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2010/09/21

『草の花』

111501_2福永武彦著。先日読んだ道尾秀介の『プロムナード』に出てきて、うちに古い文庫本があったのを思い出したので読んでみた。昔読んだかどうかすら記憶にない。版元紹介。

研ぎ澄まされた理知ゆえに、青春の途上でめぐりあった藤木忍との純粋な愛に破れ、藤木の妹千枝子との恋にも挫折した汐見茂思。彼は、そのはかなく崩れ易い青春の墓標を、二冊のノートに記したまま、純白の雪が地上をおおった冬の日に、自殺行為にも似た手術を受けて、帰らぬ人となった。まだ熟れきらぬ孤独な魂の愛と死を、透明な時間の中に昇華させた、青春の鎮魂歌である。(引用終わり)

9月20日 LSD20キロ
9月21日 ジョグ10キロ

人間の根源的な孤独を軸として、愛、宗教、死など、取り上げられているテーマはいずれも重い。戦時下でいつ召集令状が来てもおかしくない極限の状況下、主人公はそれらに真剣に対峙することを迫られる。

内容もさることながら、道尾氏が書いていたように、これほど美しい文章を今、誰が書けるだろう。汐見が書きかけたという小説の文章は、実に格調高い美文である。

……少女は永遠を待っていた。この大きな掌のような夜が一切の星座を統べながら次第にそのひろがりを閉じ、やがては暁の爽かな薄明が東の空に星々のまどろみを消し去って行くその時に、……

……樹々の梢に小鳥が早い目覚めを目覚め、谷川のせせらぎが郷愁の海を求めて一層その流れを早くし、牧草が重たい露に濡れて次第に頭を垂れるその時に、――金の矢が高く高く昧爽の空を貫き、聡明な鶏が朝の第一声を雄々しく叫び、遂に夜の神秘が昼の真実にその処を譲ろうとするその時に、――果して、永遠が訪れないと誰が言えよう。少女は固く唇を噛み、眼を遠く据えて、この永遠を待っていた。恰も夜と昼との、このなめらかな、絡み合った、素早い交替のさなかに、流れ行くものは一瞬とどまり、そこに待ちに待った魅惑の時が、彼女の願望を実現して、今、今、天から降り注いででも来るかのように……。

しかし、私がもっと驚嘆したのは、一見平易な言葉を連ねた文章の見事な描写力である。例えば、汐見が死んだ翌朝の情景は次のようである。

あくる朝はうららかな上天気で、雑木林の枝という枝が雪を戴いてきらきらと太陽に光った。地面に雪は一尺の余も積っていた。元気な患者達は庭へ出て、嬉しげに声をあげて叫んだ。南側の屋根からは点滴の音が次第に烈しくなった。雀がしきりに啼いた。
私達は汐見の屍を守って霊安室へと足を運んだ。林の中を抜けて行く散歩道には、まだ人の足跡もなく、雪は純白に敷きつめられて、そこに樹々の梢から陽光が縞をなして流れ込んで来た。時々冷たい滴が、道の真上の枝から私達の頭に滴り落ちた。(中略)
私はまた霊安室へ通じる散歩道を辿った。陽はいよいよ明るく、雪はいよいよ白い。下駄の歯に食い込む雪を、私は木の幹でぽんぽんとはたいた。その乾いた音は遠くまで響き渡った。

一体どうしたら、こんな文章を書けるのだろう。

余談ながら、汐見が一度は千枝子と一緒に日比谷公会堂でショパンのピアノ協奏曲第1番を聴いたのに、出征のその日の夜は隣に千枝子が来ないまま、一人でショパンを聴くという印象的なシーンがある。

はて、どこかで見たことがあると思ったら、松田優作主演の映画『野獣死すべし』に出てきたのだった。場所も日比谷公会堂なら、曲も同じショパンのピアノ協奏曲第1番。銀行襲撃より前に松田優作と小林麻美が一緒に第1楽章を聴くシーンと、ラスト近くで松田ひとりで隣は空席のまま第3楽章を聴くシーンが出てくる。ちなみにピアノは花房晴美である。

大藪春彦の原作には出てこないので、これは監督の村川透のアイデアなのだろう。もしかしたら『草の花』をヒントにしたのかもしれないと思ってネットで検索してみたが、そういう指摘は発見できなかった。誰かご存知の方いませんかね?

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