽がなかなかいいと思い、少し調べてみたら実写版『ガッチャマン』の音楽もそうだと分かり、サントラCDを借りて聴いてみたのだ。

文字通り同工異曲で、ドラマと同じような曲想の楽曲も多いが、全体的にとても迫力ある音作りである。無機的な感じのメロディもSF映画にはぴったり来るだろう。

ただ、車の中で音量を上げて聴くと、ちょっと神経が高ぶってよろしくない。まるで「廃墟となった近未来の東京に一人取り残されたヒロインを、命がけで救出に行くサイボーグの主人公」のような気持ちになってしまうのだ(どないや・苦笑)。

引き続き休養中
月間走行 28キロ(爆)

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2015/07/28

『海猫』

Umineko2004年東映。伊東美咲、佐藤浩市他。森田芳光監督。ツタヤの紹介文。

1980年代半ば。この日、野田薫はそれまで住んでいた函館を離れ、峠ひとつ隔てた漁村・南茅部の漁師・赤木邦一のもとへ嫁ぐ。ロシア人を父に持つ薫はその日本人離れした容姿が人目を引いてしまい、街の暮らしに息苦しさばかりが募っていた。そんな時、薫はふとしたきっかけから漁師の邦一と出会う。そして、武骨な邦一に対して街の人間にはない頼もしさと心の安らぎを感じ惹かれていったのだった。慣れない漁師の生活も、邦一の愛に支えられ懸命にこなす薫。やがて2人の間には娘・美輝も生まれ、このまま幸せな暮らしが続くかと思われたのだが…。 (引用終わり)

谷村志穂の原作小説は未読だが、主人公の薫は「青い目の日本人離れした容姿」という元々の設定が、映画では生かされていないと感じた。伊東美咲は確かに人目を惹く美貌には違いないが、花嫁衣裳がよく似合う純和風美人として登場する最初のシーンからして、方向性を間違えているような気がする。

邦一の義弟広次と不倫関係に陥り、進退窮まった薫は高台から身を投げて自殺するに至るが、そこに至るまでの彼女自身の心境の変化や内心の葛藤といったものが読み取れず、ただ運命に弄ばれるだけの弱々しい女性としか感じられないのが残念だ。

モデル出身の伊東美咲が大胆なラブシーンに挑戦したことで話題になったが、スポンサー筋の圧力か何かの「大人の事情」で大幅にカットされ、作品の価値を大いに減じたという意見もあるが、彼女がもっと露出していたとしても同じことだろう。棒読みのようなセリフ回し、単調な表情、きちんとカメラを向かず泳ぐような視線。そうした彼女の女優としての未熟さそのものに問題があるからだ。

失敗作ゆえかどうか、レンタルDVDには珍しくメイキング特番が収録されている。撮影現場での森田芳光監督の仕事ぶりなどが見られて、そちらの方は大変興味深かった。

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2015/07/25

足底腱膜炎

先月下旬以降、右足の踵辺りに出ていた痛みの原因は足底腱膜炎と診断された。3週間休養して痛みが治まったようなのでランを再開したものの、やはり同じような痛みがぶり返したので今日、整形外科を受診したのだ。

ランナーにはよくある症状だということは以前から知っていたが、これまであまり故障したことがない自分には無縁だと勝手に思い込んでいた。というより、最盛期に比べると走る距離は約半分、スピード練習も全くしなくなった今になってなぜ、と思ってしまう。もしかして、走り足りないから? まさかね。(笑)

