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2009/10/24

『私の好きな悪い癖』

51e8b9kewcl__sl500_aa240_吉村昭のエッセイ5冊目。アマゾンの紹介文。

歴史小説第一人者の端然たる名随筆集
小説家の静かなる日常
幼い頃の下町・日暮里での暮らしから病気の事、締め切りよりも早すぎて編集者が戸惑う原稿の話。卯年生まれは口がうまいと言われ憤慨するかと思えば浅草の小料理屋で、罪のない嘘をつく。
「エッセイは、小説を書く私の素顔である」という歴史小説の第一人者が、日常から掬い上げた事柄をまとめた上質の随筆集。(引用終わり)

10月23日(金) 休養
10月24日(土) ジョグ10キロ

前回読んだ最晩年のものより少し以前の2000年発刊。文章力の衰えはまだ見られないが、話題はかなり限定されてきていて、以前読んだものと同じネタも散見される。

今回心に残ったのは、ひとつは小説や随筆の原稿を必ず締切り日前に書き上げる自身の習慣について語った「早くてすみませんが……」の一篇。締切り3日前になっても1行も書けなかったことがあり、「あのような恐怖は二度と味わいたくない、と痛切に思った」そうで、「いわば私は、小心者なのである」と言われるが、極めつけの小心者の自分がもし作家だったら、多分同じことをするだろう。

もうひとつは、72歳の年男を迎えた年に、某雑誌の新年号用のエッセイ執筆を依頼されたときの話を書いた「卯年生まれ」の次の個所である。

年齢について違和感をいだきはじめたのは、六十代の半ばを過ぎたころからであった。ふだんは別になにも思わなかったが、旅に出てホテルでチェックインするとき、宿泊人カードの年齢の欄に67とか68とか書く。この数字はいったいなんなのか。だれの年齢なのだ、と抗議するように見つめるのが常であった。

自分は既に50代にして同じ経験をしている。マラソン大会の申込書の大会当日年齢の欄に50とか51とか書いて、「おい、一体これは誰のことなのか」と一瞬思ってしまうのだ。吉村氏は70歳の誕生日を過ぎると抵抗感がなくなったというが、はてさて自分の場合はどうなるだろう。

著者の出身地日暮里の辺りと思しき、東京の下町風景を描いた単色のカバー絵(安野光雅)が洒落ている。

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