2020/01/18

『マイ・インターン』

Theintern2015年、米。ロバート・デ・ニーロ、アン・ハサウェイ他。アマゾンの紹介文。

舞台はニューヨーク。華やかなファッション業界に身を置き、プライベートも充実しているジュールス。そんな彼女の部下に会社の福祉事業として、シニア・インターンのベンが雇われる。最初は40歳も年上のベンに何かとイラつくジュールスだが、やがて彼の心のこもった仕事ぶりと的確な助言を頼りにするようになる。そんな時、ジュールスは仕事とプライベートの両方で思わぬ危機を迎え、大きな選択を迫られる――。(引用終わり)

ちょっと前に「ほぼ日」のエッセイで紹介されていて面白そうだったので観てみた。登場人物はいい人ばかりで、70歳のベンは何でもこなせるスーパーマンと、設定がちょっと甘すぎる気もするけれど、疲れた心身をリフレッシュしてくれるビタミン剤のような映画だ。ファッションには疎いのでよく分からないが、細部までこだわったという映像は美しいし、きびきびとした場面転換などテンポ感も快い。

ベンとジュールスが恋仲になったり、ベンが会社の重役に迎えられ、といった結末を恐れていたが、さすがにそんな陳腐なことにはならなかった。厳しい現実に正面から立ち向かおうとする若い人たちを、人生経験豊かなシニアが側面からそっと支える。世代間の協力関係はかくあるべしという見本のようなストーリーだ。

何と言っても、デ・ニーロの表情がいい。長い人生経験が顔から滲み出ていて、少しニコッとしただけで警戒心や反抗心は消え、ツボを押さえた一言に、「いやもう仰るとおり!」と唸ってしまう。こんなシニアばかりだったら、世の中どんなに素晴らしいかと思う。自分自身への自戒を込めて。(苦笑)

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2020/01/15

『オーガ(ニ)ズム』

Organism阿部和重著。版元の紹介文。

作家・阿部和重の東京の自宅に、ある夜、招かざる客が瀕死の状態で転がり込んできた。その男・ラリーの正体は、CIAケースオフィサー。目的は、地下爆発で国会議事堂が崩落したことにより首都機能が移転され、新都となった神町に古くから住まう菖蒲家の内偵。新都・神町にはまもなく、アメリカ大統領オバマが来訪することになっていた。迫りくる核テロの危機。新都・神町に向かったCIAケースオフィサーと、幼い息子を連れた作家は、世界を破滅させる陰謀を阻止できるのか。『シンセミア』『ピストルズ』からつづく神町トリロジー完結篇。作家、3歳児、CIAケースオフィサーによる破格のロードノベル!(引用終わり)

第一部『シンセミア』の連載開始が1999年だから(単行本は2003年刊行)、2010年刊行の第二部『ピストルズ』を経て、完結篇となる今回の第三部が昨年9月に刊行されるまで、ちょうど20年を要したことになる。タイトルの意味はそれぞれ、「種なし大麻(=男性器の比喩)」、「Pistils(雌しべ=女性器の比喩)」と来て、今回は「有機体(としての作品空間)」と「性器同士の合体による絶頂」、両方の意味を籠めたものだという。

作風はそれぞれ違っていて、戦後日本の縮図のような片田舎の町を舞台に裏社会の権力闘争を描いたノワール・ドキュメンタリー、神町に住まう菖蒲家一族に伝わる一子相伝の秘術「アヤメメソッド」を巡るファンタジーと来て、今回はCIAオフィサーと作家親子が菖蒲家の陰謀に立ち向かうバディものミステリー・エンターテインメントの趣である。

著者自身の分身のような主人公とその家族、著者の出身地で山形県東根市に実在する神町(じんまち)や若木山(おさなぎやま)といった地名、オバマ大統領の来日など現実世界の事物を援用しつつ、壮大かつ緻密に構成された虚実綯交ぜのフィクションが進行する、全く独自の物語世界に引き込まれてしまった。四六判864ページ、厚みにして約4センチという大部に当初はひるんでしまったが、読み始めると案外スラスラと読み通すことができた。

しかし、本作は単なるエンターテインメントではない。戦後日本の縮図としての神町を舞台に、日米関係の変遷と将来像を主要テーマに、天皇制の在り方にまで敷衍しつつ、戦後70年を経た今なお米国の強い影響下にある日本社会のありようを活写しようとした意欲作である。その深い意図は巧みに背景に後退させつつ、読み物としての面白さも追求したところが、他に類を見ない本作並びに本シリーズの魅力なのだと思う。

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2020/01/12

冬タイヤは不要?

