『私の引出し』
同じ作家のエッセイを続けて読んでいると、すっかり顔なじみの飲み友達にでもなったような錯覚に陥る。一杯機嫌になって、「ああ、またあの話をしてるな」という感じである(笑)。それだけ吉村氏の文章が巧みなのだろう。
本書では中耳炎の手術をしたとか、小学校の成績が全甲だったとか、初めて聞く話もあって新鮮だったが、中でも医師に言われたとおり禁酒を実行した際の奥様(津村節子)との遣り取りを記した「この一言」が面白かった。
禁酒して二十日ほどした頃、妻が、
「あなたって、お医者さんの言うことだけはよく守るのね。意志の強いのに本当に驚いたわ」と、感に堪えたように言った。意志が強いと言うよりは臆病なのだが、
「強いだろう。それだからこそ、あんたと三十年以上もこうして一緒に暮してきたのだ」
と、言った。
妻は一瞬絶句し、薄気味悪いほど眼に涙をにじませて笑いつづけた。
これには後日談があって、禁酒の甲斐あって検査値が正常に戻ったことを医師から告げられた吉村氏は、
「三十年間、この一言を口にする機会をねらっていましたが、おかげさまで……」
と、言った。
「私も、いつか言ってみたいですね」
教授は、笑った。
しかし、
その後、私は、この一件について人に話すことをやめた。妻が、私に同じ一言を浴びせかけてくる機会をうかがっているような気がするからだ。
秀逸な一篇である。
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コメント
吉村特集(^^)。嬉しいです。
この「引き出し」、私もその話が好きです。なかなか面白い。
このエッセイ集に「ハワイ奇襲艦隊を目にした女性」というのもあったと思います(今、帰宅中に書いているので、未確認)。
寂しい単冠湾近くで生活している小学生達が、偶然目撃した帝国海軍の精鋭部隊。戦艦やら空母やら。
壮観だったことでしょうね。
子供もさることながら、その小学校の先生方を含め大人達もたまげたことでしょう。
新潟中越地震をこれと同じ点で話すのはおかしいと思いますが、被災直後に現地に行った時、地震で怯える子供達が避難している小学校等に、陸上自衛隊の特別車両が次々と入ってきて、復興作業を開始しました。
子供達、これまたびっくりでしたが(私も驚いた)、大型車両が到着するたびに、大喜びしてました。
一気に30分弱で何十食分も炊きあげる炊飯車とか、なんか凄い車両がいろいろ(^^;。
投稿: 高橋 | 2009/11/11 19:09
高橋さん
その後ご無沙汰です。
もう図書館に返してしまったので確認できませんが、
単冠湾の話は他の随筆集でも出てきたような…。
以前読んだ真珠湾攻撃隊長の淵田美津雄自叙伝で
当事者側からの記述を読んでいただけに、
傍観者からの観察は一層興味深かったです。
札幌医大での日本初の心臓移植手術の時に、
記者会見には見向きもせず、誰も気にしなかった
臓器提供者側の事情を探りにいった話と同様、
吉村氏の着眼点の鋭さを窺わせますね。
投稿: まこてぃん | 2009/11/11 22:39