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2007/11/29

『シドニー!』

Sydney村上春樹著。2000年シドニー五輪観戦記ということに一応なるけれども、彼の手にかかるとさすがに一筋縄にはいかない。アマゾンの紹介文。

ひょっとしてあなたはテレビで見ただけで、オリンピックのすべてを見とどけたつもりになっていませんか? マラソン最終ランナーがゴールにたどりついたときのスタジアムのどよめき、オリンピック・パーク駅のカップル、コアラのトラウマ…なんかを知っていますか? 「オリンピックなんてちっとも好きじゃないんだ」という小説家は現場で何を見たのか? 村上春樹の極私的オリンピック、シドニーの23日間。 (引用終わり)

11月28日の練習内容 ジョグ10キロ
11月29日の練習内容 ビルドアップ15キロ

奥田英朗のアテネ五輪観戦記『泳いで帰れ』を思い出しながら読んだ。世紀の祭典の現場に立ち会っているという興奮、現地での生活や体験についての細かいレポート(毎日何を食べたかとか)、ついつい独り言を呟いてしまう独特の文体まで共通している。

本体の五輪観戦記の部分は、女子400mで金メダルを取ったアボリジニーの選手、キャシー・フリーマンのこと以外はそれほど強い印象を受けなかった。何しろ、著者自身がこんなことを書いているのである。

「オリンピックくらい退屈なものはないのか?」
「答えはイエスだ。イエス、イエス、イエス。オリンピックはとても退屈だった」(348頁)

しかし、その退屈さとは、私の理解ではスポーツのための無限の反復練習のようなものではないかと思う。

「『退屈さを通して感銘(のようなもの)を』、というあたりが、僕らが現実的に手に入れることのできる、まっとうな部類の精神の高みではないか。そしてオリンピック・ゲームとは(少なくとも僕にとってのオリンピック・ゲームとはということだが)、そのような密度の高い退屈さの究極の祭典なのだ」(349頁)

ランナーとしては観戦記そのものより、それを挟む形で収録された有森、犬伏両選手の事前、事後インタビューの方が興味深かった。例えば、有森選手についての次のような文章である。

「でも、彼女はエゴロワとは違って、走りやめたいなんてちらりとも考えなかった。やりかけたことを最後までやりとおすことは、彼女の生き方の一部だった。それがない私は私じゃない。曲がりなりにもやりとおせば、必ず何かが生まれる。やりとおさなければ、何も生まれない。ゼロだ。 (中略) 根性? いや、それは根性なんかじゃない。私は私自身のために走っているのだ」(21頁)

著者は小説家としてのみならず、インタビュアーとしても超一流の才能を持っていると思う。

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