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2006/07/30

月間500キロ達成!

今日は吉野LSD拡大版62キロを完走し、月間500キロを達成した。日本列島にしつこく居座り続けた梅雨前線が南下して、曇り後晴れの天気となったが、案外カラッとして、峠の涼風は快適だった。

月間500キロが視野に入ってから急遽計画したにもかかわらず、それぞれに月間走行距離の大台達成(帳尻合わせともいう・笑)という同じ事情を抱えたHさんとKさん、それに拡大版は初参加のNさんにも付き合って頂き、最後まで楽しく走り終えられた。

7月29日の練習内容 ミドルペース走20キロ
7月30日の練習内容 LSD62キロ

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2006/07/28

『ひとことで言う』

引き続き、山本夏彦の本である。週刊新潮に連載した「写真コラム」の名言至言を集めて「箴言集」としたものだが、出版社がピックアップした「箴言」よりも、山本氏自身がつけたオリジナルのコラムのタイトルの方が遥かに面白い。「タイトル作家」を自称した氏の面目躍如といったところである。

例を挙げると、「健康な人は本を読まない」「タイトルばかりが人生だ」「ファーストクラスに丹前出せ」「保険は常に払い渋る」・・・といった具合。気が利いていて、思わず読んでみたくなるタイトルばかりだ。

ところで、最近日経新聞の社員がインサイダー取引で逮捕されたが、山本氏は昭和63年に既にこんなことを書いている。リクルート事件が世間を騒がせていた頃である。

「日経は株の情報を衆に先んじて得る。したがって社員は株を買うことを禁じられている。それなのに早く社長が買ったのである。社長が買うなら社員も買っているに違いないと思われても仕方がない」

山本氏の見立ては正鵠を射ていたのだ。しかし、本当に秀逸なのはこの続きである。

「日経の信用は地におちて部数は激減するかというとしない。日経の読者はマネーゲームと財テクをしているか、することを欲している亡者で、したがって日経とぐるだからである」

まさにその通り。今回の事件でも同じことだろう。恐るべき観察眼の鋭さである。

7月27日の練習内容 ペース走20キロ(キロ4分半程度)を含む24キロ
7月28日の練習内容 ジョグ10キロ

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2006/07/26

更なる天敵現る

先日、高校野球県大会の期間中は球場付近でのランニングがやりにくいという話を書いたが、今日は更なる天敵が現れた。京都パープルサンガである。サッカーにはほとんど興味がないが、Jリーグの試合というのは原則として水曜の夜と週末の昼に組まれているらしい。ホームとアウェイがあるため、今季34試合のうち本拠地西京極での開催は17試合。うち大半の12試合は週末に組まれ、水曜は僅かに3試合(他に火曜と金曜が1試合ずつ)なのだが、今日がたまたまその日に当たったのだ。

以前に一度だけ、偶然試合のある日に知らずに練習に出かけてえらい目に遭ったことがある。通路は人でごった返し、おまけに平気で煙草をスパスパ。あちこちで応援団が気勢(奇声?)を上げるわ、スポンサー企業から応援に狩り出された社員一行を乗せた大型バスが公園内まで入って来るわで、とても練習にならなかった。今回は直前に察知してアクアリーナのジムに避難したため事なきを得たが、知らずに行っていたらイライラするところだった。まあ、向こうにとっても公園内を走り回るランナーは危なくてしようがないだろうが(苦笑)。

7月26日の練習内容 ジョグ12キロ

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2006/07/25

食い物の恨みは・・・

最近は滅多に出張の機会がないが、今日の午前中、久々の大阪出張が入った。こういう時の楽しみは昼飯である。昔の勤務先の近くだったので、あちこちの店を思い出し、今日は堂島「鶴のす」の「いつものランチ」(という名前のメニューなのだ)に決めていた。知る人ぞ知る、ミンチカツの逸品である。これにボルシチを付ければ完璧だ。

用件は11時過ぎに終わり、ブラブラ歩いて行けばちょうどいい時間と思った矢先、同行者が急に「もう1軒、近くの取引先に立ち寄ろう」と言い出し、早くも携帯で連絡をつけている。微妙な時間になりそうだという心配を余所に(仕事の心配はしないのか)話は長引き、遂に「では、昼飯もご一緒に」という仕儀となってしまった。

これで経費で落としてくれなかったら暴れるところだったが(ウソ)、おかげで「鶴のす」は次回にお預けとなってしまった。食い物の恨みは怖いでぇ~!