Kimg05971_20200112181201そう言えば、まだうちの車のタイヤを冬用に交換していなかったのだ。例年だとクリスマスから年末頃にかけて寒波が襲来することが多く、週間天気予報に雪マークが出たら交換するようにしていたのだけれど、今冬はまだ一度も雪ダルマにお目にかかっていない。全国的に暖冬傾向で、雪不足のためスキー場がオープン出来ずにいるというニュースも報じられている。

この調子でいくと今冬はついにスタッドレスに交換せずに済んでしまうかもしれない。寒い中の面倒な作業から解放されるのは喜ばしいが、「過去に経験したことのない豪雨」が頻発していることも合わせ、地球規模の温暖化がいよいよ目に見える形で現れてきているのではないだろうか。そして…

20××年、冬用タイヤはもはや無用の長物と化し、タイヤメーカーは売上減少対策として、最高気温40度以上の「酷暑日」が続く夏季に向け、高温路面に対する耐久力を強化した「夏タイヤ」(いわゆる「ノーマルタイヤ」ではなく)を発売した。当面は高速道路の利用が多いドライバーに向けた営業を開始するとしている。

もちろんただの冗談だけれど、果たして本当に冗談で済むかどうか。それとも、空飛ぶクルマが実用化されているだろうか。

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2020/01/09

歌劇「トゥーランドット」

Program_06_0202_imgプッチーニ最後にして遺作となったオペラ。2016年1月メトロポリタンオペラ公演の録画を鑑賞。METライブビューイングの紹介文。

伝説の時代の古代中国、北京。皇帝の姫君トゥーランドット(ニーナ・ステンメ)は絶世の美女として知られているが、求婚者に謎をかけ、解けないと殺してしまう残酷な姫君でもあった。国が滅んで流浪していたダッタン国の王子カラフ(マルコ・ベルティ)は、辿り着いた北京の町で、生き別れになっていた父ティムール(アレクサンダー・ツィムバリュク)と再会する。喜びもつかの間、トゥーランドットを一目見て恋に落ちたカラフは、ティムールとお付きの女奴隷リュー(アニータ・ハーティッグ)の制止もきかずに謎に挑戦するが・・・。(引用終わり)

荒川静香選手がトリノ五輪で用いて以来、第3幕のアリア「誰も寝てはならぬ」が有名になり、誰しも一度は耳にしたことがあるはずだけれど、なぜ「寝てはならぬ」のか、その理由を知る人は少ないだろう。自分自身、本作を今回初めて鑑賞して、カラフの運命を決することになる一夜のことと、ようやく合点がいった次第だ。

それまでヴェリズモ路線を深化させてきたプッチーニが、最後に(と自覚していたかどうかは分からないが)選んだ素材は、異国中国を舞台に繰り広げられる寓話劇で、しかもハッピーエンドの大団円で幕となる。それまでの作品が、いかにも人間臭いドラマの末に、主人公らが悲惨な死を迎えて終わりとなるのと大違いである。

なかでも見所は、氷のような姫君トゥーランドットが、過去の怨念に囚われてそれまで封印してきた人間性を取り戻すところである。タイトルロールを演じたニーナ・ステンメも、幕間のインタビューで「生身の人間としての姫君」の表現に最も苦心したと答えていた。初めのうちは情熱的に迫ってくるカラフを退けながらも、一瞬視線が彼の方を向いた直後、「あ、いけない」とばかり目を伏せるといった細かい演技が、ライブビューイングではハッキリ確認できる。

また、慕い続けて来たカラフの愛を実らせようと自刃を選ぶ、リューの辞世のアリア「氷に包まれた姫君も」が胸に迫った。純真な乙女の自己犠牲というテーマは、ワーグナーの楽劇にも通じるところがある。ステンメもインタビューの中で、「『トリスタンとイゾルデ』と重ねたくなる。プッチーニも第3幕のスケッチでそれに触れている」と語っている。

