『戦場のピアニスト』
2002年仏独ポーランド英合作。allcinema の紹介文。
1939年9月、ポーランド。ナチス・ドイツが侵攻したこの日、ウワディクことウワディスワフ・シュピルマンはワルシャワのラジオ局でショパンを演奏していた。街はドイツ軍に占拠され、ユダヤ人をゲットー(ユダヤ人居住区)へ強制移住させるなどの迫害が始まる。シュピルマン家も住み慣れた家を追われる。ゲットー内のカフェでピアノ弾きの職を得た彼は、様々な迫害に遭いながらも静かに時をやり過ごす。しかし、やがて一家を含む大量のユダヤ人が収容所へと向かう列車に乗せられる。その時、一人の男が列車に乗り込もうとしていたウワディクを引き留めた。(引用終わり)
シュピルマンは実在の人物で、戦後は作曲家としても活動を続け、2000年に死去したそうである。彼自身の体験記に基づいて製作されたこの映画を、本人が観ることは叶わなかったわけだが、カンヌ映画祭のパルムドールとアカデミー賞3部門を受賞した。
ナチスドイツ占領下のワルシャワにおけるユダヤ人の悲劇が、実に淡々とと言うのか、事実をして事実を語らしめる手法で描かれている。目を背けたくなるような惨殺シーンも、過剰な演出がない分、余計に強烈な印象を残す。
最後の危機をシュピルマンが乗り越えられたのは、まさに「芸は身を助く」ということに尽きるが、たまたまそれが通用する相手だったのは、幸運以外の何物でもないだろう。
蛇足を2つ。まず、セリフは基本的に英語だが、これは劇中ではポーランド語という前提になっているようだ。そうでないと、なぜ主人公がポーランド人と判明したのか分からないシーンがある。もうひとつは、ナチ将校が彼の名前を尋ねて「ピアニストらしい名だ」と言ったのは、ドイツ語で「楽隊員」を意味する Spielmann に似ていると思ったからだろう。
ところで、この原稿を書き始める前に「戦場のピアニスト」で検索したら、どういう訳か検索ワードランキングの第1位に出てきた。近いうちにTV放映でもあるのだろうか。
3月2日 休養
3月3日 ジョグ10キロ
3月4日 休養
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