7月24日の練習内容 ジョグ10キロ
7月25日の練習内容 完全休養

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2006/07/23

高校野球も大変だが

梅雨がなかなか明けず、各地の高校野球地方大会の日程が大幅に狂っているようだが、平日は西京極運動公園、休日は橿原神宮公苑をホームグラウンドとする私としても関心を持たざるをえないところだ。

というのも、この期間中は会場付近でのランニング練習がしづらい環境になるからだ。試合中はまだしも、試合と試合の間は付近の道路や歩道が混雑するし、球場内では吸えない煙草を外でスパスパ吸う連中には閉口する。今年は梅雨が長引いたせいで当分は用心しなくてはならないようだ。

7月22日の練習内容 ミドルペース~AT 20キロ
7月23日の練習内容 LSD40キロ

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2006/07/21

『日常茶飯事』

引き続き山本夏彦氏の本。新潮文庫の紹介文は以下のとおり。

「人間の見物人」「死ぬの大好き」などの名言で、数多のファンを獲得した山本夏彦の処女コラム集。43年前に雑誌「室内」ではじまり、死の直前まで続いた名物連載の最初の一冊。なのに、今読んでもまったく変わらず、痛烈かつ新鮮。すでにして名人だった技とキレを存分に堪能できる。「この国」「迎合」「わが女性崇拝」など、永遠のテーマとも出会える。夏彦ファンならずとも必読の書。

単行本は昭和37年の刊行で、40年以上も昔になるが、時折顔を出す風俗・世相などへの言及を除けば、内容は全く古さを感じさせない。「すでにして名人だった」というより、流行を追い時流に乗ることで進歩し、成長したかのように錯覚しているのが凡人(氏の用語で言えば「凡夫凡婦」)であるとすれば、山本夏彦氏の慧眼には、その裏に潜む昔も今も変わらぬ人間社会の本性が全部お見通しであるということなのだ。

「つむじ曲り」の次のような記述を読んで、氏の足元にも及ばないながらも「偏屈者」を自認する私としては大いに膝を打ったのであった。

私は何事にも逆らって、しかも「何でも反対党」とは相違する。相違しなければ、それはわが沽券(こけん)にかかわる。何でも反対党は、あらかじめ反対することが分かっていて、その通り反対するのだから、首ふり人形みたいなものだ。あんなものを、つむじ曲りの仲間にいれてやるわけにはいかない。(中略)わが反対には一貫した筋道があるのである。私は何でも巨大なもの、えらそうなもの、権威ありげなものなら疑うだけである。大勢が異口同音に言うことなら、胡乱(うろん)だとみるだけである。

7月20日の練習内容 ビルドアップ10キロ
7月21日の練習内容 ジョグ10キロ

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2006/07/19

「ロマンチック」ノヴァーク第1稿

NHK-FMの「ミュージックプラザ」の昨日放送分の録音を今朝の通勤電車で聞いていたら、ブルックナーの交響曲第4番変ホ長調「ロマンチック」の、ノヴァーク版による演奏(デニス・ラッセル・デイヴィス指揮リンツ・ブルックナー管弦楽団)が入っていた。

毎度おなじみの曲なので、気分よくウトウトできると思っていたら、どうも冒頭から様子がおかしい。メロディはいつもの「ロマンチック」なのに、細かい音形やオーケストレーションが大分違う。そのうち、全く聞いたことのない旋律が入ったかと思うと、また聞き覚えのある箇所に舞い戻ったりする。まるで、いつも通る道の抜け道か旧道を発見してふと迷い込み、時折元の道に戻りながら進んでいる感じ、と言えば近いだろうか。

