『ララピポ』
小説を読む愉しみのひとつは、それがたとえ作家の想像力の産物に過ぎないとしても、自らとは全く異なる他人の人生、生活を擬似体験できることにある。本書の登場人物たちの涙ぐましくも波乱に富んだ人生は、私のような平凡なサラリーマンには縁遠いものであり、新鮮な驚きとスリルを与えてくれる。
「格差拡大」が喧伝される今日、「負け犬」「負け組」とレッテルを貼って安っぽい同情を誘い、社会や政治の責任を追及するのは簡単である。しかし、ここでの奥田氏はそんな表面的な取り上げ方はしない。どんな境遇に置かれようと、人は現状を嘆き、社会を恨むだけでは生きていけない。たとえ悪事に手を染めてでも何とか金を稼ぎ、食べていかなければならないのだ。
本書ではいわば社会の底辺に生きる彼らの生活ぶりがリアルに、また時には乾いたユーモアを交えて生き生きと描かれており、ここでも奥田氏の人間に対する「温かい眼差し」を感じることができる。
「ララピポ」の意味は最終章になって明かされる。ここでは伏せておくが、なかなか言い得て妙なタイトルだと思った。
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コメント
「ララピポ」読みたいです!カバーもいい感じで・・・
私は今昭和36年発行の超長編(全6巻)小説、「橋のない川」を読んでいます。まだ1巻ですがもう重くて辛くて。舞台が奈良県の小さな字(あざ)で、曽我川、飛鳥川、畝傍山、耳成山などがでてくると子供の日本地図帳を借りてどのへんか見当をつけつつ、まこてぃんさんならすぐわかりはるやろうにと思っています。(これを読んでいる間は関西弁がきつくなりますねん。)
投稿: ともちゃん | 2007/09/08 08:38
ともちゃん
こんにちは。
カバーの図案、細かいところまで分かりますか?
実物を見たらちょっと赤面しますよ。
「橋のない川」は小学校の時、同和教育の一環で
体育館で映画版を見たような記憶があります。
ええと、私は畝傍山の麓に住んでいて、
しょっちゅう飛鳥川沿いを走っています。(^^ゞ
投稿: まこてぃん | 2007/09/08 18:29