『魂の森を行け』
珍しくノンフィクションものである。さとなおさんのサイトで勧められていたので読んでみた。版元紹介はこちら。本の中身はリンク先を見ていただくとして(手抜き・笑)、個人的な感想を。
文庫本の帯の惹句に「スギもマツも もういらない。シイとタブノキをとり戻せ。」とあるが、宮脇先生の唱える「ふるさとの木による ふるさとの森」の再生をひとことで言えばそういうことになるだろう。
わが国ではこれまで木材生産のためにスギ、ヒノキ、マツを一生懸命植えてきたが、自然の植生に反して人間が手を加えた人工林は、人間が手入れを止めた途端に荒廃し始める。国内材の需要低迷により日本の林業は深刻な状況にあるが、そのことが日本の野山と自然環境に甚大な影響を及ぼしている。
身近な例で言えば、近年多くの人々を悩ませている花粉症の流行も、実はこのことと関係している。私自身、スギやヒノキが多い明日香から吉野へかけてのコースを毎週のように走るせいか、ご多分に漏れず2、3年前から目の痒みを感じるようになった。現実に花粉の飛散は増えているのである。少し長くなるが宮脇先生の説明を引用する。
「各地で広葉樹を切ってスギ、ヒノキ、カラマツの針葉樹の画一造林を進めた。20年間も下草刈り、枝打ちをやれば当然競争相手がいないから、(中略)非常によく育つ。ただ、よく育つけれど、結局、長持ちしない。(中略)同じものだけを無理に植えたところではその下に子供ができないんですね。ところが生物は弱ると子孫を残そうとして、必死で生殖作用を行う。植物の場合、花を咲かす。スギの場合は、花を咲かせれば花粉が出る。」(本書191頁)
なるほどそういうことだったのか。まさに膝を打つ思いである。
そうではなく、人間が関与しない状態のその土地の自然な植生(潜在自然植生)に戻そうというのが宮脇先生の主張である。本州の大部分ではカシ、シイなどの常緑広葉樹林が自然の植生であり、代々守られてきた「鎮守の森」もそれに当たる。
ところで、その主張を実際の植林運動に展開する宮脇先生の活動を紹介した第6章「『ふるさとの森』再生」の中に、奈良の橿原バイパスの話が出てくる。近隣住民の反対で工事が大幅に遅れていることは知っていたが、宮脇方式による植栽帯の提案を契機に住民との対話が始まり、各地の土木工事の先例となったことは、近所に住んでいながら迂闊にも全く知らなかった。
早速、現地調査に赴いた。近鉄大阪線をアンダーパスしている箇所である。普通緑地帯といえば、芝生の上に植木が何メートルかおきに並んでいるといったものを想像するが、ここはそれとは全く違い、雑木林みたいなのが切れ目なしに帯状に連なっている。並木の整った美観とは無縁で、外観上は必ずしも美しいとは言えない。きっと誰も手入れをせず、放ったらかしにされているのだろうと思い込んでいた。
しかし、実はそれが本当の狙いだったのである。大きく育ったシラカシの根元を見ると、見事に等間隔に植わっていて、これが植林であることが窺えるが、植林から25年が経過した現在、外観も内部も完全に自然の森のようになっているのだ。
さとなお氏もコメントしているが、ここで注目すべきなのは、自然植生ということは、植林直後を除いて完全にメンテナンスフリー、つまり人間の手を入れる必要が全くないということだ。それに地域の自然に適応した植生であるから、病害虫や干ばつにも強い。それに常緑樹であるから酸素発生量も芝生の30倍に達するという。結構づくめなのである。
こういう素晴らしいことをやっていながら、土木技術者の気質なのかどうか知らないが、役所というところはつくづくPRが下手なのだなあと思った。
2月16日の練習内容 ジョグ10キロ
2月17日の練習内容 ジョグ10キロ
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