2019/10/14

奈良街道を歩く その4(大久保~六地蔵)

その3までで一旦終えた奈良街道だが、やはり宇治、六地蔵を回る古い街道の方も行ってみたくなり、快晴に恵まれた9日に歩いてきた。ついでに、東海道から分岐して大坂に向かう京街道の途中、小野付近から分岐して六地蔵に向かう奈良街道も歩いてみた。

ちょっとややこしいが、アルファベットの に例えると、下端が近鉄大久保駅付近の宇治屋の辻で、そこからスタートして宇治を経由、真ん中の交点が六地蔵、一旦地下鉄で右上の小野駅まで移動、そこから六地蔵まで歩いて戻り、今度は左上、京阪墨染駅付近の伏見街道との分岐点まで歩くという行程である。

午前9時過ぎ、宇治屋の辻をスタート。前回は右奥へ太閤堤を通るルートを行ったが、今回は右手前の「うぢミち」、なだらかな登りとなる古い街道を行く。

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宇治まで約1時間。メインの宇治橋通りは観光客相手の商店が連なり、一部に旧街道の風情も残る。折角なので老舗上林春松本店で煎茶を買い求めた。

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この先、宇治橋の西詰には紫式部像が佇み、ここが源氏物語宇治十帖の地であることを示す。

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橋の東詰めには文政年間の道標が建ち、「すぐ京大津」「右ゑしん院(恵心院)こうしやう寺(興聖寺)」「左みむろ わうばく(黄檗)」などと刻む。

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平安時代から続く茶屋「通圓」で抹茶ソフトを買い求め、ちょっとお行儀が悪いが食べながら街道歩きを再開。街道ランでは出来ない楽しみもあるのだ。(笑)

京阪宇治駅の東で旧道に分岐するところに東屋観音が安置され、その近くに「右ミむろみち」「左京大津道」と刻む可愛らしい道標があった。

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この先はJR奈良線、京阪宇治線と並行しながらなだらかに蛇行する街道を進むが、往時を忍ばせるような建物等はほとんどない。左手には京都大学宇治キャンパスの広大な敷地が広がっている。

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その先の辻を右に入り、JR黄檗駅に向かう途中、許波多(こはた)神社の昔の一ノ鳥居の礎石が立っている。もとはここから東の山手へ伸びる参道を行った先に神社があったが、神社は明治初期にここから北西方向に移築されたそうだ。

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京阪宇治線の踏切を渡った先に、地蔵と並んで仏の透かし彫りのある古い道標が建つ。残念ながら文字はほとんど解読不能で、ネットで調べても情報がなかった。ここから先、街道沿いにはやたらと地蔵さんが目についた。

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JR木幡駅付近を過ぎたところで、街道を越える高架橋跡があった。右手方向からゆるやかにカーブしており、明らかに鉄道廃線跡と知れる。木幡駅から分岐していた旧陸軍宇治火薬製造所への引込線跡で、駅付近は遊歩道になっているが、この辺りは野草の生い茂るまま放置されているようだ。

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六地蔵の手前、街道右手に天保年間と思われる道標が建ち、「左長阪地蔵尊みち」などと刻む。

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まもなく六地蔵札ノ辻に突き当たる。手前が宇治、左が伏見・京、右は醍醐・小野方面である。

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南西角には天保3年の道標が建ち、「左長阪地蔵うち(宇治)みち」「すぐ伏見舟乗場みち」などと刻む。

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すぐ近くの地下鉄東西線の終点六地蔵駅から小野駅まで電車で移動する。

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2019/10/11

歌劇「ドン・カルロ」

Doncarloヴェルディ中期の傑作とされるオペラ。フランス語版やイタリア語版、4幕版や5幕版など各種の版が存在するが、今回鑑賞したのは、イタリア語で全3幕に再構成した、メトロポリタンオペラ1986年公演のビデオである。

16世紀スペインを舞台に、国王フィリッポ2世と、フランスから迎えた若き王妃エリザベッタ、その王妃と一旦婚約関係にありながら解消された王子ドン・カルロ、王子の親友でスペインに弾圧されるフランドルの新教徒を擁護するロドリーゴ侯爵、王子を密かに愛する女官エボリ公女、カトリックの権力者・宗教裁判長など、いずれが主役とも言い難いほど多彩な人物が登場。一人の女性を巡る父と子との、カトリックとプロテスタントとの、政治権力と宗教権力との、それぞれの対立が絡みながら繰り広げられる、愛と政治をめぐる葛藤のドラマが、壮大で重厚な音楽によって描かれている。(ウィキペディアの解説に加筆)