第2楽章に入るとかなり様相が異なってくる。おや、ひょっとして道を間違えたか。第3楽章は全く別の音楽に差し替わっている。いかん、完全に迷い子になってしまった。第4楽章ではまた聞き慣れたメロディが出てくる。やれやれ、何とか目的地には向かっているようだ。だが、「タン、タン、タタタ」という4分音符2つ+2拍3連符というブルックナー特有のリズムが、ここでは何と4拍の5連符(!)になっている箇所がある。

驚いて後で調べてみたら、これはノヴァーク版でも「第1稿(1874年)」と呼ばれている版のようである。このデイヴィス盤以外ではエリアフ・インバルやヘスス・ロペス=コボスによる録音もあるらしい。ブルックナーの交響曲については、同じ曲でも原典版や改訂版などいくつもの楽譜が存在することは周知の事実だが、多くの場合、ある箇所が半音違うとか、シンバルが入るかどうかといった、一般の鑑賞には僅かな違いであり、私自身あまり普段は気にしていなかった。

しかし、この「ロマンチック」の第1稿は全く次元を異にする。先ほどの道の譬えで言えば、今広く演奏されているのが観光用に整備された道路(ロマンチック街道?)だとすれば、この第1稿は今はあまり人の通らない旧街道を行くような味わいがある。ことに、初めて聞く第3楽章は野趣たっぷりの音楽で、なかなかに楽しめた。

同時に、この交響曲が第4番という若い番号ながら、後期のそれに並んで愛聴される名曲である理由は、この第1稿でも十分窺える元々の素材の良さが、後年の入念な推敲(否、むしろ改作というべきか。例、第1楽章再現部のフルートソロ!)によって芸術的完成度を高めたからであることが、これでよく理解できる。

逆の言い方をすれば、今を時めく美人女優の、垢抜けない中学生時代の写真を思いがけなく見て、今の面影をそこから想像するようなものか。いかん。ブルックナーの名曲を聞いて、こんなオヤジ度満点の感想を書くとは。おお嫌だ。我ながら歳は取りたくないものだ(苦笑)。

7月18日の練習内容 完全休養
7月19日の練習内容 ジョグ15キロ

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2006/07/17

これが本当のLSD?

昨日は妙見山LSDに参加。メンバーは常連の男性4名に初参加の女性3名。今回は彼女たちのリクエストで企画されたものだが、噂に聞く難コースを初めて走るということで彼女たちが警戒し、終始相当ゆっくりのペースで進行した。

トレイルの登りではほとんど歩いたので、心拍を追い込むようなしんどさは全くなかったが、別の意味での辛さがあり、このペースでなければできない練習になったと思う。その証拠かどうか、途中腹が減って仕方なかったのだ。同行したKさんも同感だったそうだが、脂肪が効率よく燃えるスピードの本当の意味でのLSDということなのかもしれない。

こういう練習はひとりではなかなか出来ない。彼女たちに感謝、感謝である。

7月16日の練習内容 LSD49キロ
7月17日の練習内容 LSD(もどき・笑)20キロ

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2006/07/15

『夏彦の写真コラム』

山本夏彦(1915-2002)著。版元紹介は以下のとおり。

週刊新潮に23年間連載された名物コラムの極上のエッセンス。可哀想な美空ひばり/恐るべきは正義である/教育の普及は浮薄の普及/人生は些事から成る/サラ金と銀行は一味である……世の中の偽善とエゴを見抜き、たったひとことでひとの言わないことを言う。前半12年間のコラムから、著者より「時代遅れの日本男児」と命名された、年下の友人で数学者の藤原正彦氏が100編を選んだ。(第1巻)
「夏彦の写真コラム」に女性ファンが多かったのは、知る人ぞ知る。笠智衆だいっきらい/女に参政権はいらない/昔めかけというものがいた/たれか素人を知らないか…オンナの本質を見抜いた寸鉄の一撃に、怒るどころか溜飲を下げていたのも実はオンナたちだった! 著者が「出会ってたちまち気に入った」という阿川さん。彼女が「愛に報いるべく」後半12年間のコラムから選んだ傑作100編。(第2巻)

