すぐそこにある廃線跡(6)
走れないからと言って映画ばかり観ているわけにもいかないので(笑)、リハビリの一環として、かねてから探索したいと思っていた小房線、畝傍線の廃線跡を徒歩で辿った。
近鉄『80年のあゆみ』の移設図(クリックで拡大)と宮脇俊三『鉄道廃線跡を歩く』のコピーを頼りに、旧橿原神宮前駅付近からぐるっと反時計方向に回る。
旧橿原神宮前駅は現在駐車場出入口の緑地帯になっている辺りと思われるが、当然何の痕跡も残っていない。そこからJR畝傍方の線路跡も同様だが、前回スポットで確認した小房駅跡の遺構に加え、今回畝傍駅のすぐ東で現在は宅地などになっている廃線跡を確認した。
新しい住宅や用水路がカーブしながら現在の道路を斜めに横切る形となっていることから、明らかに廃線跡と知れる。さらに畝傍駅に近づくと橋台の跡が残っている。
畝傍駅構内の廃線跡。ホームの反対側は万葉まほろば線(桜井線)である。
畝傍駅では年1回の貴賓室公開に合わせて、昭和15年の紀元2600年祭の模様を記録した映画の復刻上映が行われていた。国威発揚を目的に橿原神宮一帯が大規模に整備され、それに合わせて鉄道の線路・駅も移設・統合されたわけである。
八木西口駅から南下していくと、橿原警察署南側の路地に線路の痕跡を発見した。これは宮脇氏の本にはなかったものだ。
ここから橿原神宮参道脇の緑地帯を通る。大久保神社近くの橋台跡は以前スポットで確認済みであるが、南側にそれと同じ高さの石垣が2か所、道路を挟んで残っている。以前からそうではないかと思っていたのだが、橋台跡の高さから水平に眺めてみて確信を持った。偶然居合わせた近所のご老人に訪ねると、確かに昔ここを電車が通っていたという。
これも宮脇氏の本には指摘されていなかったものだが、2つの石垣はいずれも線路方向の長さが5メートルほどしかない。これを両脇の基礎にした橋でも架かっていたのだろうか。大正11年の地図では田圃の真ん中になっていてよく分からない。
歩き回ること約4時間。結構な運動になったが、長靴を履いた中年男が緑地帯の中や人家の裏をキョロキョロしながら徘徊する姿は、傍から見ればただの不審者に違いない。(苦笑)
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コメント
なかなか複雑な変遷があったのですね~~
投稿: たけちゃん | 2014/03/13 16:50
たけちゃん
移設図を何度見ても覚えきれません。
駅名も「橿原神宮」「橿原神宮前」
「橿原神宮駅」と3通りありますし。
投稿: まこてぃん | 2014/03/13 21:14
それだけにぎやかやったんやね~~~
重要な土地やったんやね~~~
投稿: たけちゃん | 2014/03/14 10:11