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2007/11/10

『走ることについて語るときに僕の語ること』

9784163695808村上春樹の新著。早めに図書館に予約を入れたので2人目で読めた。やたらに長いタイトルは最近の流行りだが、実は著者が敬愛する作家、レイモンド・カーヴァーの短篇集 What We Talk About When We Talk About Love を原型にしたという。版元紹介。

1982年秋、『羊をめぐる冒険』を書き上げ、小説家として立つ手ごたえを感じた時、彼は走り始めた。以来、走ることと書くこと、それらは、村上春樹にあって分かつことのできない事項となっている。アテネでの初めてのフルマラソン、年中行事となったボストン・マラソン、サロマ湖100キロ・マラソン、トライアスロン……。走ることについて語りつつ、小説家としてのありよう、創作の秘密、そして「僕という人間について正直に」、初めて正面から、綴った画期的書下ろし作品です。

11月 9日の練習内容 ジョグ7.5キロ
11月10日の練習内容 完全休養

以下少し長くなるが、本を返してしまう前に印象に残った文章をいくつか書きとめておく。

内容は紹介文のとおりである。「走ること」と「書くこと」が著者の中でいかに分かちがたく結びついているかを知り、大きな感銘を受けた。ランナーなら誰しも抱いている思いについて、ものの見事に記述した文章が随所に見られるが、それはただ彼が文筆を生業とする作家だからではない。「後書き」によれば既にフルマラソンを25回走ったランナーとして深めてきた思索の賜物に他ならないのである。

例えば、ランナーなら一度は「何のために走るのか」「何を考えながら走っているのか」と人に尋ねられたことがあるだろう。その問いにきちんと答えるのは意外に難しいが、著者の説明は見事である。例えば後者の質問に対して。

僕は走りながら、ただ走っている。僕は原則的には空白の中を走っている。逆の言い方をすれば、空白を獲得するために走っている、ということかもしれない。(中略)
走っているときに頭に浮かぶ考えは、空の雲に似ている。いろんなかたちの、いろんな大きさの雲。それらはやってきて、過ぎ去っていく。でも空はあくまで空のままだ。雲はただの過客(ゲスト)に過ぎない。(32頁)

「何のために走るのか」は「何のために生きるのか」に通じる根源的な問いである。著者によれば、それは「自分自身の設定した基準をクリアできるかできないか」(21頁)であり、「走り終えて自分に誇り(あるいは誇りに似たもの)が持てるかどうか、それが長距離ランナーにとっての大事な基準になる」(22頁)。そして、「同じことが仕事についても言える」(同)のである。

小説家という職業に――少なくとも僕にとってはということだけれど――勝ち負けはない。発売部数や、文学賞や、批評の良し悪しは達成のひとつの目安になるかもしれないが、本質的な問題とは言えない。書いたものが自分の設定した基準に到達できているかいないかというのが何よりも大事になってくるし、それは簡単には言い訳のきかないことだ。他人に対しては何とでも適当に説明できるだろう。しかし自分自身の心をごまかすことはできない。そういう意味では小説を書くことは、フル・マラソンを走るのに似ている。基本的なことを言えば、創作者にとって、そのモチベーションは自らの中に静かに確実に存在するものであって、外部にかたちや基準を求めるべきではない。
走ることは僕にとっては有益なエクササイズであると同時に、有効なメタファーでもあった。僕は日々走りながら、あるいはレースを積み重ねながら、達成規準のバーを少しずつ高く上げ、それをクリアすることによって、自分を高めていった。少なくとも高めようと志し、そのために日々努めていた。僕はもちろんたいしたランナーではない。(中略)しかしそれはまったく重要な問題ではない。昨日の自分をわずかにでも乗り越えていくこと、それがより重要なのだ。長距離走において勝つべき相手がいるとすれば、それは過去の自分自身なのだから。(22-24頁)

<小説家にとって重要な資質である・引用者注>このような能力(集中力と持続力)はありがたいことに才能の場合とは違って、トレーニングによって後天的に獲得し、その資質を向上させていくことができる。毎日机の前に座り、意識を一点に注ぎ込む訓練を続けていれば、集中力と持続力は自然に身についてくる。これは前に書いた筋肉の調教作業に似ている。日々休まずに書き続け、意識を集中して仕事をすることが、自分という人間にとって必要なことなのだという情報を身体システムに継続して送り込み、しっかりと覚え込ませるわけだ。そして少しずつその限界値を押し上げていく。気づかれない程度にわずかずつ、その目盛りをこっそりと移動させていく。これは日々ジョギングを続けることによって、筋肉を強化し、ランナーとしての体型を作り上げていくのと同じ種類の作業である。刺激し、持続する。刺激し、持続する。この作業にはもちろん我慢が必要である。しかしそれだけの見返りはある。(109頁)

もうひとつ、「なるほどそうか」と思わず膝を打った箇所。写真を見るからに(笑)私と同様の太りやすい体質である著者ならではの分析である。

しかし考えてみれば、そういう太りやすい体質に生まれたことは、かえって幸運だったのかもしれない。つまり僕の場合、体重を増やさないためには、毎日ハードに運動をし、食事に留意し、節制しなくてはならない。しんどい人生だ。しかしそのような努力を怠りなく続けていると、代謝が高い水準で保たれ、結果的に身体は健康になり、頑丈になっていく。老化もある程度は軽減されるだろう。ところが何をしなくても太らない体質の人は、運動や食事に留意する必要がない。また必要もないのにそんな面倒なことを進んでやろうという人は、それほど多くないはずだ。だから年齢を重ねるにつれて、体力が次第に衰えていく場合が多い。意識的に手入れをしていないと、自然に筋肉が落ちて、骨が弱くなっていくものなのだ。何が公平かというのは、長い目で見てみないとよくわからないものである。(63-64頁)

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コメント

お久しぶりです。
この本、僕も図書館に予約を入れてますが、なかなか廻ってきません(泣)。故障で走れず毎日悶々としている中で、「マラソン」について考えてみたいのですが…

ちなみに、同じ著者の「sydney」は、オリンピックのドキュメンタリーとして最高のものだと思います。

投稿: ながい | 2007/11/11 12:07

ながいさん
故障で走れず、ですか。
吉野川でお見かけしなかったので
不思議に思っておりました。お大事に。

「Sydney!」はいいみたいですね。
次に図書館に行ったらチェックしてみます。

投稿: まこてぃん | 2007/11/11 21:13

初めまして!神奈川の53歳老ランナーです。(笑)
まこてぃんさんのこのブログは私のお気に入りにいれていて
ちょくちょく覗いております。
それにしても年々成長の跡をしっかり残されてすばらしいですね。
ところで、この本は私もつい2週間前に読み終えたばかりです。
まさか、村上春樹は走っているとは???
でもまさしく、私の思ってることを上手にわかり易くしかも簡潔に書かれていて、長く走ってる人にしか語れないこれ以上も以下もない言葉だと思います。

昨年の防府読売マラソンはピークが早目にきたようですが今年はバッチリ調整して自己新目指してがんばってください。

投稿: 荒石 直 | 2007/11/12 13:18

荒石 直さん
初めまして&コメントありがとうございます。
こうやって見ず知らずの人からも反応を頂けるのは
ブロガー冥利に尽きます。m(__)m
村上春樹の本はあちこちで話題になっていますね。
最近女性ランナーが増えていることとも相俟って、
「走ること」への関心が更に高まりそうです。
今後ともよろしくお願いします。

投稿: まこてぃん | 2007/11/12 21:56

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