ふくらはぎやアキレス腱、足底のストレッチで軽快するらしいので、暫くは走らずに治療に専念することにしよう。もう、暑い夏に走り込む必要もないわけだし。

7月24日 ジョグ6キロ

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2015/07/22

『炭水化物が人類を滅ぼす』

Carbon夏井睦著。光文社新書。カバーの紹介文。

著者は、光文社新書のロングセラー『傷はぜったい消毒するな』でもよく知られる「湿潤療法」のパイオニアだが、じつは昨今の糖質制限ブームの陰の火付け役としても知られている。
湿潤療法の時と同様、自分の身体で糖質制限を試し、その効果や危険のなさを確かめた著者は、糖尿病の糖質制限治療の第一人者である江部康二氏と親交を深めながら、栄養素としての糖質の性質や、人類の糖質摂取の歴史、カロリーという概念やその算出法のいいかげんさ、そしてブドウ糖からみえてくる生命の諸相や進化などについて、独自の考察や研究を開始。
本書では、糖質からみた農耕の起源についても新説を展開、穀物栽培によって繁栄への道を得た人類が、穀物により滅亡への道をたどりつつあることも指摘する。著者のHPに日々寄せられる、多くの糖質セイゲニストからの体験談の一端も紹介。糖質を切り口に様々なことを考える。(引用終わり)

大変面白く読んだ。低糖質食によるダイエットについては、かつて自分も実践して効果を確信しているし、このブログの「マラソン論」の中で紹介したことがある。だから、その点については、改めて本書の理論的な解説を読み、確信を深めたというに過ぎない。

しかし、話はそれだけで終わらない。穀物栽培の開始による人類史の大転換と、それに伴う人口爆発や環境破壊といった弊害を論じ、穀物が人間の体のみならず人類そのものを滅ぼすだろうという警鐘を鳴らしているのである。

穀物に依存した食生活を否定して、今の地球人口が養えるとは到底思えず、農耕開始以来の大転換に匹敵する、あるいはそれ以上の社会変革が不可避と思われる。しかし、これをただの妄想と片づけてしまうわけにはいかない、重要な指摘を含んでいると思う。

もうひとつ興味深かったのは、食物のカロリーという概念のいい加減さである。食物から摂取するカロリーと、動物が得るカロリーは一致しないのだ。現に、ウシは牧草だけを食べて生きているが、ウシ自身はその主成分のセルロースを消化も吸収もできず、摂取カロリーはゼロである。それなのに何百キロという巨体になるのは、複雑な構造の消化管の中に棲息する共生微生物が、セルロースを分解してアミノ酸や脂肪酸を作りだし、それがウシの栄養となるからである。

これは何もウシだけの話ではない。ヒトの大腸には100兆個もの腸内細菌が棲息していて、各種ビタミンや脂肪酸を生成し、ヒトはそれを栄養としている。極端な例では、1日に青汁を丼1杯だけで生き続けている人がいるし、比叡山の千日回峰行では、極端な少食しか摂らずに1000日もの間、山歩きを継続する。これらの現象は、もはや摂取カロリーという概念では説明ができないのである。

ダイエットに限らず、人間の体については、まだまだ分からないことだらけだと言ってよい。著者が言うように、失敗を恐れずいろんな仮説を立てて思考実験することは、科学者の責務といっても過言ではない。さして根拠のない従来の通説や学会の権威といったものが幅をきかせる医学界においては、なおさらのことである。

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2015/07/19

『鴨川ホルモー』

Kamo2009年、松竹。ツタヤの紹介文。

京都の街を舞台に、謎の学生サークルが繰り広げる摩訶不思議な4大学対抗バトルの行方を描いた万城目学の傑作小説を山田孝之主演で実写映画化した青春ファンタジー・コメディ。二浪してようやく京大生となった安倍は、同じ新入生の帰国子女・高村と一緒に“タダ飯”目当てに怪しげなサークル“京大青竜会”の新歓コンパに顔を出す。ところが、その席で鼻フェチの安倍をうならせる美女・早良京子に遭遇、一目惚れした勢いで思わず入会してしまう。ただのレジャーサークルだと思っていた青竜会だったが、やがて会長の菅原から“オニ”と呼ばれる小さな式神の集団を操り戦わせる伝統の祭り、“ホルモー”を行うサークルだと告げられるが…。(引用終わり)

万城目学原作の映画・ドラマは、『プリンセス・トヨトミ』『鹿男あをによし』に続き3本目であるが、本作もまた荒唐無稽の極みのようでいて、関西各地(ここでは京都)の歴史、文化を踏まえた妙なリアリティがあって、独特の世界を作り出している。私のように京都で学生生活を送った人間にとっては、馴染みのある場所が次々に登場するのも嬉しい。

