『一瞬の風になれ』第三部
高校の最終学年を迎えた新二。入部当時はまったくの素人だったが、今では県有数のベストタイムを持つまでに成長した。才能とセンスに頼り切っていた連も、地道な持久力トレーニングを積むことで、長丁場の大会を闘い抜く体力を手にしている。
100m県2位の連、4位の新二。そこに有望な新入生が加わり、部の歴史上最高級の4継(400mリレー)チームができあがった。目指すは、南関東大会の先にある、総体。もちろん、立ちふさがるライバルたちも同じく成長している。県の100m王者・仙波、3位の高梨。彼ら2人が所属するライバル校の4継チームは、まさに県下最強だ。
部内における人間関係のもつれ。大切な家族との、気持ちのすれ違い。そうした数々の困難を乗り越え、助け合い、支え合い、ライバルたちと競い合いながら、新二たちは総体予選を勝ち抜いていく――。
前2巻の集大成である本書には、大会における競技シーンが多い。そこで読み手の感情を揺り動かすのは、それまでこつこつと積み重ねてきた人物描写だ。1、2巻を読み終える頃、物語の登場人物たちは、もはや他人ではなくなっている。新二の声を枯らした応援につられ、握りこぶしを作って声援を送る読者も多いはずだ。
その興奮、緊張感は、南関東大会でクライマックスを迎える。若きスプリンターたちが大舞台のスタートラインに立ち、ぞくぞくするようなスピード対決が、いま、スタートする。(小尾慶一)(引用終わり)
8月15日の練習内容 ジョグ10キロ
8月16日の練習内容 午前 ペース走(キロ4分半)20キロを含む24キロ
午後 ジョグ10キロ
よく出来た紹介文で、今回も補足することはそれほどない。ハッピーエンドを期待しながらも、「レースは走ってみないと分からない」と、登場人物たちと完全に同化してしまっている自分を発見して、作者の筆力に脱帽した次第である。
例えば、次のような新二の述懐も、そこだけ読むと一見当たり前のことにしか思えないが、ここに至るまでの彼の成長を共有してきた読者の心には、深い共感をもって迫ってくるのである。
人生は、世界は、リレーそのものだな。バトンを渡して、人とつながっていける。一人だけではできない。だけど、自分が走るその時は、まったく一人きりだ。誰も助けてくれない。助けられない。誰も替わってくれない。替われない。この孤独を俺はもっと見つめないといけない。俺は、俺をもっと見つめないといけない。そこは、言葉のない世界なんだ――たぶん。(246頁)
もうひとつ、印象に残った箇所を引用する。
十人いれば、十個の身体がある。どんなにうらやんでも他人の身体にはなれない。自分の身体と一生付き合うしかない。でも、自分の身体も鍛え方次第で、どんどん良くしていける。そして、走り方次第で、その身体の力を100パーセント出し切ることができる。今、俺はそのことにこだわっていた。最高の身体を作ること。その身体の力を全て使い切ること。自分の身体能力をぎりぎりまで上げて、それをスプリントという形で出し尽くしたかった。力を使い切る走りは、最高に気持ちがいい。あの充足感は他の何物でも味わえない。俺には走れる身体がある。運命に走ることを許されている。俺の意志で動かすことのできる身体。宇宙で一つきりの身体。いつか確実に消滅する、明日の保証すらない身体だ。(14-15頁)
『風が強く吹いている』に優るとも劣らぬ、ビルドゥングス・ロマンの傑作である。
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コメント
私もこの本は夢中で読みました。
年齢関係なく、自分も真剣に走ることに取り組んでいきたいと思いました。
しかし、大人になると走ること以外にいろんなことがあって、なかなか専念できない状況に陥っています。
走ることは贅沢で幸せな時間であることを改めて感じました。
走ることを通じて大人になる、自立していく、そういうことをこの本で感じました。
長距離も短距離も基本は変わらないんだってことも。
防府頑張って下さいね。すごい練習でびっくりしています。
投稿: まるお | 2007/08/30 06:32
まるおさん
「走ること以外にいろんなことがあ」るからこそ
走ることの幸せを感じられるのでしょう。
ウルトラの参加者を見ているとつくづく思います。
そう言えば、海外遠征、確かもうすぐでしたね。
頑張って来て下さい。
投稿: まこてぃん | 2007/08/30 17:16