ゼフィレッリ演出によるスペクタクルな舞台はまさに息を呑む迫力で、特に第3幕の途中で僅かな時間に場面転換し、百名はいようかという群衆があっという間に宮殿前に揃っているのには驚かされた。衣装や小道具も一切手抜きなしの豪華絢爛さである。かつてのアメリカ滞在中に実演を見逃したのが、今さらながら悔やまれる。

さて、これでヴェルディ、プッチーニの手元にある録画は全て鑑賞した。続いて、僅かしかないけれど、他のイタリアオペラに移ることにしよう。

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2020/01/06

電源雑音軽減器

読んで字の如し。壁コンセントとオーディオ機器の間に接続し、AC電源を通じて混入してくる雑音を軽減する機器である。自分自身へのお年玉(何歳?笑)にと購入した。もうちょっと気の利いた商品名がありそうなものだが、おそらく製造販売元は根っからの技術屋が集まった会社なのだろう。

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取扱説明書によれば100時間程度のエージングが必要とあるので、まだ真価を発揮するには至っていないはずだが、それでも音質改善効果は予想を遥かに上回る。最も顕著なのは高音域、とりわけ倍音領域の歪の軽減であると思われる。電源を通じて混入する高周波ノイズには可聴帯域(20kHz以下)も含まれるので、それが各楽器の倍音を歪ませ、楽音全体を濁らせているのだろう。

その歪を除去することで、自然な再生音に戻してやることが可能となる。生々しい音は眼の前で演奏しているかのような臨場感に溢れ、ヴァイオリンやトランペットの高音のキンキンした感じがなくなり、抜けの良い音がどこまでも伸びていく感覚が心地よい。

また、音場の広がりはこれまでとは異次元のものである。映像に譬えて言えば、これまでが映画館で本篇が始まる直前にスクリーンがワイド化する程度だとすれば、今回の経験ではもはやスクリーンが存在せず、建物全体に投影するプロジェクションマッピングである。それも左右の広がりどころか、上下にも奥にも広がる精密な3D映像での投影なのだ。

改めて、CDにはこれだけの情報量が刻み込まれていたのかと驚くと同時に、これまでの再生音は何だったのかという思いを禁じ得ない。大袈裟に言えば、家にある全てのディスクを聴き直してみたい衝動に駆られている…とは、実は以前にも書いた感想だが、その時を遥かに上回る驚きに襲われている。

また、今回の購入に際して全く意外な事実を知ることが出来た。オーディオ機器にとって大地アースへの接続は有害だというのだ。というのも、この機器の出力コンセントが接地極付きの3P型であることから、カタログには写っていない入力側も当然同じで、壁コンセントにはアース端子が必要と思い(自室は未設置)、その点を確認すべく製造元にメールで質問したところ、何と同機のコンセントの接地極はどこにも接続していないという意外な回答が返って来たのだ。少し長くなるが回答を引用する。

「最近の大地アースは、大型の電気機器のノイズを含むアースが感電防止等の安全のために接続されていて、ノイズのごみ捨て場状態になっています。従いましてノイズに敏感な機器は接続しない方が正しいのです。ノイズはアースからも侵入してくるので、壁付けコンセントのアース(大地アース)は、オーディオ機器におきましては音質のためには接続しないのが一般的で正しいのです。また誤解されやすい話として『アースを取るとノイズが減る、アースを取らないと機器が不安定になる』という電子機器内のシールドやシャーシアースの場合と、電源のアースとは全く別の話です。電源アースを取れない宇宙船、飛行機、ノートパソコン等、いずれも問題なく動いています。繰り返しになりますが、一般的に壁付けコンセントの電源アースはノイズ防止には関係なく、感電防止が主な目的です 」(一部文言修正)

確かにCDプレーヤーの電源プラグにはアース用のコードが付けられているが、取扱説明書によればそれは「感電防止のため」とある。しかし、感電防止にはなっても雑音を拾うようでは何をしているのか分からない。もう少しでアースを接続するところだっただけに、この意外な回答は大変有益だった。同社サイトのQ&Aにも掲載するようお願いしたところである。

