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2007/10/07

『家はあれども帰るを得ず』

51ke5e0z89l__aa240_引き続き関川夏央著。アマゾンの紹介文。

日本に中産階級と家庭は確かにあった…。現代に失われた良き家庭を懐かしむ表題作。19歳の夏、人間関係の機微と孤独を味わった、ほろ苦い経験を描く「神戸で死ねたら」。時代を自由に駆け巡り、世代を超えて思考し、郷愁のなかに表われる鋭い批評精神と深い諦念をもとに、美しい文章で綴られた32篇を収録。(引用終わり)

10月6日の練習内容 持続走20キロ
10月7日の練習内容 2キロ走(7分40秒程度)×5本を含む14キロ

最初に読んだ『石ころだって役に立つ』でも感じたが、この著者のどこか達観したような文章は誰かに似ていると思っていたら、本書第Ⅰ部の出典が雑誌『室内』とあるのを見て「ああ、そうか」と膝を打った。編集者の山本夏彦氏の文章にテイストが似ているのだ。

いや、話はむしろ逆で、山本氏が関川氏を見込んで執筆陣に加えたという方が正しいのだろう。表題作「家はあれども・・・」や「何しに来たのよこんなとこまで」といった秀逸なタイトルはまさに山本氏譲りだ。

むろんタイトルだけではない。表題作では「家はあっても家族はなく、家族はあっても家庭はない」と現代家族の病理を喝破し、第Ⅳ部の「しごとの周辺」では人生と死の本質について次の僅か3行でほぼ言い尽くしていて、その文章力に唸らされた。

向上と充実ばかりではない。停滞がある。退化もある。それが人間の一生であり「老化」である。ひとは壮年期に完成し、その後は次第に未完成となって、やがて幼年期に作られた基層を露出しながら虚無へと向かう。

ところで、本書では「女友だち」が何度も登場する。しかも、どうやら同一人物ではなさそうだ。独身である著者はよほど女性にもてるのか、あるいは半分は創作なのか、その辺りは定かではない。何と言っても、著者は「あとがき」で「この本はいわゆるエッセイの集成ではない。(中略)強いていうなら嘘話である」と書いているのだから(笑)。

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