ハンス・ロット「交響曲第1番ホ長調」
ハンス・ロット(1858-1884)は、ウィーン音楽院でブルックナーらに学び、マーラーの同級生でもあった。在学中から作曲を開始し、その優れた才能は高く評価され、音楽院卒業時のコンクールに交響曲第1番の第1楽章を提出している。2年後3つの楽章を加えて交響曲第1番を完成させたが、自作への冷たい反応に対して発狂、精神病院に収容され、26歳の若さで世を去った。
この交響曲は、ブルックナー、ブラームス、ワーグナーら後期ロマン派の影響を受けながらも、ロット独自の作風も盛り込んでおり、後に作曲されるマーラーの諸交響曲をも予感させる、演奏に55分あまりを要する大作。(引用終わり)
9月7日 ジョグ10キロ
9月8日 休養/完全休肝
文中にある「自作への冷たい反応」とは、ライナーノートの解説によれば、第4楽章主部の旋律が、自身の交響曲第1番第4楽章のそれと酷似していると感じたブラームスの批判であったとされ、それがロットに「ブラームスに監視されている」という妄想を抱かせ、ついには発狂に至ったという。
中学時代から敬愛してやまないブラームスだが、いささか罪作りなことをしてくれたものだ。そもそもブラームスのかの旋律自体、ベートーヴェンの「第九」の終楽章「歓喜の歌」に似ていると批判があったものだ。それに対して「耳の悪い人間には同じように聞こえるものだ」と意にも介さなかったブラームスは大家として名を成し、批判を気に病んだナイーヴな青年ロットには悲劇的な運命が待ち構えていたのだ。
ところで、モノマネはまだ続く。ロットのこの曲の第3楽章の主題は、これより後に作曲されたマーラーの交響曲第2番「復活」第3楽章中間部の旋律にそっくりなのである。自作の歌曲集のテーマをしばしば交響曲に転用したマーラーだが、ここでは若くして亡くなった同級生を偲んだものだろうか。
若書きの作品ゆえの未熟さは散見されるものの、一聴してブルックナーの正統的な後継者となり得た才能と考えられるし、またトライアングルによる弱音のトレモロなど個性的な楽器法の片鱗も窺えるだけに、その短い生涯はあまりに残念なことと言わざるを得ない。
演奏はセバスティアン・ヴァイグレ指揮、ミュンヘン放送管弦楽団。アルテ・ノヴァ原盤。詳細な解説文に関連年表までついて1000円とはお買い得だ。
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