西国街道を走る(前半)
気候が良くなってきたので街道走りを再開、今回は京から西宮に至る西国街道を走ることにして、昨日前半の部として東寺前から大阪モノレール豊川駅までの約30キロを走った。心配された雨は時折パラついただけで、陽射しも弱く、寒くも暑くもないまずまずのコンディションだった。
10時前に近鉄東寺駅前をスタート。世界文化遺産の東寺は、正式には教王護国寺といい、平安京造営と時を同じくして国家鎮護のために創建され、後に嵯峨天皇によって空海に下賜された。「国家神道」などと言うけれども、それはごく最近の話で、日本は昔は仏教国家だったのだ。
その西には都の南正門に当たる羅城門があり、その跡地が公園として整備されている。豊臣秀吉が築いた御土居の東寺口もこの辺りにあったそうで、「九条御土居」という道路標識が出ていた。
ここが西国街道の起点であり、かつ大坂からの京街道の終点に当たる。正面にある矢取地蔵から西国街道(右)と京街道(奥)を望んだところ。道標は嘉永7年のもので、他に天保3年の常夜燈もあった。
久世橋で桂川を渡り、JR向日町駅近くで東海道線の地下道を潜ると向日市に入る。阪急東向日駅の踏切を渡って旧道に入ると、ようやく街道らしい風景になってきたが、この先は結構アップダウンがあった。
愛宕道(物集女街道)との分岐点。左奥が愛宕道、右奥から手前が西国街道。
愛宕道側に京都府指定文化財である須田家住宅があり、近くの店先では名産の筍がうず高く積まれていた。
一文橋の手前には風情のある街道風景が残る。架け替え費用に充てるため通行人から一文ずつ徴収したのが名前の由来の橋を渡って長岡京市に入る。
JR長岡京(旧神足)駅付近は、旧街道にしては珍しく、長い直線道路である。
西山街道との分岐点に当たる調子八角を過ぎると大山崎町。名神高速を潜った先のこの何でもない交差点は、西国街道の今で言うバイパスに当たる久我畷(こがなわて、右奥)との分岐点に当たる。向日町付近のアップダウンを避けるためという説明があったが、幕府の政策として西国からの大名行列を京に寄らせず、直接伏見方面に向かわせたという説もある。
阪急大山崎駅前で昼食休憩。この辺りは山側から名神高速、JR東海道線、阪急京都線、旧西国街道、東海道新幹線、国道171号と、主要交通路線が犇めく交通の要衝である。関大明神社の前には「従是東山城國」という道標があり、「関」の名前通りここが山城と摂津の国境である。大阪府島本町に入る。
その先、街道が最も東海道線に接近したところに踏切があり、渡った先に鴨居商店、もといサントリーの山崎蒸留所がある。わざわざ列車の乗客から目立つ場所に造ったというのは、連続テレビ小説『マッサン』で紹介されたとおりである。
水無瀬神宮の傍を通り、暫くすると明暦3年の銘がある古い道標があった。西暦1657年。これまで見た中で最も古い部類に属する。「右 柳谷 左 西ノ宮そうじ寺」「右 京 伏見 山崎道」とある。
JR島本駅のすぐ東側に「桜井駅跡」があるが、これは鉄道の駅ではなく、馬など旅に必要なものを備えた宿駅のことで、駅伝の「駅」もそこから来ている。島本駅は平成20年開業の新駅だが、「桜井駅」に出来なかったのは桜井線(万葉まほろば線)に同名の駅があるからか。
間もなくして高槻市に入り、ポンポン山LSDなどで何度か通ったことのある辺りを通過する。街道がカギ型に曲がったところに芥川一里塚の跡があり、この辺りは芥川宿という宿場町だったそうだ。
その先、芥川橋東詰から芥川宿方向を振り返って見たところ。道の両側に溝が掘られた石柱があるのは、芥川が氾濫した際に宿場を守るための水門の跡とのことである。他にも愛宕山や金毘羅大権現の燈籠などがあった。
継体天皇陵とされる今城塚古墳近くにある道標。小さな自然石のものに「右ハ妙見道 すぐ惣持寺道」、ブロック塀に埋め込まれた天保6年のものにも「右妙見道」とある。阪急箕面駅から妙見山まで往復のLSDを何度も走ったものだが、昔の人はこの道を走って行ったのだろうか。(笑)
茨木市に入り、東芝工場跡の広大な空き地を左に見てから安威川を越え、やがて茨木川を渡って中河原で亀岡街道と交差する。国道171号を渡ってすぐのところに郡山宿跡があり、椿の本陣がひっそりと佇んでいた。
15時半過ぎにモノレール豊川駅に到着。近くのすみれの湯で汗を流してから帰宅の途に就いた。
5月 9日 LSD30キロ
5月10日 休養
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント
西国街道の京都寄りは以前何度も通っていましたが、詳細についてはわかってませんでした。(^^;
勉強させていただいてます。(^^)
話は逸れますが、今年初めて東寺の夜桜を観にいきました。
五重の塔とセットになると特に見栄えがしました。
投稿: くー | 2015/05/11 18:34
くーさん
私も京都に縁があった割には、
西国街道は初めての体験でした。
昔の旅人からすれば、東寺は今の
京都タワー以上にシンボリックな
建物だったのだと実感しました。
投稿: まこてぃん | 2015/05/11 21:17