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2010/11/20

『悼む人』

41nr3gqcjtl__sl160_pc_sh50__2天童荒太著。直木賞受賞作。ある人に勧められて読んでみた。版元紹介文。

週刊誌記者・蒔野が北海道で出会った坂築静人(さかつき・しずと)は、新聞の死亡記事を見て、亡くなった人を亡くなった場所で「悼む」ために、全国を放浪している男だった。人を信じることが出来ない蒔野は、静人の化けの皮を剥(は)ごうと、彼の身辺を調べ始める。やがて静人は、夫殺しの罪を償い出所したばかりの奈義倖世と出会い、2人は行動を共にする。その頃、静人の母・巡子は末期癌を患い、静人の妹・美汐は別れた恋人の子供を身籠っていた――。 静人を中心に、善と悪、愛と憎しみ、生と死が渦巻く人間たちのドラマが繰り広げられる。著者畢生(ひっせい)の傑作長篇がいよいよ登場です。(AK)(引用終わり)

11月19日 休養
11月20日 ジョグ10キロ

第一章に次のような記述がある。

大きな災害や事故でもないかぎり、報道される死は一日十人前後だった。国内の年間死者はここ数年、百万人を超えている。一日におよそ二千八百人が死に、そのなかで報道される死者は約〇・〇〇三六パーセント(ママ)の計算だった。

正しくは0.36%の筈だがそれはともかく、ほとんどの死者は新聞報道すらされずにこの世を去っている。昨今では誰にも看取られないまま「孤独死」「無縁死」する人が増えているという。「人の死はそんなに容易く忘れ去られて良いのだろうか」「人は死んで何を残すのだろうか」と本書は問い掛ける。

続いて、第六章に出てくる朔也の言葉。

原生動物と同じ細胞の貪欲な生命力が人を生かしている。ヒトという種を残すために発達した脳が、いわば副作用としてゾウリムシと同等なのを恥じ、愛や仕事のために生きているだの、神仏や聖なる存在に生かされているだのと、愚かな言い訳を創造したのさ。(中略)たぶん犬死を怖がっているんだろう。死そのものではなく、自分の死が無意味だということ、懸命に生きてきた人生が原生動物の死と同じものに帰す、という事実が怖いんだ。

さらに、第八章に出てくる蒔野の言葉。

金でも宗教でもないよ。きみがもし死んだら、どれだけ稼いだとか何を成したとか、そんな表面的なことは一切関係なく、本当に大事な人がこの世界に生きていたんだと覚えてくれるんだ。

「悼む人」である静人はあくまで物語だけの架空の存在だが、亡くなった人の記憶が家族や友人の胸に刻み込まれるということが、何よりも大切なことであるというのが、先ほどの問い掛けに対する本書の回答なのだと思う。

静人は死者を悼む際、その人が誰に愛され、誰を愛し、どんなことで人に感謝されたかと周囲の人に尋ねる。人は人との関係性の中で生きる存在であり、死んだ後もその記憶が人々の胸に残る限り、「犬死」から免れるのである。

妹の妊娠と母の末期癌という生と死の対比も鮮やかであるし、生きたまま火をつけられて死んだ少女のエピソードも、それだけで1冊の本が書けそうなほどの内容がある。著者が7年の歳月を費やしたというのも頷ける力作、そして傑作であると思う。

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