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2006/12/15

『一枚のディスクに』

著者の井阪紘(いさか・ひろし)氏は日本ビクターでクラシック音楽のプロデューサーを務め、その後独立して「カメラータ・トウキョウ」というレコード会社を興された方である。著者の長年の経験から語られる「レコード芸術」論や、録音現場の様子は非常に興味深かった。版元紹介。

クラシック音楽のCDは、どんなふうに作られているのか? 多くの演奏家・作曲家に愛され、ウィーンを中心に国内外で活発なレコーディングを行うプロデューサーが語る、レコード制作とクラシック音楽の真髄。(引用終わり)

12月14日の練習内容 ジョグ14キロ
12月15日の練習内容 ジョグ6キロ

著者の主張によれば、レコード録音はコンサートとは全く異なる別の芸術ジャンルである。生演奏では不可能でレコード録音でしかできない演奏芸術というものが存在するというのである。

例えば、演奏者が自分の限界に近い速いテンポで演奏したいと思っても、一回切りのコンサートではミスタッチの恐れから冒険はできない。管楽器の長いフレーズを、出来れば途中でブレス(息継ぎ)せず一息で吹きたいと思っても、コンサートで冒険して息が持たなくなっては元も子もない。しかし、録り直しのきくレコード録音なら、何度かチャレンジして首尾よく成功したテイクを採用すればそれで済む。

そこまでは良い。しかし、ミスしたり、思い通り演奏できなかったところをカットして、録り直して上手くいった別のテイクと切り貼りするというのは、できれば必要最小限に止めるべきで、あまりに度が過ぎるのはいかがなものかと思ってしまう。

特に、本書で紹介されているように、クラリネットのカール・ライスターが、僅か12分ほどの楽曲を録音するのに242回も録り直し、それどころかリードやマウスピースを途中で使い分けたという話を読むと、さすがはカラヤンの申し子という感慨とは別に、生では絶対にありえない演奏とは一体何なのかという気がしてくる。

これは極端な例だろうが、逆に近年、「ライヴ録音」と称して、実際には単にコンサートやオペラを垂れ流し状態で録音しただけのものが氾濫しているが、それは「レコード芸術」とは言えないという著者の主張には頷ける。

私は中学時代からオーディオに興味を持ち、そこからクラシック音楽の鑑賞、そして演奏へと傾倒していった人間なので、録音から編集までのプロデューサーの仕事内容や器材の紹介、カルショーやレッグなど名物プロデューサーの逸話など、大変面白く読めた。

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