「オニ語」を駆使したホルモーの練習や試合の様子は、本人たちが真剣にやればやるほど笑ってしまうが、それと同時並行で安倍、芦屋と早良の三角関係、楠木の秘めた思いといった恋愛ドラマも展開していて、単なるドタバタ喜劇になっていないところがミソだ。

ところで、登場する「オニ」たちが、通天閣の「ビリケンさん」に見えて仕方なかった。(笑)

7月18日 ジョグ10キロ

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2015/07/16

初めての入れ歯

相変わらず歯医者の厄介になっている。先日、おそらく大学生の時に親知らずを抜いて以来という抜歯を経験したのに続いて、その跡にわが人生初の義歯を入れることになった。インプラントなどもっとスマートな治療法もあるらしいのだが、保険が利かないとあって年金生活者には高嶺の花だ。

平常は多少の違和感を我慢すれば済むが、食事の際は食べ物が引っ掛かる感じがするし、歯磨きの際は取り外して別に洗わねばならないのが面倒だ。これ以上入れ歯が増えないよう、気合いを入れて歯磨きをしようと心に誓うのだった。

7月13、15日 ジョグ6キロ

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2015/07/13

蚊の撃退法

佐藤正午の最新作ではない(笑)。毎年夏になると悩まされる蚊を、その発生源から駆除することにした。蚊の幼虫であるボウフラ(漢字で「孑孑」と書くそうだ)は、ちょっとした水たまりでも発生し、我が家の場合、8カ所ある雨水枡が最も怪しいことが分かっていた。

対策についてネットで検索してみると、薬剤を撒く方法や、十円玉や銅線を沈めて銅イオンを発生させる方法もあったが、雨水は直接川に放流されるので薬剤は使うべきではないし、銅イオンが半永久的に出るのかどうか不明だ。

結局、神戸市が推奨している網戸ネットで蓋を塞ぐ方法にした。一旦取り付ければネットが破れでもしない限り、蚊は物理的に雨水枡に出入りできなくなる。ただし、蓋の開口部だけを塞ぐ方法では隙間が出来る可能性があるので、蓋全面をネットで覆うことにした。

雨水枡の蓋を開けたところ。常時雨水が溜まっていて、腐った落葉は孑孑のエサになりそうだ。雨天時に上部は流れるのだろうが、きっと根性のある孑孑は必死で潜って生き延び、そういう奴らが成虫して人を刺すのだろう。特に、物置の下になっていた雨水枡には、既に大量の蚊が発生していた。

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蓋より少し大きめにカットした網戸ネットを敷いて蓋をし、余分をハサミでカットすれば終了である。ネットが少しはみ出るが、思ったほど目立たない。

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約1時間かけて8カ所の雨水枡の対策を終了。このところ走れていないので、久しぶりに大汗をかいたが、ひと仕事終えた満足感があった。これでこの夏は蚊に悩まされることが激減する…はずである。(笑)

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2015/07/10

『黒い家』

Blackhouse1999年、アスミック・エース。森田芳光監督作品。ツタヤの紹介文。

第4回日本ホラー小説大賞を受賞した貴志祐介の同名小説を『39 刑法第三十九条』の森田芳光監督が映画化。保険会社に勤める若槻慎二は保険金の説明に訪れた女性の家でその女性の息子の首吊り死体に遭遇する。警察は自殺と判断し、それに基づいて保険金も支払われることになった。しかし、両親の態度に不審なものを感じた若槻は自殺に疑問を感じひとり調査を開始する。そして、夫婦の保険金をめぐる異常な行動が次第に明らかになっていく……。(引用終わり)

原作を読んだのは5年も前で細部は覚えていないが、大まかな筋は原作を踏襲していると思う。ただ、肝心の菰田幸子役の大竹しのぶの演技は自分には全く怖くなかった。どこを見ているのか分からない目、甲高い声など、彼女なりにサイコパスを演出してはいるけれども、これではただの変質者だ。犯罪心理学専攻の助教授も同様だ。