大正生まれの筆者による「辛口コラム」と俗に言われるが、そう一筋縄にはいかない。私も相当な偏屈者であると自負(?)するが、山本氏の足元にも及ばない。阿川佐和子女史が解説にこう記している。初めて山本氏にインタビューした時の様子である。

「・・・褒めておいでなのでお好きなのかと思いきや、それは痛烈な皮肉であり、笑顔で語られるから楽しい話かと思えば、腹立たしい思い出だったり、『憤慨なさることだらけですね』と伺うと、『何にも腹は立たないの』と涼しくお答えになる」

そんな山本氏の「コラム」(あえて「エッセイ」という言葉は使わないのだ)は、一見何気ないようにサラサラと書かれていて、その実、とても深いの内容の文章が多い。同じく解説の藤原正彦氏が言う。

「・・・夏彦さんの文章は時に難解である。ほめているのかけなしているのか、怒っているのか笑っているのか悲しんでいるのか、本気か冗談か、分かりにくいことがある」

その「難解」な文章の中でも、次のくだりには思わず唸ってしまった。

「この世は生きるに値しないところだと私は子供心に天啓に打たれたから以後人間の見物人になったのである」「『死ぬの大好き』と私はまっさきに言った。現在只今この場に於て死ねるものなら死にたい」「私は飯を食うのも死ぬまでのヒマつぶしだと思っている。こんなものを書くのも死ぬまでの---いや失礼、以下略」 (「死ぬの大好き」より)

さらに何冊か借りてきて読んでいるところだ。

7月14日の練習内容 ジョグ10キロ
7月15日の練習内容 LSD20キロ

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2006/07/13

野口みずきを見た!(続)

月曜の夕方、西京極で野口みずきと出会った話を書いた。次はいつのことやらと思っていたら、なんと昨日また西京極で見かけた。それも二度も、すぐ目の前で、である。実は彼女は西京極のサブトラックで高校の陸上部員たちに混じって練習していて、月曜に公園内で見かけたのは、練習を終えて帰るところだったのだ。

一度目はサブトラックの一番外周を走っていた彼女と、偶然フェンス越しに並走する形になった。しかし、向こうはかなりスピードを出していて、とても声を掛けられる雰囲気ではない。二度目は練習を終えてコーチたちと外周路に出てきたところで、コーチに「ありがとうございました」と挨拶する声をすぐ横で聞いた。

ゴールドメダリストの走りを間近で見て少しばかりハイになったのか、ジョグだけの予定だったのに、最後に「流し」を1本入れてしまった。見かけによらず、実はミーハーな私である(笑)。

7月12日の練習内容 ジョグ10キロ
7月13日の練習内容 ペース走(キロ4分半程度)16キロを含む20キロ

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2006/07/11

野口みずきを見た!

昨日の夕方、いつものように西京極運動公園を走っていたら、向こうから小柄な女性ランナーが走ってきた。明らかに素人離れした走り方だと思っていたら、ごく近くまで来てそれが野口みずき本人だと分かった。赤いウエアにサングラスで、ジョグのスピードでもそれは颯爽と風のように駆け抜けて行き、声をかける間もなかった。

西京極を走って2年半ほどにもなるが、公園近くにシスメックス(旧グローバリー)女子陸上部の部室があるというのに、夕方という時間帯のせいか、彼女の走っている姿にはついぞお目にかかったことがなかった。

一昨日行われた札幌国際ハーフで優勝を飾った翌日で、京都まで移動した後の軽いジョグということで、あの時間帯に現れたのだろうか。もう半周したらまた会えるのではと期待したが、そのまま部室に帰って行ったようで、一度きりの遭遇に終わってしまった。次に会えるのは来年の七夕かもしれない(苦笑)。

7月11日の練習内容 完全休養

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2006/07/10

「ALWAYS 三丁目の夕日」

劇場公開は見そびれていたが、気になっていた映画だったので、レンタル屋で奇跡的に1本だけ残っていたのを借りて観てみた。舞台は昭和33年の東京。この年に生まれた私は大阪・堺の旧市街で育った。まるで40数年前にタイムスリップしたかのようなリアルな映像を見るだけで懐かしさで胸が一杯になった。滋賀の草津駅前のビルの地下に、これのミニチュア版みたいなレトロな飲み屋街があるが(笑)。

