片上鉄道廃線ラン
一昨日、岡山県の片上鉄道廃線跡を走った。かなり以前に旅行で和気(わけ)駅付近に立ち寄った際、偶然廃線跡を発見して以来、いつかはここを訪れたいと思っていた。まさか自分の足で走ることになるとは思いもしなかったが。(笑)
片上鉄道は岡山県備前市片上駅から和気駅を経由し、同久米郡(現美咲町)柵原(やなはら)駅までを結んで昭和6年に全線開通、同和鉱業柵原鉱山で産出される硫化鉄鉱を片上港まで輸送していた。沿線住民の足にもなっていたが、鉱石産出が減少するなどでトラック輸送にその座を譲り、平成3年6月末をもって廃止となった。
廃線後、片上-吉ケ原(きちがはら)間はサイクリングロードとして整備される一方、吉ケ原-柵原間の一部区間は線路が残り、有志による保存会が毎月一度、動態保存された車両を展示運転している。廃線後も比較的恵まれた境遇にあるのは、それだけ地元民から「片鉄」として愛されていたということだろう。
さて、快晴の25日午前11時前、片上港岸壁にある0キロポストからスタート。ホームなどの痕跡はないが、バラストを敷いた軌道跡が残り、離れた場所にDD13形機関車が展示してあった。
起点付近は大型商業施設が建つなどしてほとんど痕跡をとどめないが、JR赤穂線西片上駅東の高架下近くまで来ると、旧軌道跡がそれと分かるようになり、ここから自転車歩行者専用道路が始まる。
なだらかな登りとなって山陽新幹線の高架下を潜るとすぐにキロポストがあった。てっきり1キロかと思ったが、よく見ると0.1キロだった。サイクリングロードの起点は新幹線高架下付近としていて、そこからの距離を表示しているようだ。分からないでもないが、本来のキロポストをわざわざ移動して設置するとは、何とも無粋なことをするものだ。
さらに登りがきつくなる。勾配標に28.6(‰・パーミル)とあり、片上鉄道の最大勾配地点である。
登り切ったところに峠清水トンネル(203M)があった。僅かな距離だが涼しくて気持ちよい。
間もなく最初の駅、清水に到着。以後、いくつかの駅がこんな風に保存されていた。トイレが設置されている駅もあったが、飲料の自動販売機はなく、飲料調達がつい遅れ気味になってしまった。
山陽自動車道の高架を潜り、和気駅近くのセブンイレブンで昼食休憩。和気駅で山陽本線と一時並行した後、築堤を上がって金剛川橋梁を渡る。
この後、左に吉井川が見え始め、右から迫る山との間の狭い土地をひたすら遡る。吉井川は川幅が最大百数十メートルはあろうかという堂々たる大河である。これは新田原井堰といって、農業用水の確保と水力発電を行っている(ガイドマップの受け売り・笑)。
天瀬(あませ)駅。当時のままの駅舎に加え、信号の制御器みたいな機械やレールの切れ端が残っていて、吉ケ原を除く全駅中で最も鉄道遺構が残されていた。
短い第1、第2天神山トンネルを潜り、河本(こうもと)駅を過ぎると、備前矢田駅手前に陸閘門(りくこうもん)があった。吉井川増水時にはこのゲートを閉じて矢田地区への浸水を防ぐのである。ここを鉄道が通っていたというのは、多分全国的にも珍しいだろう。レールが僅かに残っているのが見える。
備前矢田駅付近では信号設備がそのまま残っている。
更に吉井川沿いの単調な行程が続く。気温も上がってきてかなりバテて来たので、木陰を見つけては小刻みに休憩、給水を取る。備前塩田駅を過ぎると、鉄道は右にカーブして第1吉井川橋梁を渡っていたのだが、この橋はもうなくなっていて廃線跡を進むことは出来ない。
そのためサイクリングロードはここから吉ケ原駅の手前約2キロ地点まで、本来の鉄道とは別のルートを通っている。ただサイクリングを楽しむならその方が分かりやすいだろうが、廃鉄ファンの自分としてはなるべく本来の鉄道跡を走りたい。備前福田駅手前で本来の鉄道跡と思われる道路に入り、沿道で農作業をしていた地元の人に確認したら、間違いなくここが線路跡だと教えてくれた。
しかし、この辺りでお決まりの痙攣が始まり、歩きが入るようになる。頻繁に給水し、塩カプセルも服んだが、大量の発汗を補えていないようだ。周匝(すさい)駅付近は商業施設も多く、廃線跡は今では近隣住民の生活道路になっている。確かにここをサイクリングロードにするわけには行かないだろう。
国道374号を横断して、鉄道跡はやがて再び吉井川を渡る。この第2吉井川橋梁は台風で流されたのを近年復活したそうで、幅1Mほどの歩行者専用橋である。
この橋を渡ると美咲町に入る。旧国名は美作(みまさか)で、手前の備前との国境なのである。渡ってすぐのところに美作飯岡(ゆうか)駅跡があった。廃線時まで使用されたホームは雑草の中に埋没しつつあり、既に使用されていなかった対向ホームは朽ちかけている。これぞ廃線という風景である。
この先、鉄道跡は郵便局用地になっていたりで辿るのが困難だ。川沿いを迂回した飯岡集落の西外れで、鉄路が高架で県道を越えていた痕跡を発見。今は墓地公園になっている辺りで再び吉井川左岸に戻ったところでサイクリングロードに合流し、16時前に吉ケ原駅に到着した。
最初に書いたように、この吉ケ原からの先の一部区間(写真奥)は廃線後も線路が保全され、片上鉄道保存会が毎月第1日曜に展示運転を行っている。昨年11月には黄福柵原という駅が新たに作られたそうだ。
そのため、拠点となる吉ケ原駅構内に現役当時のままの車両が動態保存されている。先頭が流線型をしたユニークな形状のキハ07形は、原型を保ったものは全国でも2両しかないそうだ。また、駅舎は登録有形文化財に指定されている。ここが発祥という駅長ネコは「本日非番」とのことだった。(笑)
廃線ランはここで終了である。この先の線路内は立入りが禁止されているのだ。というか、そこはそもそも「廃線」ではないだろう。広島かどこかで一旦廃線となった路線が復活したという話を聞いたが、「復線」とでもいうべき稀有な例に違いない。
平日ということもあって、出会ったサイクリストは外人の親子連れを含めて10人ほど。ほとんどが下り勾配となる起点片上方向へと走っていた。ランナーは私以外、皆無だった。そう、私は極め付けの変人なのだ。(笑)
吉ケ原から路線バスを際どいタイミングで乗り継いで湯郷温泉まで移動し、とある旅館に投宿して疲れを癒したが、そこの露天風呂の作りに見覚えがある。何と、約40年前に家族旅行で一度泊まったことのある旅館だった。宿の名前が変わっていたので、予約時には気づかなかったのだ。
当時まだ高校生だった自分がもしも、「40年後にはリタイアしていて、32キロの廃線ランの後、再びここに泊まりに来るだろう」などと聞かされたら、笑い飛ばしていたに違いない。(苦笑)
5月25日 LSD32キロ
5月26、27日 休養
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