『家族ゲーム』で見られたズーム併用移動というカメラ手法や、『(ハル)』で試みた文字による内容説明など、この監督ならではの工夫は認めるものの、この作品に籠められた製作側の意図がいまひとつ伝わってこない。また、原作者の貴志祐介と山崎まさよしが、あまり意味のないカメオ出演をしているが、これも「要らずもがな」である。

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2015/07/07

『武士の家計簿』

Kakeibo_3引き続き、森田芳光監督作品。2010年、アスミック・エース。アマゾンの紹介文。

代々加賀藩の御算用者(経理係)である下級武士の猪山直之(堺雅人)は、稼業のそろばんの腕を磨き出世する。しかし、親戚つき合い、養育費、冠婚葬祭と、武士の慣習で出世のたびに出費が増え、いつしか家計は火の車。一家の窮地に直之は、”家計立て直し”を宣言。家財を売り払い、妻のお駒(仲間由紀恵)に支えられつつ、家族一丸となって倹約生活を実行していく。見栄や世間体を捨てても直之が守りたかったもの、そしてわが子に伝えようとした思いとは―。世間体や時流に惑わされることなく、つつましくも堅実に生きた猪山三世代にわたる親子の絆と家族愛を描いた物語。(引用終わり)

DVDのパッケージ写真から、ほのぼのしたファミリー時代劇(?)を想像したが、意外にも地味でシリアスな実録ものだった。それもそのはず、原作は磯田道史という歴史学者が書いた同名の新潮新書なのだ。しかし、その割には説明臭さはなく、3世代の家族ドラマとして十分楽しめる。

江戸時代末期から明治維新にかけての下級藩士の日常生活が、これほどリアルに描かれた作品も珍しいのではないだろうか。藤沢周平にしても、貧しい生活の中での武士の誇り、人の生き方といったものがテーマだが、ここでは武士の日常そのものが関心の的となっている。

毎日弁当を持って城まで通い、同僚と机を並べて決まりきった仕事をする。ミスなく勤めを果たすことが何よりで、ほとんどの藩士にとって出世など望むべくもない。家では主人としての威厳を保たねばならず、子供をちゃんと跡継ぎに育て上げてようやく隠居の身となる。現代のサラリーマンの生活と似ている部分もあれば、やはり社会そのものが違っている部分もあって興味深かった。

主演の堺雅人は、その現代的な顔立ちやセリフ回し、所作にかなり違和感があった。私の中で半沢直樹のイメージをいまだに引きずっているからかもしれない。逆に、仲間由紀恵は幕末から明治時代の役柄がよく合っている。彼女も現代的な顔立ちだけど、セリフや所作がしっかり出来ているからか。

森田芳光監督としては最晩年期に当たるが、本作ではもう完全に予定調和の商業映画路線で、最後まで安心して観ることができる。別にそれが悪いというわけではなく、映画としての完成度は高いのだが、それだけなら別に森田監督でなくとも撮れた作品という気がする。

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2015/07/04

『阿修羅のごとく』

Asura引き続き、森田芳光監督作品。2003年、東宝。ツタヤの紹介文。

昭和54年の冬。竹沢家の三女・滝子(深津絵里)が突然3人の姉妹全員を呼び集めた。滝子は探偵の証拠写真を示し、70歳になる父・恒太郎(仲代達矢)に愛人と子供がいると伝える。4人は母には知らせないようにと約束する。だが、彼女たちも互いに人には言えない問題を抱えていた。華道で生計を立てる未亡人の長女・綱子(大竹しのぶ)は、妻子ある男性と付き合っている。次女・巻子(黒木瞳)は夫の浮気を疑い始めていた。潔癖症の滝子は、父の調査を頼んだ内気な青年との恋が足踏み状態。四女・咲子(深田恭子)は売れないボクサーと同棲中。母・ふじ(八千草薫)だけが、何も知らずに平穏な日々を過ごしているようだった…。(引用終わり)

