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2010/08/24

『俺俺』

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星野智幸著。朝日新聞の書評で絶賛されていたので読んでみた。版元紹介文。

なりゆきでオレオレ詐欺をしてしまった俺は、気付いたら別の俺になっていた。上司も俺だし母親も俺、俺ではない俺、俺たち俺俺。俺でありすぎてもう何が何だかわからない。電源オフだ、オフ。壊れちまう。増殖していく俺に耐えきれず右往左往する俺同士はやがて――。現代社会で個人が生きる意味を突きつける衝撃的問題作!(引用終わり)

8月23日 ジョグ10キロ
8月24日 ジョグ10キロ

タイトルから直ちに振込め詐欺が連想される。確かに主人公の「俺」が成り行きで詐欺を働いてしまったところから物語は始まるものの、それは一つのきっかけにすぎず、むしろ簡単に他人になりすませてしまう現代社会の不気味さそのものがテーマと言えばいいだろうか。

写真家の夢を半ば諦め、家電量販店のデジカメ売り場で働く「俺」は、惰性のような生活を送るうちに自己を見失いつつある。他者との人間関係にも疲れ果てた「俺」にとって、アパートに帰り着いて「電源オフ」の状態になり、コンビニ弁当を食べたりしているときが一番心が休まるのである。

ある日、「俺」はマクドナルドで隣に座った男が間違って自分のトレイに置いた携帯を持ち帰る。そこに男の母から電話がかかってくる。ふとしたイタズラ心から「俺」は男になりすまし、借金をしたとウソをつき振込め詐欺を働いてしまう。用が済んだ携帯は二つに割って川に捨てた。

ところが、どういうわけか男の母がアパートにやってきた。「俺」はいつのまにかなりすましたはずの男になっていたのだ。男の家には「俺」の写った写真があった。動転して自分の家に行ってみたら、そこには別の「俺」がいた。

2人の「俺」はその後すぐに打ち解けあった。何しろ同じ「俺」同士なのだ。もう1人の学生の「俺」と3人、猿山ならぬ「俺山」の居心地よさを満喫するのも束の間、無限に増殖する「俺」に次第に追い詰められるようになる。

「俺」だらけの満員電車に乗って東京郊外の山中に逃げ込んだ「俺」は、極限の状況の中で自分の存在に再び目覚める、というところで物語は終わっている。

筒井康隆のSFを思わせる不条理な設定にもかかわらず、登場人物たちの行動や会話は東京の「今」を丸ごと切り取ったようなリアリティに溢れていて、ある日突然この小説のようなことが本当に起きても不思議でないと思わせる。それがこの小説の本当に怖いところだ。

一見平和そうに見える社会の底流で、人間のアイデンティティの危機が密かに進行している。人間はいつでも代替可能な労働力に貶められ、「書き割りとかCG、みたいな」(58頁)のっぺりした存在になりつつあるのだ。

カバーの石田徹也「燃料補給のような食事」という絵は、主人公が一時吉野家でアルバイトをしていたという設定から使われたのかもしれないが、店員が客の口に給油ノズルで直接飯を食わせている構図はとてもシュールで怖い。

ちょっと気が早いが、もしかすると今年最もインパクトのあった本になるかもしれない。

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