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2014/09/14

紀州街道をば南へ南へと(前半)

秋らしい陽気に恵まれた昨日、長らくお待たせした(誰を)街道走りシリーズ第4弾として、紀州街道の前半、大阪―泉佐野間を行ってきた。タイトルは古典落語「池田の猪買い」で、大阪から池田への道を知っているのかと問われた主人公が返した大ボケである。

10時前に日本橋(にっぽんばし)南詰からスタートした。橋の上には観光バスが早くも1台駐車しているが、ピーク時には3車線を塞いで交通渋滞の原因になっているそうである。近辺の薬局に買い物に来るアジアからの観光客が急増しているためだ。

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紀州街道の起点については、北浜に近い堺筋高麗橋とする説もあるが、高麗橋―日本橋間は旧街道の面影など全くないビジネス街であるのに対し、日本橋南詰付近の三叉路から以南はほぼ一本道で旧道を辿ることが出来るのだ。

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中学生時代に入り浸った日本橋の電器屋街を抜ける。開店と同時に店に雪崩れ込もうというアニメヲタクたちが行列している。

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左手に通天閣やあべのハルカスを望む。通天閣って間近で見るとこんなに巨大だったのかと感心する。

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環状線新今宮駅の下を潜ると、そこは西成あいりん地区である。ドヤと呼ばれる簡易宿泊所が軒を並べ、路上にたむろする人が多い。さすがに撮影はしなかったが。旧南海天王寺支線の廃線跡(現地下鉄堺筋線)を越えるとやがて天下茶屋に入り、旧街道らしい風景になって来た。

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太閤秀吉が住吉や堺へ赴いた際に立ち寄って茶を楽しんだという天下茶屋の跡で、当方は茶の湯ならぬ蛇口の水を頂いて休憩する。(笑)

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南海高野線のガードを潜ると、阪堺線が路面電車となって合流する。しばらくすると左手に住吉大社が見えてくる。正面の鳥居の奥に太鼓橋が見える。この付近に短期間だが住んだことがあり、ちょっと懐かしい。

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阪堺線と別れ安立町に入る。「あだちちょう」ではなく「あんりゅうまち」と読む。この辺りに住んだ名医半井安立の名前を取ったそうである。そう言えば半井小絵という美人気象予報士がいたが、彼女の先祖は医者の家系らしいので、何か関係があるのかもしれない。

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霰(あられ)松原の跡。かつてはこの辺りが海岸線だったらしい。

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大和橋で大和川を渡って堺市に入る。大和川開削当時、大和川に架かる橋はこの1本しかなかったそうである。

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綾之町で再び阪堺線と合流する。子供時代、受け口を矯正するために、この近くにあった歯科まで阪堺電車で通ったことがある。写真の左には結構賑やかな商店街があったはずだが、今ではすっかり寂れコインパークと空き地ばかりが目立つ。

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材木町でようやく古い道標を発見。左妙国寺、右住よし大さかとあり、安永六年の銘がある。今回、紀州街道では道標は思いのほか少なかった。単純な一本道のせいかもしれないが、早くから都市開発が進んで撤去されたものが多いのかもしれない。

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自分が生まれてから小学校卒業まで過ごした付近を通過する。当時はこれが紀州街道とは知るよしもなく、ただ「電車道」と呼んでいた。そろそろ昼時になったので、寺地町の「銀シャリ屋げこ亭」を覗いてみたが、今なお満員の盛況で断念した。厨房の奥にはもう引退した筈の「飯炊き仙人」こと村嶋孟氏の姿があった。それで混んでいたのかもしれない。

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東湊(ひがしみなと)で再び阪堺線と別れて旧道に入ると、いきなりそこはお祭りの真っ只中だった。沿道の人々にとって、旧街道とは祝祭空間でもあるのだ。

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浜寺公園前で旧国道26号線に合流する。泉州マラソンのスタート地点でもあるが、小学生時代、ここの水練学校で水泳の特訓を受けたことを今でも覚えている。泳いだ後は駅前の肉屋でコロッケを買って食べるのが楽しみだったが、当時のままの古い駅舎だけを残して駅前はスカスカの状態になってしまっている。

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高石市に入り、羽衣のなか卯でようやく昼食にありついたのが13時過ぎ。気温が上がり、やや疲れが出て来た上に単調な道が続くのが少し辛い。泉大津市に続いて、日本一面積の狭い自治体である忠岡町を通過。

あちこちで祭の提灯が提げられていたが、岸和田市に入り春木という集落に入ってしばらくすると、突然街道が人波で埋め尽くされていた。岸和田だんじり祭と同日に開催される春木だんじり祭の巡行ルートに当たり、この交差点でだんじりを猛スピードで旋回する「やりまわし」が行われていたのだ。

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初めて見るやりまわしは迫力満点だったが、この日のために1年間生きているとも言われる地元の人々のテンションの高さ、というか殺気立った雰囲気に呑まれて身動きが取れず、街道沿いに進むことは不可能となった。

何とか旧国道側に迂回してから街道に戻る。並松町の辺りで今度は岸和田だんじり祭のエリアに入り、またもや迂回を余儀なくされたが、幸い欄干橋の南詰で街道に戻れた。出番を終えたらしい一団が寛いでいる。

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岸和田城の辺りには古い町並みが残っている。天気が良すぎて写真がハレーション気味である。岸和田のだんじりを初めて見られたのは良かったが、予想外に時間がかかってしまったので先を急ぐ。

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この町並みの途中から貝塚市に入る。途中、岩橋善兵衛の生誕地があった。寛政5年に日本で初めて望遠鏡を作った人で、その精度の高さから伊能忠敬の測量にも使われたそうである。長崎でも江戸でもなく、失礼ながら泉州の片田舎でそんな立派な業績を遺した人がいたのだ。

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街道は途中、粉河(こかわ)街道や孝子越(きょうしごえ)街道・大川峠越との分岐点を過ぎ、やがて熊野街道(小栗街道)と合流して和歌山を目指すことになる。いずれの分岐点も往時は交通の要衝であったはずだが、今は走って和歌山へ行こうなどと酔狂なことを考える人間ぐらいしか通らないようだ。

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泉佐野市に入ってすぐ、孝子越街道・大川峠越との分岐点にある道標。右大川あはしま、左紀州わか山とある。

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佐野高校付近で前半を終了。南海泉佐野駅近くの「日の出湯」に16時20分着。440円の組合料金を消して280円としてある。こんな料金でやっていけるのは、地下から温泉でも湧いているのだろうか(笑)。南海の特急サザン号で新今宮まで引き返すのに30分とかからなかった。

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9月13日 LSD36キロ
9月14日 休養

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コメント

待ってました!?(^^)
街道歩き、地図だけは用意するもののなかなか進んでませんが、季節もよくなったのでぼちぼちと行きたいですね。
昔?泉州マラソン応援の帰り、熊野街道を通って帰ったことがあります。紀州街道はまた別なんですね?
熊野古道は去年から少しずつ断片的に歩いてるんですが、日帰りはできないのでいろいろ調整が必要で。
天気見てから行くというわがままでもあり。(^^;
まこてぃんさんのレポート、楽しみにしてま~す。

投稿: くー | 2014/09/15 20:04

くーさん
お待たせしました!
コメントありがとうございます。
紀州街道と熊野街道は、大阪から
泉佐野鶴原まで別ルートを並行します。

次回は今月末、山中渓を越えて
和歌山を目指します。乞うご期待!

投稿: まこてぃん | 2014/09/16 08:34

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