いずれにせよ、中級アンプぐらいの値段がする同機の購入を当初は躊躇っていたが、その価値は十分あったと感じている。なあに、これからも音楽を聴き倒して、元を取ってやればいいだけのことだ。(笑)

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2020/01/03

娘夫婦が来訪

昨年暮れに結婚したばかりの娘夫婦が、正月休みを利用して我が家を訪ねてくれた。結婚式からまだ2週間経っていないけれど、もっと長い間顔を見ていない気がしていただけに、相変わらずの様子を見てまずはひと安心した。

お婿さん(正式には女婿<じょせい>というそうだ)の来訪は二度目となるが、さすがに自宅同様に寛いで過ごせるわけではないだろう。長距離の移動に加え、どこかに緊張感を残したままの滞在に、少し疲れたような様子も窺えた。

それにしても、彼は身長183センチながら体重は私とほぼ同じという長身痩躯。靴の寸法も30センチということで、ご覧のように自分のランニングシューズが子供用に見えるという有様である(笑)。その大きな体で、娘を生涯守ってやってほしいと願わずにはいられない。

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2019/12/31

2019年回顧

大晦日は第九を聴きながら芋ケ峠往復LSDを走るのが恒例だったが、さすがに今年は無理で、午前中は畝傍山の登り納め、午後は自室で第九のCDを聴いた。選んだのは、今年俄かにマイブームとなったバレンボイムの指揮によるシュターツカペレ・ベルリンの演奏である。一見粗削りのようでありながら、ベートーヴェンの意図を忠実に再現しようとした演奏に改めて感銘を受けた。

さて、これも恒例の今年の回顧。いろいろあり過ぎて、とても総括など「あろうはずがありません」。(笑)

 1月 年賀状を卒業
     息子が転職、四国に引越し
     ガラケーからガラホに機種変更
     アンプの修理を依頼、無事復活する
     2台目の軽自動車を購入
 2月 父が老人ホームに入居
     パソコンを買い替え
 3月 PayPay を使い始める
 4月 京街道を走る
 5月 野上電鉄廃線ラン
     直腸癌が発覚
 6月 直腸摘出手術
     7月にかけ36日間入院
 8月 CDプレーヤーを買い替え
     オペラ鑑賞シリーズ開始
 9月 奈良街道を歩く
10月 奈良街道を歩く(続)
     登山靴を購入
     タブレットを買い替え
11月 大学病院に転院
12月 娘が結婚、首都圏に転居

それでは皆さま、どうぞ良いお年を!

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2019/12/28

歌劇「蝶々夫人」

Butterfly日本が舞台ということで我が国でも絶大な人気を誇るプッチーニの傑作オペラ。2016年4月メトロポリタンオペラ(MET)公演の録画を鑑賞。METライブビューイングの紹介文。

19世紀末の長崎。アメリカ海軍士官ピンカートンは、女衒のゴローの仲介で芸者の蝶々さんと「結婚」するが、100円で買われたその「結婚」は、あくまで一時的なものだった。だがハンサムなピンカートンに夢中になった蝶々さんはキリスト教に改宗し、一族から絶縁されてしまう。ピンカートンが母国へ帰って3年が過ぎた。彼の子供を産み、信じて待ち続ける蝶々さん。だが蝶々さんの前に現れたピンカートンは、アメリカ人の妻を連れていた。絶望した蝶々さんは…。(引用終わり)

当時のヨーロッパではエキゾティシズム(異国趣味)が流行していて、プッチーニは本作のほかにも中国を舞台にした「トゥーランドット」を作曲している。プッチーニは日本の風習や音楽を知るため、イタリア駐在日本公使夫人から教えを受け、日本音楽のレコードや楽譜を借りたりしたそうである。

民謡など日本のメロディが随所に登場するのはその成果で、音楽的には面白く聴けるけれども、問題となるのは舞台装置や衣装、演出である。国内公演は観たことがないので分からないが、METなど海外の舞台を見ると、ほとんど中国と混同してしまっているようで(中国人から見るとそれも違うか?)、日本人の目には相当な違和感がある。