冒頭に阿修羅についての説明があって、「インド民間信仰上の魔族。外には仁義礼智信を掲げるかに見えるが、内には猜疑心が強く、日常争いを好み、たがいに事実を曲げ、またいつわって他人の悪口(あっこう)を言いあう」云々とある。また、最後の方で巻子の夫・鷹男(小林薫)の「女は、阿修羅だよなあ」というセリフがあるように、女性の性(さが)やありのままの日常といったものがテーマである。

父や夫の浮気、姉妹間の嫉妬や確執など、深刻なお話ばかりだが、それが不思議とそれほど重くならない。むしろそれが普通であり、「10年経てば笑い話になる」と達観しているかのようであるし、そこかしこに大人の苦笑いを誘う仕掛けが施されている。繰り返し登場する食事シーンを含め、TVドラマをリメイクした作品であると聞けば得心がゆく。

ところで、阿修羅はなにも女の専売特許ではない。興福寺の阿修羅は少年の姿をしているし、こんな格好でマラソンを走ったアホオヤジもいるのだ。(笑)

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2015/07/01

『愛を積むひと』

Ts3r0002_2珍しく封切映画を観た。理由は言うまでもない(笑)。アスミック・エース作品。佐藤浩市、樋口可南子ほか。公式サイトの紹介文。

第二の人生を大自然に包まれた美しい土地で豊かに過ごそうと、東京下町の工場をたたみ、北海道に移り住むことにした夫婦、篤史と良子。以前に外国人が住んでいたという瀟洒な家を手にいれ、良子は野菜やガーデン作り、家の内装のアレンジなどささやかながらも豊かな生活を満喫していた。一方、仕事人間から仕事がなくなった途端、毎日手持ち無沙汰で暇を持て余す篤史。見かねた良子は、長年の憧れでもあった家の周りの石塀作りを篤史に頼む。
そんなある日、良子が入院することに。以前から患っていた心臓の病が悪化していたのだ。心配させまいと夫に病状を言わず、一時退院し、明るく振る舞う良子。そんな良子に、「いつしか自分だけのネックレスになれば」と、結婚以来毎年贈り続けていた一粒の真珠を、篤史は今年も誕生日にプレゼントする。笑顔で受け取る良子を見つめながら、幸せな時が続くことを願う篤史。
しかし、その願いは叶わなかった。突然訪れた良子の最期。悲しみにくれる篤史のもとに、ある日、良子からの手紙が届いた。驚く篤史。自分の死期を悟った良子が、篤史のこれからを案じ、たくさんの手紙を、二人の家に隠していたのだった。手紙に書かれた良子の想いに触れ、閉ざされた心が溶け周りの人の人生に関わっていく篤史。
自ら犯した過ちから立ち直ろうと、石塀作りを手伝いに来る青年・徹や、その恋人・紗英との交流、頑固だが愛情深い紗英の義父・熊二との友情。篤史が良子を思いながら一つ一つ積み上げた石に、それぞれの人間ドラマが重なっていく――。そして、ある出来事がきっかけで長年疎遠になっていた娘・聡子と再会し・・・・・・。(引用終わり)

原作をかなりアレンジしているけれども、骨格の部分はきちんと受け継がれており、独立の映画作品として十分に鑑賞できる。北海道・美瑛の四季を織り込んだ映像は大変美しく、鳥の鳴き声、風の音などの自然音も、耳障りにならない程度にうまくミックスされている。

篤史役の佐藤浩市(飲むのはやっぱり淡麗だ・笑)、良子役の樋口可南子はさすがに大ベテランらしい安定した演技だ。また、口は悪いが心根の優しい熊二役の柄本明が、とてもいい味を出している。聡子役の北川景子はほとんど笑わない役どころだが、ちょっとした視線の動きだけで感情表現が出来ているし、彼女ほど泣き顔まで絵になる女優も珍しい。…と思う。(笑)

6月29、30日 休養(右踵痛)
月間走行    113キロ
以降、当面休養のため記載省略

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