原作は西岸良平という人の「1400万部を誇る国民的コミック」らしいのだが、漫画はほとんど読まない私は作品名すら知らなかった。きっと「非国民」なのだろう(フンッ)。それはともかく、大きなストーリーが展開されるのではなく、いくつかのエピソードを通じて当時の下町の人々の哀歓を淡々と描いているだけなのに、心に温かい余韻が残るいい映画だった。高度成長以前でまだまだ生活は貧しかったが、希望を持って前向きに生きていた当時の人々のひたむきさに感化されるのだろう。

俳優陣では薬師丸ひろ子、小雪ら女優陣と、子役の2人が好演、昭和の雰囲気をプンプンさせているのに対し、男優は吉岡秀隆、堤真一ともに今ひとつだった。音楽も印象的だった。D-51の歌ではなく、公式サイトのバックに流れている「いかにも映画音楽」というオーケストラ曲の方だ。蛇足ながら、有名な建築物をラストシーンで印象的に用いる手法から、「猿の惑星」を連想したのは私だけだろうか。

7月 9日の練習内容 LSD34キロ
7月10日の練習内容 ジョグ10キロ

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2006/07/08

サラダマック

Salad_1昨日の夕食はコレ→。マクドナルドのサラダディッシュ(グリルチキン)。減量のため、練習後の夕食はできるだけ軽いもので済ませるようにしているが、さすがにこれだけでは食べた気がしなかった(苦笑)。ちなみに、ドレッシング抜きで176kcalだそうだ。

この量で490円はちと高い。チキンはいかにもマクドらしくスパイスの味しかしないし、タテにもヨコにも裂けない食感からして、ナゲット同様の成形肉かもしれない。これならサブウェイでサラダを頼んだ方がマシかな。

7月7日の練習内容 ジョグ10キロ
7月8日の練習内容 ペース走(キロ4分半程度)12キロを含む16キロ

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2006/07/06

「ジークフリート牧歌」

私にとってのサロマのテーマ曲はワグナーの「ジークフリート牧歌」であるが、大会が終わって10日以上も経つというのに、まだそのメロディーが頭から離れないでいる。2年前に初めてサロマに出場した時、空港からホテルに向かう途中のレンタカーの車中で、レースに向けて士気を高めようとワグナーのCDを聴いていた。「ワルキューレの騎行」とか「ラインへの旅」とか勇ましい音楽は他にたくさんあったのに、どういうわけか士気とは最も関係なさそうな(笑)この曲が印象に残ったのだ。

ワグナーはこの曲を、長男ジークフリートの出産と妻コジマ(リストの娘)の誕生日を祝うプレゼントとして書いた。初演は1870年のクリスマスの早朝、室内楽団がコジマの寝室横の階段に陣取って演奏するという形で行われたそうである。事情を知らされていなかったコジマの驚きと感激はいかばかりだったろう。こんな粋なプレゼントは誰にでもできるものではない。

Idyll_1

曲はそれに相応しく優しい愛情に満ち溢れたもので、ワグナーのコジマへの愛と、待望の息子を得た喜びを素直に表現している。なかでも私のお気に入りは70小節あたりからの箇所である。3連符の上昇音型を交えたフレーズが長いクレシェンドで徐々に高まっていき、79小節のフォルテで一旦頂点を迎える(以下、スコア参照)。その後、少しディミニュエンドして収まりかけるが、84小節でまた急に愛しさが込み上げてきたかのように、今度は短く急激なクレシェンドで85小節の2度目の頂点に至る。

一旦引くと見せておいて、不意を突いて2段目の波状攻撃を仕掛けるところがたまらなくいい。コジマはもともと指揮者ハンス・フォン・ビューローの妻だったのを、ワグナーが横恋慕の挙句に奪い取ったのだが、その過程ではこういう恋の駆け引きもあったに違いない(笑)。

通常の管弦楽で演奏するのが一般的だが、私が愛聴している演奏はワルター・ウェラーをリーダーとするウィーン・フィルのメンバーによるオリジナル室内楽版の演奏で、ショルティ指揮のワグナー名曲集2枚組に収められていたものだ。温かくアットホームな雰囲気がよく表現されている。

ところで、この曲がなぜウルトラマラソンと合うのだろう。自分でもさっぱり分からない。

7月6日の練習内容 ジョグ10キロ

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2006/07/05

嬉しや臨時収入

3月期決算企業の株主総会が終了し、配当金が届く時期になった。いずれも単元株程度の投資なので、某日銀総裁に比べれば微々たる金額だが(笑)、合計するとちょっとしたお小遣い程度にはなる。

それにしても、これだけ株のオンライン取引だのネット銀行だのが普及した便利な世の中になったというのに、株の配当金というのはいまだに郵送された証書を郵便局に持って行って現金にしてもらうという面倒な手続きが必要だ。家族には内緒にしておきたいとか、名義を分散しているとか、投資家側にもいろいろと事情があるのだろうか。

もうひとつ、先日の新聞投書の謝礼が届いた。投書など縁のない人でも金額には関心があるだろうから(特に関西人・笑)、この際公開すると図書カード3000円分である。500字の原稿にしてはまあまあか。紙面モニターも既に5回終わって謝礼は1万円に達した。

金の話ばかりでハシタナイが、給料以外の収入が僅かでもあるというのは、その僅かばかりの範囲で精神の自由が獲得できるような気がして、金額の多寡とは無関係にそのことが嬉しいのだ。

7月4日の練習内容 ジョグ15キロ
7月5日の練習内容 ビルドアップ10キロ

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2006/07/03

Tさん送別マラニック

昨日はアメリカから一時帰国していたTさんの送別マラニックに参加した。10時に草津駅集合。当初激しく降っていた雨も前線通過に伴って次第に上がり、日中は暑いぐらいの好天に恵まれた。今回はいつものように山には行かず、大津市膳所まで往復する市街地コースだ。往路では近江大橋を渡り、復路では一部びわ湖毎日マラソンのコースを通って石山寺まで足を伸ばした。

さて、膳所でのお目当ては京阪膳所本町駅前にある美富士食堂。マスコミで何度も紹介されている有名な店である。外見はどこにでもある大衆食堂なのだが、普通に注文しても全品超大盛りで出てくるので有名なのである。どれぐらい凄いかというと・・・

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2006/07/01

『山月記』

中島敦著、岩波文庫所収。昔、高校の国語の教科書で読んだ微かな記憶があるが、最近ラジオでアナウンサーの朗読で聞いて感銘を受けたので読み直してみた。

主人公の李徴は博学才穎(さいえい)、若くして科挙に合格したものの、詩家として名を成そうと官を退き、ひたすら詩作に耽るが、文名は容易に揚らず、生活は苦しくなるばかり。旅の一夜、ふと目を覚まし戸外で我が名を呼ぶ声を追って山林に入っていくうち、李徴はいつしか虎に変身してしまう。

唐代の怪異譚に取材し、これを再構成したものだが、李徴が虎になった原因は、彼の生来の倨傲とそのかげに潜む「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」という矛盾した内面的分裂にあるとする。こうした心中の猛獣を飼いふとらせたあげく、自己の外形までそれに相応しいものに変えてしまったというのである。この李徴の悲劇が擬漢文調の透徹した文体で綴られている。

山中を行く旧友に偶然再会した李徴は、虎の姿を見せないように草の陰から旧友と会話をするうち、最後に自らの悲運を歌った即席の漢詩を披露する。その場の粛然とした空気を、作者は次のように表現している。

「時に、残月、光冷やかに、白露は地に滋(しげ)く、樹間を渡る冷風は既に暁の近きを告げていた。人々はもはや、事の奇異を忘れ、粛然として、この詩人の薄倖を嘆じた。」

鳥肌が立つような描写である。最後の別離のシーンも泣かせる。文庫本10頁にも満たない短篇だが、何度繰り返し読んでも色褪せることのない名文章、名作である。

7月1日の練習内容 ウォーキング2時間

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