『新廃線紀行』
嵐山光三郎著。表紙も中身もなかなかに渋い1冊である。アマゾンの紹介文。
「廃線を歩くとムカシの匂いがよみがえるのだ。レールに霊があり、レールを触媒として自分の行く末を見届ける。廃線に点在する無用の駅はコンクリートの歌枕である」----「日本一周ローカル線」の旅で世の鉄道ファンたちを驚喜させた著者が、ついに鉄道趣味の極北「廃線」をめざして旅に出た。北海道・ちほく鉄道から鹿児島・南薩鉄道まで、全国津々浦々の朽ち枕木・錆びレール・壊れ踏切・残り橋桁・虚ろ駅舎・消え路線をもとめて東奔西走、右往左往。地元B級メシに名湯秘湯、珍景絶景も折々にからめ、不良オヤジの本領を存分に発揮した痛快紀行。「夢の跡」となった線路から、幻の汽笛が聞こえる。(引用終わり)
2月8日 ジョグ10キロ
2月9日 ジョグ10キロ
廃線が「鉄道趣味の極北」とは知らなかった。それにしても、偶然廃線跡を発見したときの、えもいえない興奮と次第に湧き起こる郷愁にも似た感情は、一体どこから来るものだろうか。紹介文にも「自分の行く末を見届ける」とあるが、本文中の次のような箇所にヒントがありそうだ。
使命を終えた鉄路を見届け、この世の無常を知る。すべての鉄道は、いつの日か廃線になる運命にあり、それは人の肉体も同様である。廃園、廃屋、廃船、廃鉱、廃駅、廃村、廃道、廃校に共通するものは、無限の空漠であって、廃墟にたちこめる地平を見る。廃線もそのひとつで、行き交った時間の地平へ旅立つのだ。(47頁)
身近にある廃線跡を見つけて一時の感慨に耽ることはこれまでもあったが、将来自由な時間が出来たら日本各地の廃線跡を探訪し、できれば自分の足で走って往時を偲んでみたい。湧網線、筑波鉄道、信越本線旧線、片上鉄道、耶馬溪鉄道…。行きたい所は数多いし、悲しいことながら新たな廃線も次々と出てくるだろう。
ところで、嵐山光三郎氏は雑誌『太陽』の編集者だった。そう言えば、廃線探訪の大先達の宮脇俊三氏も『中央公論』の名編集者だった。偶然の一致なのだろうか。
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