『石ころだって役に立つ』
関川夏央著。この人の本は初めて読んだ。最近読んだ奥田英朗『泳いで帰れ』の冒頭で旅行に持参するにはこの人の文庫本が良いと書いてあった。例によって私の読書は行き当たりばったりである(笑)。アマゾンの紹介文。
「なぜ私は本を読むのがやめられないのか…」一九六〇年代から七〇年代にかけて、明日というものがまだ信じられていた高度成長期のこの国で読まれ、観られた様々な「物語」たち。それらをめぐる青春の記憶を、著者は時に苦しく、時に切なく鮮やかに描き出す。どんな本やどんな物語が自分をつくったのか。昭和という時代と団塊の世代のひとつの個人史を見事に重ね合わせた傑作エッセイ。(引用終わり)
9月27日の練習内容 ジョグ10キロ
9月28日の練習内容 ビルドアップ10キロ
楽しそうな装丁から気軽に読めるエッセーを予想していたが見事に裏切られた。全篇そこはかとなく暗いトーンで、明快な結論や主張が記されているわけでもなく、読んでいて出口のない閉塞感にとらわれた。アマゾンに誰ひとり書評を書いていないのも無理はない(苦笑)。それはおそらくこの本で作者が描き出そうとしたのが、昭和という時代の空気そのものだからだろう。
私自身、関川氏より10歳ほど年下になるけれども、米国の豊かな生活への憧れに突き動かされた無邪気な成長神話と進歩主義、一方これに懐疑的な戦前的教養主義の残滓との奇妙な混淆という、この時代特有の空気を感じながら成長したように思う。
本書はそうした時代の空気を、当時流行した書物や映画に託して巧みに描き出している。それは池部良主演の『乾いた花』やフェリーニ監督の『道』といった映画であったり、サルトルの『嘔吐』といった書物だったりするが、単なる「昔は良かった」という回想ではなく、それに託して当時の人々のナマの生活感情が炙り出されているところが、この作者の筆力であろうと思う。もう何冊か読んでみたい。
| 固定リンク
« 定期健康診断 | トップページ | どこかで見た景色 »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント