2019/06/20

タニタ食堂

先日、関西では唯一のタニタ食堂でランチしてきた。タニタの社員食堂を忠実に再現したというコンセプトで、券売機で食券を買って、全てセルフサービスという形式である。

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この日の日替わりは「ささみのピカタ定食」。ごはん100gの場合で462キロカロリー、塩分2.66gというヘルシーさだ。さすがに少し薄味に感じられたが、副菜2点は噛み応えがあり、ゆっくり食べれば結構満腹感が味わえるというのがミソだ。

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また、入り口横のカウンセリングルームでは、会社本業の体組成計を用いた健康アドバイスを管理栄養士から受けられる。食堂利用者は無料であるが、残念ながらこの日は実施時間帯とマッチしなかった。

ところで、都合により明日から当分の間、ブログの更新を休ませていただきます。コメントへの返信も出来ませんので悪しからず。

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2019/06/17

甚平

一昨年の作務衣に続く和装第2弾は甚平である。家族が父の日にプレゼントしてくれた。前々から欲しかったので嬉しい。もしかすると、ある時ぼそっと呟いていたかもしれないが(笑)。作務衣ではさすがに夏場は過ごせないので、これからの季節は重宝しそうだ。

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ところで、「甚平」とは初めて製作した人物の名前かと思っていたが、もともと下級武士が着ていた「陣兵羽織」に由来し、それが「甚兵衛羽織」を経て「甚平」となったものだという(諸説あり)。いずれにしても、動きやすく機能的なところは作務衣と同様で、風通しの良い木綿素材が快適だ。

6月16日 ジョグ10キロ

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2019/06/14

『ゲティ家の身代金』

Allthemoney 2017年、米・伊・英。リドリー・スコット監督。KINENOTE の紹介文。

“世界中のすべての金を手にした”と言われた世界一の大富豪、石油王のジャン・ポール・ゲティ(クリストファー・プラマー)の17歳の孫ポールが誘拐され、1700万ドルという破格の身代金を要求される。しかし、大富豪であり稀代の守銭奴でもあるゲティは、その支払いを拒否する。ポールの母ゲイル(ミシェル・ウィリアムズ)は離婚によりゲティ家を離れ、一般家庭の人間になっていた。彼女は息子のために誘拐犯だけでなく、ゲティとも戦うことになる。警察から狂言誘拐を疑われ、マスコミに追い回され、ゲイルは疲弊していく。一方、身代金が払われる様子がないことに犯人は痺れを切らし、ポールの身が危なくなっていた。ゲティはそれでも頑なに身代金を支払おうとしない。ゲイルは愛する息子のため、一か八かの賭けに出る。(引用終わり)

『ゴッホ…』から耳切りつながり、というわけではないが。(笑)

実際にあった誘拐事件を題材にした作品。身代金誘拐事件と言えば、犯人と家族・警察との息詰まる攻防が見所になるが、本作はそこに祖父と母の家族間の対立が絡み、単なるサスペンスものにとどまらない、人間ドラマとしての厚みを持っている。

大富豪の石油王ゲティの徹底した吝嗇ぶりが最後まで徹底していて、身代金もただ支払うのではなく、どうやれば節税になるかを考える。なるほど、お金というのはこういう人間のところに集まるようになっているのかと、妙に得心がいった。

それとは対照的に、母親のゲイルは金銭には全く頓着せず、愛する息子を取り戻すことだけを考え、向こう見ずとも思える行動をとる。しかし、一方で祖父には祖父なりの孫への愛情があったことも事実で、彼がある意味「カネの魔力」に囚われていたことが分かる、ほろ苦いエンディングが印象的だった。

6月12日 ジョグ10キロ

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2019/06/11

バレンボイムのベートーヴェン交響曲全集

Barenboim_1 ベートーヴェン演奏史上に残るであろう画期的な全集盤であると思う。既に全曲を2回通して聴いたが、それがどう画期的なのか、まだうまく表現する言葉が思い浮かばない。ともかく、これまでの演奏とは全く異なるアプローチによって、ベートーヴェン本来の音楽を蘇らせることを志向した演奏であると思う。

バレンボイムが初めてのベートーヴェン交響曲全集を録音するのに起用したのは、シュターツカペレ・ベルリン(ベルリン国立歌劇場管弦楽団)であるが、この楽団について彼は自伝の中で以下のように述べている。

「ベルリン国立歌劇場で私が出会ったオーケストラは、非常にすばらしいアンティーク家具に、けれどもいく層もの埃に本来の美しさを覆い隠された家具に似ていた。オーケストラのレベルがたいへん高いことは分かっていたので、私はその埃を取り除く作業に着手した。純粋に音楽的観点に立って、イントネーション、アタックの統一、統一のとれた全体演奏、などの本来の美しさを覆っていたものを取り除いた。少しずつではあるが、このオーケストラが高いレベルを持っているという私の判断が正しかったことが実感され、あっという間にすべてがうまく整った。」

実はこれと同じことが、ベートーヴェンの演奏解釈についても言えるのではないか。手垢のついた伝統的解釈を一旦ご破算にし、「純粋に音楽的観点に立って」ベートーヴェンが本来意図した音楽を再現することを彼は目指したのではないか。サイードと対談した『音楽と社会』という本の中でも、彼はワーグナーが古典派音楽の演奏に対して与えた影響の大きさについて述べていた。

ひとつの例として、偶数番の交響曲は小規模で優美な楽曲と捉える見方が伝統的にある。しかし、それは本当に正しいのか。第7番と第8番を1枚に収めたバレンボイムの演奏を聴くと、それはただの偏見だという気がしてくるから不思議である。おそらく意図してであろうが、第7番が(もちろん立派だけれど)意外に「軽快な」演奏であるのに対し、第8番は冒頭からバスを思い切り響かせた、堂々として重厚な演奏が繰り広げられる。第1楽章展開部144小節目以下の熱のこもった演奏は圧巻である。作品番号が連続するこの2曲は、ともに甲乙つけがたい傑作なのである。

それに限らず、従来の演奏が響きの美しさや全体的な調和を目指した演奏であるとするなら、バレンボイムの方向性は真逆であるようにすら思える。全体にゴツゴツ、ザラザラとした肌触りの音づくりで、フォルテのアタック(音の出だし)はぶつけることも辞さず、クレシェンドやスフォルツァンドなどダイナミクスの変化は強烈である。旧ラジオ局スタジオでの優秀な録音のせいもあるかもしれないが、対旋律や伴奏音型も含めた各声部の音が、溶け合うことなく際立って聴こえる。突飛な譬えかもしれないが、従来の演奏が小奇麗な容器に収まった幕の内弁当だとすれば、バレンボイムのそれは色々な料理がそのまま大皿にざっくり盛られた様子を連想させる。

しかし、それこそが実はベートーヴェン本来の音楽なのではないか。それまでの古典派の音楽がいわば貴族の娯楽音楽でしかなかったのに対し、ベートーヴェンは広く一般市民に向けた芸術作品としての音楽を追求し、様々な試みを実行していった音楽家なのである。第9番第2楽章のティンパニに聴衆が大喜びしたという逸話があるが、意表をつくような楽想や展開で聴衆を飽きさせないのも彼の音楽の特質のひとつとすれば、予定調和的にまとまった演奏は古典派の呪縛から脱していないのだ。

ベートーヴェン時代のピリオド楽器や奏法、自筆譜に基づく新校訂版の使用といった試みは、実は些末的・技術的なことでしかない。モダンの楽器や従前の楽譜でも、ベートーヴェンの音楽の本質を追求することは十分可能だというのが、バレンボイムの主張なのではないか。彼が信奉するフルトヴェングラーの精神を受け継いだ、「魂のこもった」ベートーヴェンと言うことも出来るかもしれない。ただし、演奏様式は全然違っていて、バレンボイムはほとんどインテンポで通していて、アンサンブルは完璧、むろんアインザッツの乱れなど無縁である。

ただ、前の記事でも書いたように、我が国におけるバレンボイムという音楽家の評価が低い、というよりほぼ無視されているのは嘆かわしい。しかし、そのせいなのかどうか、この画期的なCD6枚組が何と990円という値段で入手できたのはとても有難かった。(笑)

6月9日 ジョグ10キロ

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2019/06/08

『ゴッホ 最期の手紙』

Lovingvincent_1 2017年、英・ポーランド。KINENOTE の紹介文。

郵便配達人ジョゼフ・ルーラン(クリス・オダウド)の息子アルマン(ダグラス・ブース)は、パリ宛の一通の手紙を託される。それは父の友人で自殺した画家ゴッホ(ロベルト・グラチーク)が、彼の弟テオに書いたものだった。アルマンはテオの消息をたどり彼の死を知るが、それと同時にある疑問が募る。ゴッホの死の本当の原因とは? そして、この手紙を本当に受け取るべき人間はどこにいるのか? (引用終わり)

「絵に描いたような」という形容があるが、本作はまさにそれをそのまま実行した驚異的な映像作品である。公式サイトに詳細な説明があるが、俳優が演じた映像を元に、世界中からオーディションで集めた125名の画家が、ゴッホのタッチを模して描いた6万枚以上もの油絵を、アニメーションのように連続する動画として撮影したものだ。

実は本作を続けて2回観るはめになったことを告白する。1回目はその映像の美しさに見入ってしまい、物語(字幕)がすんなり頭に入らないまま終わってしまったのだ。2回目はゴッホの死の真相を探求するなかで、ゴッホ自身の人生の実相に迫っていくアルマンの「旅」を追体験することができた。「一粒で二度美味しい」映画である。(笑)

ゴッホの死の真相にはいくつもの説があって現在でも謎とされているが、本作は決して「これが真相だ」というスタンスではないと思う。ただ、精神科主治医で絵画愛好家でもあったガシェと、その娘マルグリットが重要なカギを握っていることが暗示され、そのことが「最期の手紙」のその後の顛末を巡る感動的なエンディングに繋がっていく、ということだけは書いておきたい。

6月6日 ジョグ10キロ

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2019/06/05

『プラハのモーツァルト 誘惑のマスカレード』

Interlude_1 2017年、英・チェコ。公式サイトの紹介文。

1787年、プラハはオペラ『フィガロの結婚』の話題で持ちきりだった。上流階級の名士たちは、モーツァルトをプラハに招き、新作を作曲させようと決める。その頃、モーツァルトは三男を病で亡くし失意のどん底にあり、陰鬱な記憶に満ちたウィーンを逃れるために、喜んでプラハにやってきた。友人ヨゼファ夫人の邸宅に逗留して、『フィガロの結婚』のリハーサルと新作オペラの作曲にいそしむモーツァルト。やがて、彼は、『フィガロの結婚』のケルビーノ役に抜擢された若手オペラ歌手スザンナと出会い、その美貌と才能に大いに魅了される。一方、スザンナもモーツァルトが妻帯者と知りながら、その天才ぶりに引き付けられずにはいられなかった。急速にその距離を縮める二人。しかし、オペラのパトロンであり、猟色家との噂のあるサロカ男爵もまた、スザンナを狙っていた。三人のトライアングルは愛と嫉妬と陰謀の渦に引き込まれてゆく―(引用終わり)

モーツァルト生誕260年(中途半端やなあ・笑)を記念して製作された。原題 Interlude in Prague は、直訳すると「プラハでの間奏曲」で、やはりこちらの方がしっくりくる。ウィーンよりもモーツァルトの評判が高かったというプラハでのエピソードを、史実半分、創作半分といった感じで面白く纏めている。

とりわけ、モーツァルトのオペラにしてはデモーニッシュな色彩の強い『ドン・ジョヴァンニ』の創作過程に、彼自身が巻き込まれた三角関係の愛憎劇を絡めているところが秀逸で、実際これに近い出来事があったのかもしれないという妄想を膨らませてくれる。

全篇、現地プラハでロケ撮影され、細かいカットを畳みかける映像は大変美しく、また当然ながら要所要所で流れるモーツァルトの楽曲の数々が映画を盛り上げる。楽団員が皆カツラをつけて、現在とは全く異なる配置で古楽器(当時は現代楽器だが)を奏でる様子も興味深い。なお、スザンナ役の歌唱吹替はクリスティーナ・ジョンストンというイギリスのコロラトゥーラ・ソプラノで、プラハ国立歌劇場でも歌っているそうだ。

6月3日 ジョグ10キロ

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2019/06/02

『ボストンストロング』

Stronger_1 2017年、米。デヴィッド・ゴードン・グリーン監督。KINENOTE の紹介文。

ボストンで暮らすジェフ・ボーマン(ジェイク・ギレンホール)は、元彼女エリン(タチアナ・マスラニー)の愛情を取り戻すため、彼女が出場するマラソン会場に応援に駆け付ける。しかし、爆破テロがゴール地点付近で発生し、巻き込まれたボーマンは両足を失う。ボーマンは意識を取り戻すと、爆弾テロリストを特定するために警察に協力する。ボーマンの証言を元に犯人が特定され、ボーマンは一躍“ボストンのヒーロー”として世間の脚光を浴びるが、彼自身の再生への戦いはまだ続いていた。(引用終わり)

原題は Stronger 。何とシンプルで、含蓄のあるタイトルだろう。それに比べて、邦題は折角の比較級を元に戻す愚挙に加え、「ダメな僕だから英雄になれた」などという身も蓋もない副題までつけている。そこまでやらないと、映画は人々に観てもらえないのだろうか。

それはともかく、本作は2013年ボストンマラソンのテロ事件に巻き込まれた主人公の回顧録に基づく実話ドラマである。少し前に観た『パトリオット・デイ』も同じ事件を題材にしていて、そちらは事件解決に向けた捜査当局の動きを克明に追った作品だったが、本作はごく普通の市民だった主人公の視点から、事件が及ぼしたインパクトをリアルに描いている。

一躍地元の英雄に祭り上げられた主人公は、アイスホッケーの試合に招待されるなど世間の注目を浴びるが、そうした表面的な華やかさとは裏腹に、本人は不自由な暮らしと苦しいリハビリに耐え、さらには事件現場での記憶が突然フラッシュバックするなど、苦難に満ちた日々を過ごしている。前後不覚になるまで酔ったり、献身的に手を差し伸べてくれるエリンにまで当たり散らす始末だが、そうした人間の弱さを克服して、彼が俄かヒーローではない、「より強い」ひとりの人間へと生まれ変わる過程こそが本作のテーマなのだろう。

5月31日 ジョグ10キロ
月間走行  151キロ

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2019/05/30

野上電鉄廃線ラン(後半)

この先の各駅跡はそれぞれ小公園として整備され、散歩する人の格好の休憩場所になっている。紀伊阪井駅跡。中央の植込みから左側がホーム跡と思われる。何とかいう郷土の偉い人の銅像が建っていたが、このあたりは棕櫚製品など地場産業が盛んな土地だったようだ。

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その証拠に、付近の民家の庭先に棕櫚の木を発見。しかし、残念ながら沿線で目撃したのはこの一本だけだった。

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この先で線路跡は左に90度カーブして南下し、今も現役で使われている跨線鉄橋の下を潜る。

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重根(しこね)駅跡。2面2線式のホームを有し、ほとんどの列車の交換を行っていたそうだ。

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すぐ西方に、勾配標の痕跡と思われる石柱が残る。

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この先数百メートルの区間は宅地化により廃線跡が完全に消失してしまっているが、国道重根南交差点付近で遊歩道が再び出現、やがて幡川(はたがわ)駅跡に至る。

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地元高校生の製作という壁画が展示されている。「野鉄」として地元の人々に親しまれていたことがよく分かる絵だ。

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阪和自動車道高架を潜った先の春日前駅跡。買い物帰りの女性と下校途中の高校生が、それぞれに憩いの時を過ごしていた。

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さらに進み、JR海南駅が正面に見えてきたところで遊歩道は終了。

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線路はここから右にカーブしてJR紀勢本線に合流するように北進し、日方駅に向かっていた。

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日方駅跡と思われる空き地。近々再開発が予定されているようだ。

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海南駅から帰路に就く前に、駅売店で特産品の棕櫚たわしを買い求めた。髙田耕造商店の手巻き手作りで、掌サイズの「特小」だけど税込み637円もした。値段なりのことはあって、手にしっくりなじむ文字通り「やさしいたわし」だ。毎朝、スキレットを洗うのに早くも重宝している。偶然、今週のNHK大阪「おはよう関西」で、ここの製品が紹介されていた。

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5月29日 ジョグ10キロ

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2019/05/27

野上電鉄廃線ラン(前半)

23日、和歌山県の野上電気鉄道廃線跡を走ってきた。同電鉄は和歌山県海南市の日方駅から海草郡野上町(現紀美野町)登山口駅までの11.4キロを結んで昭和3年に全線開業した。官庁認可の正式名称は「のがみ」だが、地元では地名と同じ「のかみ」と発音する。沿線の特産品である棕櫚製品(たわし、ロープ等)などの輸送を担っていたが、例によって戦後のモータリゼーションの進展で輸送需要が低迷した。一旦出された一部区間の廃止申請が、直後の第一次石油ショックによる鉄道見直しで撤回されたりもしたが、平成6年3月末をもって全線廃止となったものである。

行程の都合でJR海南駅前から代替バスである大十オレンジバスで終点の登山口まで移動、そこから海南駅前まで引き返すことにした。終点から起点に向けて走るので、通常であれば「上り」となるはずだが、野上電鉄においてはこちらを「下り」と称していた。標高差からすると確かに「下り」ではあるが、監督官庁からは再三是正を求められていたらしい。

正午前、登山口駅跡を出発。現在は大十バスの本社事務所、車庫などに転用されている。なお、「登山口」とは高野山への登り口かと思っていたがそうではなく、ここから南南東に入った生石高原への登山口を意味するそうだ。鉄道の廃線跡は正面奥の道路ではなく、写真左の車庫裏を走る国道370号に転用されていて、当時の面影は全く残っていない。平成27年の和歌山国体開催に伴って一気に道路整備が進んだそうだ。

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スタートして間もなくの「くすのき公園」にモハ30形の電車が1両、屋根付きで保存されている。説明板によれば、昭和9年日本車輛製で、阪神電鉄で約30年使ったのを譲り受け、さらに31年間使用したという。お疲れさま!(笑)

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なお、近隣の診療所の私有地内にもモハ20形1両が屋根付きで保存され、公道から見学することができる。こちらも阪神からの譲受車である。

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車両前方には2本のキロポストが打ち捨てられたように置かれていた。奥の「11.4」は終点登山口駅のもの。手前の「0.03」は起点日方駅構内にあったもので、開業当時は約30メートル先の野上電鉄本社前にホームがあったためだとか。

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この先は国道370号の歩道をひたすら走る。途中、下佐々、龍光寺前、動木(とどろき)、紀伊野上、八幡馬場、北山、野上中、沖野々とあった駅の痕跡は全くなく、場所を特定することすら出来なかった。沖野々の先で国道から右に分岐し、廃線跡を利用した遊歩道に入ると、ようやく廃線ランらしくなった。

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野上電鉄のものらしき枕木を発見。これも相当長い間使いこまれていた様子である。

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住宅街の間を縫うように遊歩道は続き、自転車に乗った地元の高校生たちが賑やかに談笑しながら追い抜いていく。本当は歩行者専用で自転車は通行不可なのだが、交通量の激しい国道を走らせるわけにはいかないだろう。

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後半に続く。

5月25日 ジョグ10キロ

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2019/05/24

ズスケQのベートーヴェン弦楽四重奏曲全集

Kicc1334_2 先日、アルバンベルク四重奏団によるベートーヴェンの弦楽四重奏曲全集を聴き終えたあと、彼のカルテットでなぜかうちに1枚だけあった第15番のLP盤を引っ張り出して聴いてみた。演奏は Suske-Quartett, Berlin 。ズスケ四重奏団ともベルリン四重奏団とも表記されるが、正確にはベルリン・ズスケ四重奏団と言うべきだろう。

それはともかく、改めて聴いてみて、アルバンベルクQの演奏とは全然違うのに驚いた。まず、音色的な面から言えば、華やかで艶のあるベルクQの音とは対照的に、ズスケQは燻し銀のような落ち着いた味わいである。器に例えれば、前者が光沢のある漆塗りの椀だとすれば、後者は木目を生かした白木の椀とでも言おうか。もちろん、工芸品としての素晴らしさは甲乙つけがたい。

それ以上に興味深いのが、演奏のスタイルというかアプローチの仕方の違いである。ベルクQが4人のソリストが時には丁々発止と繰り広げる「掛け合い」であるのに対して、ズスケQはもっと精緻で求心力の強いアプローチであり、あらかじめ曲の全体像を4人が完全に理解し共有した上で、各奏者はそれを構成するパーツとなって参加しているのである。

リーダー役の第1ヴァイオリンですら例外ではなく、ベルクQのギュンター・ピヒラーが、時にソリストのようにメリハリをつけた演奏をしてメンバーを引っ張るのに対し、カール・ズスケは他の奏者と同様、あくまでひとつのパートを担っているに過ぎないというスタンスを貫き、出過ぎることも埋もれることもない絶妙のバランスを保つ。

好みもあるだろうが、繰り返し聴いて飽きないのはズスケ盤の方ではないかと思う。それで、第15番も含め全曲のCDを入手して聴いてみた。前述のアプローチは全曲を通して共通で、とりわけ後期の曲ではそれが非常に有効に作用しているのを感じた。録音も極めて優秀で、どうやらこちらの方が今後の愛聴盤になりそうである。

なお、このカルテットは1965年、当時シュターツカペレ・ベルリン(ベルリン国立歌劇場管弦楽団)の首席コンサートマスターであり、すでにカルテットの経験もあったカール・ズスケが、同楽団の首席たちであるクラウス・ペータース、カール=ハインツ・ドムス、マティアス・プフェンダーの3人と組んで結成され、67年にはベートーヴェンの弦楽四重奏曲の録音を開始した。その後、リーダーのズスケがベルリンからライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団にコンサート・マスターとして移ることになり、カルテットの日常的な活動は困難になったが、ベートーヴェンの録音は特別に同じ顔ぶれによって継続され、80年に至ってついに全曲の録音が完了した。

実に14年の歳月をかけて録音されたことになるが、すべてドレスデン・聖ルカ教会で収録され、ドイツ・シャルプラッテンレーベルから発売された。余談ながら、ラズモフスキー第3番の冒頭、ルカ教会の近くで囀る小鳥の声が僅かに混入してしまっている。最初は我が家の外の鳥かと思ったが、何度聴いても同じタイミングで入るので間違いない。録音技師は気がつかなかったのだろうか。まあ、鑑賞の邪魔になるほどではないけれど。(笑)

5月23日 ジョグ11キロ

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