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2006/10/09

めっちゃブラームス好きやわ

昨日は京都コンサートホールで行われたダニエル・ハーディング指揮マーラー・チェンバー・オーケストラ(MCO)演奏会に出かけた。5月の鯖街道の帰りにチケットを入手していたもので、早いものであれから半年近くが経ったのだ。

さて、「マーラー」で「チェンバー」(室内)とは妙な取り合わせだが、比較的小編成の第4番はCD録音が出ている。それはともかく、この日の編成はブラームスの時で弦が左からDB(3)1stVn(10)Vc(5)Va(6)2ndVn(8)、管が左からHr(4)に木管は標準2管(8)、Tp(2)Tb(3)Tuba(1)Timp(1)で、合計51名である。チラシには49名と書いてあったので2名はトラなのか。低弦が通常より少ないように思えるが、それでも全体のバランスは十分に保たれている。このことは、ブラームスでよく起こりがちな響きの混濁が避けられていることの一つの要因であろう。

また、MCOのメンバーは「ヨーロッパの15を超える国々から」とあるけれど、オーボエのトップはヨシイ・ミズホという日本人女性で、この人は本当にいい音を出していた。楽器は基本的にモダンだが、奏法的には最近の傾向どおり、ブラームスでもヴィブラートは極力少なくしていた。また、モーツァルトではティンパニは小型の古いタイプのものを用い、トランペットもピストンのない古楽器を使用していた。

さて、1曲目はモーツァルトの交響曲第6番。偶然、前日にスターデジオで放送されたホグウッドの演奏で予習していたが、響きの充実度は断然MCOに軍配が上がる。作曲者幼少期の作品にもかかわらず、第2楽章は弦に弱音器を付け、この楽章だけオーボエを休ませてフルートを使うなどの凝りようで、早くも天才作曲家の片鱗を窺わせる。

2曲目もモーツァルトで、ラルス・フォークトを独奏者に迎えたピアノ協奏曲ニ短調K466。この曲はともするとロマンの色が濃くなりすぎて、過剰な表現に陥りがちだが、この日の演奏は古典派本来の演奏から逸脱することなく、曲本来のもつ優美さとその陰に潜む情念を過不足なく引き出していた。筋肉質の演奏と言えばよいだろうか。筋肉と言っても筋骨隆々というのではない。よく鍛えられた筋肉はしなやかで柔らかいが、いざとなると強靭な力を発揮する。そんな演奏だった。

休憩を挟んで最後がブラームスの交響曲第2番。先に書いたように、MCOの響きの明快さは比類がない。そうか、この曲はこんな構造になっていたのかと、初めてこの曲を聴くかのような驚きと喜びがある。各奏者は名人揃いで、どのメロディも実に伸び伸びと歌っている。ホルンの長いソロもノン・ヴィブラートで朗々と響かせていた。第1楽章の再現部347小節で金管が短いフレーズを奏し、GP(ゲネラル・パウゼ)に続いて第2主題が万感の思いを籠めて歌い出されたところでは、まさに鳥肌が立つ思いだった。

第2楽章も暗く沈むようなことはなく、第3楽章はヨシイさんの見事なソロが光る。終楽章のコーダも野蛮な咆哮に陥らず、それでいてわずか51名の楽員でホールを揺るがすような大音響に感じさせたのは、もはやマジックというしかあるまい。鳴り止まぬ拍手に応えて、ドヴォルザークのスラヴ舞曲作品72の4がアンコールに演奏された。

終了後は楽員同士がハグしあっていたが、演奏中の各奏者の表情もとても生き生きとしていた。MCOは楽団の自主運営団体ということであるが、本当に音楽が好きで好きでたまらない人たちが集まっているということが、演奏を通じてもひしひしと伝わってきた。今シーズンはプロオケを聴くのはこれ1回の予定だが、とてもいいコンサートに巡りあえた。

ところで、本稿のタイトルは、帰りにクロークで荷物を受け取るときに後ろの若い女性が同伴者に喋ったセリフである。「私、めっちゃブラームス好きやわ。どうしよう」と言っていた。何も困ることないではないか。(苦笑)

10月8日の練習内容 コントロールラン4キロ×4セットを含む20キロ
10月9日の練習内容 休養ジョグ10キロ

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