『月と蟹』
これまで読んだ道尾作品の多くが、親を亡くした子供(たち)が主人公であったように、今回の主人公の慎一もまた父を癌で亡くし、母とともに祖父の家に引っ越してきたという設定である。
同じ転校生である春也と一緒に遊ぶようになるが、春也は実は父から暴力を振るわれている。小説はこの二人の愛憎半ばする関係を軸に、漁船事故で脚が不自由になった慎一の祖父、その事故で母を亡くした同級生の鳴海、鳴海の父と密かに交際している慎一の母純江が絡みつつ、物語は終盤まで比較的淡々と進行する。
学校で次々に渡される脅迫文。母の不審な行動。春也と鳴海への嫉妬…。「何かに取り囲まれていく」と感じた慎一は、周囲に対して次第に敵意を抱くようになり、「ヤドカミ様」の儀式でそれを叶えようとする。
『向日葵の咲かない夏』にも出てきたように、自ら作った「物語」に縋るしか生きていけない人間の弱さがここにも現れている。しかし、最後には慎一はそれを克服し、自らが仕掛けた不吉な「願い事」を体を張って阻止するところで終わっている。
そのカタルシスが今後どこに通じていくのかは読者に任されている。作者はインタビューで、「魚を食べ終わって小骨が引っかかっているような感じ」を残す小説を意図したと述べている。これまでの道尾作品とはひと味違う、まさにそんな作品である。
ところで、関西から転校してきたという春也の喋る関西弁がちょっとおかしい。標準語で「何々したんだよね」に相当する「何々してんやんか」が、なぜか端折られて「何々してんか」となっている。これでは「何々してくれ」という命令文になってしまう。
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コメント
関西は、何県の設定でしたか?
というのは、妻の実家の滋賀県草津市では、「何々してんか」と言いますよ。
イントネーションは、命令口調ではなく「何々してんやんか」と同じで「やん」だけ抜いた状態で最後に小さい「ぁ」が入る。
「してんかぁ」という感じ。
わかります?
伝わらなければ、電話しましょうか(笑)
投稿: ほにゃらか | 2010/10/23 07:15
ほにゃらかさん
こちらではお久しぶりの登場ですね。
その後、走っておられますか?
滋賀弁?のイントネーション、
だいたい想像がつきますし、
バリエーションの多い関西弁
のひとつとして十分理解できます。
けれども、原作では
治也の出身は関西の海辺の町で
とあり、滋賀でないことは確かです。
ただ、どこか特定の町をイメージした
ものではないと思われます。
作者が方言指導を頼んだ関西出身の知人が
たまたまそういう言い方をする人だった
ということかもしれません。
「何々しいひん」という京都弁も出てくるので、
京都滋賀方面の人なのかもしれませんね。
ナイトスクープで調べてもらいましょうか(笑)
投稿: まこてぃん | 2010/10/23 09:31