その点は差し引くとしても、音楽劇としての完成度は極めて高い。「トスカ」の項で書いたような「アリアが浮いてしまう」という次元を超え、もうどこからがアリアなのか分からないほど一体化し、最初から最後まで切れ目のない音楽が、ドラマと表裏一体となって進行するさまは見事と言うしかない。

まだ15歳という蝶々さんが、初めて本当の恋を知り、母になり、アメリカに帰国したピンカートンの帰りを待ち侘び、悲惨な最期を迎えるまでを、クリスティーヌ・オポライスが熱演。2014年の伝説の2役連続ロールデビューを経て、既に完全に十八番にしているのが分かる。

一方、ピンカートンを演じたロベルト・アラーニャは、「ひどい男の代名詞みたいに言われるピンカートンだけれど、彼だって20代前半ぐらいの世間知らずの若者で、異国日本に来て羽を伸ばしている中での “若気の至り” だったのではないか」という趣旨のことを、幕間のインタビューで答えていたのが印象的だった。これぞ人間の真実、ヴェリズモというべきだろう。

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2019/12/25

身体障害者手帳

人工肛門を持つ者として身体障害者の認定を受け、身体障害者手帳(4級)が交付されている。これにより様々な福祉制度が利用できるものの、これまでその恩恵に浴することはなかったが、今回娘の結婚に際して首都圏まで往復した折には、その有難さを実感することが出来た。

まず、高速道路の通行料金が半額になる。うちは軽自動車でもともと普通車より安い料金がさらに半額になるのだから助かる。ついでに言うと、最近の軽自動車は性能が向上していて、時速100キロ超えの長距離運転でも全くストレスを感じなかった。

次に、片道100キロ超の鉄道運賃が半額になる。特急などの料金は対象外だが、それでも数千円の割引は有難い。ただ、窓口で係員に手帳を提示して購入する必要があり、混雑時には長時間行列に並ぶ必要がある。優先窓口を設定するなどの配慮が必要かもしれない。

交通関係で言えば、路線バス運賃も半額、タクシー料金は1割引となる。1回1回の割引額は小さいものの、頻繁に利用する人にとってはやはり有難い制度だろう。

意外だったのは、ふと立ち寄ったある観光施設で手帳を提示すれば、同行者1人分も合わせて入場料が無料になることだった。料金を取る施設には基本的に入らないという意味不明なポリシーの持ち主(笑)としては、ただただ感謝するしかない。

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2019/12/22

当世結婚式事情その3

今年3回目の結婚式に参列した。姪、甥に続き、今度はわが娘の番である。昨今多くなった専用施設での挙式、披露宴で、神父や媒酌人の介在しない人前式の挙式、職場の上司は招待せず友人親戚のみの披露宴、スピーチや余興は最小限にした歓談中心の進行は、自分たちの時とは様変わりだが、慣例や形式に囚われない若い人たちの考え方には納得できる部分が多い。

それはともかくとして、今回は新婦のエスコートという大役が待っていて、直前にリハーサルをしてくれるとはいえ、たぶん人生で一度しかない体験には大いに緊張した。娘の手を無事新郎君に引き渡した後、しばらくその場で所在なく待っていると、「花嫁のパパ」の侘しさが込み上げてきたが、一種の通過儀礼なのだと言い聞かせていた。

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披露宴では、写真やビデオの撮影、各テーブルへの挨拶、来賓の見送りと結構忙しかったが、産地にまでこだわったフルコース料理を味わう余裕はあった。新郎新婦のこれまでを振り返るビデオで、娘の子供時分の写真が映し出されたり、最後に娘から感謝のこもった挨拶があったりと、ウルっと来そうな瞬間は何度かあったが何とか堪えた。

ホテルの部屋に戻り一人になってからオイオイ泣いている、というのは真っ赤なウソで、一夜明けた今になってもまだ夢の中の出来事のようで、実感が湧いていないというのが正直なところだ。これから自宅に戻り、何かの拍子に娘の部屋のドアの向こうから何も物音がしないことに気づくたび、いつも夕食の支度の最中に娘を駅まで迎えに行く家内がずっと台所にいることに違和感を感じるたび、娘が結婚して家を出て行ったことを改めて、しみじみと実感することになるのだろう。

 

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