『帖の紐』
稲見一良のエッセイ集。1992年4月から翌93年7月にかけて『産経新聞』に連載された。
タイトルは「たとうのひも」と読む。「着物を包む和紙の包みの合わせ目に、上下に一対ずつある紙縒(こより)のこと」だそうで、結び目のない独特の結び方ゆえ、解(ほど)くのは簡単なのに、ぴんと張って弛(たる)むことがないという。人と人との結びつきも、このように解けやすくしておいて、ぴしと折り目のある交わりでありたい、と著者は言う。
取り上げたテーマは、身辺雑記から世相批評、映画、テレビまで幅広いが、肝臓癌で三度手術を経験した著者の闘病記も含まれている。このエッセイ集もまた文字通り身を削るようにして書かれたことが分かるが、出来上がった文章にはそんな暗さは微塵もない。さながらモーツァルト最晩年の作品のようであるが、それだけに一層痛ましい。
例えば、「色の名前」という一篇に次のような見事な文章がある。友人から贈られた絵の具セットの蓋を開けた瞬間の描写である。
「花屋の中で目を覚ましたように、百花繚乱の色彩がぱっと拡がった。八十色のチューブが肩を寄せ合って居並ぶ様子は、舞踏会の着飾った淑女の列のようで、愛らしく艶やかだった。」
この後にも、素晴らしい文章が続くのだが、
「ふと、チューブを一つ摘み出してラベルを見た。濃いピンクのその色の名は、何とオペラというのだそうだ。『へぇー、何やしらん、ええ名前やなぁ』と独り言つぶやきながら、アクリル絵の具の名を読んでいった。」
と、突然大阪弁が出て来たので思わず微笑んでしまった。著者の小説には大阪を舞台にしたものが多く、登場人物にもコテコテの大阪弁を喋らせているけれども、こうやって著者自身の肉声のような大阪弁に接すると、急に著者を身近に感じる。また、奥様の献身ぶりや、息子さん娘さんの話も書かれていて、意外にと言っては失礼かもしれないが、子煩悩な親父の一面も窺えた。
話は変わるが、消費者金融モビットのCMで桃井かおりがこんなことを言っている。うろ覚えで細部は不正確だが、「少年っぽい男はいいけど、最近は子供っぽいのが多くて・・・」というのである。このエッセイ集と同じことを言ってるなと、ひとり納得したものである。
2月28日の練習内容 ジョグ10キロ
月間走行距離 172キロ(少なっ・笑)
3月 1日の練習内容 ジョグ10キロ
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