『紅梅』
吉村氏の日記に「理想的な死」という言葉が記されていたそうだ。幕末の蘭方医佐藤泰然が自らの死期をさとり、高価な薬品や滋養のある食物を絶って死を迎えたのを、「理想的な死」としているのである。
吉村氏もおそらく「自らの死期」を悟ったのであろう。亡くなる日の朝、コーヒーとビールを所望し、「うまいなあ」と言って満足した様子だったが、その夜には「もう、死ぬ」と言って、胸に埋め込んだカテーテルポートを自らひきむしってしまったのだ。
様々な癌治療を試みつつも、「いかなる延命治療も拒否する」としていた吉村氏は、そのことを自らの手で実践したのである。若い頃に大病を患い、また身内の死に次々と直面してきた吉村氏にとっては、死は常に身近に存在するものであり、そのことへの対処も常に頭の中にあったのだろう。
遺書も詳細を極めている。特に、他人に死顔を見せないために、「一刻も早く火葬場に運び、荼毘に付すこと」としているのは、いかにも吉村氏らしい。果して、その死顔はどうだったのか。氏の遺言に反するかもしれないが、著者がそれについて述べた最後の1行に、非常に大きな感銘を受けた。
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