本作はパリ・オペラ座の依頼により作曲され、1867年にオペラ座において初演されている。実は1986年にそのオペラ座で本作を観たことがある。たまたま欧米出張中の自由時間、チケットが入手できたので飛び込んでみたのだが、当時はタイトルぐらいしか知らず、複雑なストーリーをほとんど知らないまま、フランス語版全5幕、およそ4時間もの間、ひたすら音楽だけを聴いていた。指揮はジョルジュ・プレートルだったと記憶する。

それ以来、このオペラはやたらと長大で、内容も退屈に違いないという先入観があったのだが、豈図らんや。3幕合わせて約3時間半が短く感じられるほど、最後まで全く退屈することなく観終えることが出来た。最後の場面、エリザベッタへの愛を押し殺してフランドルへ向かう決心をするドン・カルロと、王子を心の底から愛しながらも彼の決意を理解し、快く送り出してやろうとするエリザベッタとの二重唱は心に迫った。

これまで鑑賞してきたヴェルディのオペラの中では最高傑作であると思う。それに寄与したのがこのMET公演の完成度の高さで、ドミンゴ(ドン・カルロ)、フレーニ(エリザベッタ)、ギャウロフ(フィリッポ)、フルラネット(宗教裁判長)といった錚々たる顔ぶれが遺憾なくその実力を発揮し、名曲ぞろいのアリアや重唱を大変感動的に歌い上げている。

ところで、ドン・カルロが祖父カルロ5世(フィリッポの父)の亡霊(?)によって墓の中に引きずり込まれる結末は謎めいていて、いくつかの解釈があるようだが、もしかするとモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」の幕切れと何か関連があるのかもしれない。

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2019/10/08

たまった小銭への怒り

財布が小銭で一杯になり、重いわ嵩張るわで鬱陶しい思いをすることがある。400円分のお釣りを全て10円玉でもらった経験もある(笑)。次の買い物で使い切ろうとしても僅かに足りなかったり、釣銭がキリの良い額になる計算がレジでいざとなると出来なかったりする。

消費税増税に伴うポイント還元施策への対応もあるのだろう、某中華料理チェーンをはじめキャッシュレス決済の店が増えたものの、よく行く店の中にはまだ現金のみというところも少なくない。消費税が10%になっても10円単位の商品には相変わらず1円単位で消費税がかかるわけで、今月以降も小銭問題はなかなか解消されることはない。

ところが、先日ふとしたことからこの問題をスッキリ解決する手段を発見した。たまった小銭は丸ごと銀行に預金してしまえばいいのである。何も窓口まで行く必要はない(ヘンな客扱いされるのがオチだ)。硬貨を受け入れるATMにジャラジャラと投入するだけでよいのだ。

既に知っている人にとっては「何を今さら」だろうが、恥ずかしながら60年も生きてきて今の今までこのことに気がつかなかった。これまでのストレスと計算の手間は一体何だったのかという思いをこめた本記事のタイトルは、もちろんベートーヴェンの名曲(迷曲?)をもじったものである。

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2019/10/05

『セブン・イヤーズ・イン・チベット』

Sevenyears1997年、米・英。ブラッド・ピット主演。アマゾンの紹介文。

1939年秋、ナチス統制下のオーストリア。有名な登山家ハインリヒ・ハラー(ブラッド・ピット)は世界最高峰の制覇を目指し、ヒマラヤ山脈の最高峰、ナンガ・パルバットを目指して旅立った。だが、第二次世界大戦の勃発により、イギリス植民地のインドで捕らえられ、戦犯の捕虜収容所に送られイギリス軍の捕虜となってしまう。
収容所での生活も2年を超えた1942年9月。同じく捕虜となった登山仲間とともに収容所を脱出し、そこからヒマラヤ山脈を越える決死の脱出。幾多の危機を乗り越え辿り着いたのは外国人にとって禁断の地であるチベットだった。そして、ハラーは若き宗教指導者ダライ・ラマと出会うことに。
実在したオーストリアの世界的登山家ハインリヒ・ハラーの原作を映画化したストーリー。(引用終わり)

退院後は音楽とオペラ三昧の日々だったが、たまには気分を変えて映画を観てみた。ヒマラヤ最高峰の登山や収容所からの逃走など、手に汗握るシーンが続く前半から一転、後半では西洋人はおろか同じアジアの日本人にとってすら別世界のようなチベットでの生活や、ダライ・ラマとの出会いと交流、そして別れが、美しい映像とそれに溶け込むような音楽(チェロ独奏はヨーヨー・マ)によって描かれている。

我が子の誕生を待たずに登山に出発するような身勝手な男だったハインリヒだが、幾多の危機を乗り越えるたびに、さらにはチベットの異文化やダライ・ラマとの交流を通して、人間的に成熟していく過程が窺える。その心の支えとなったのが未だ見ぬ息子の存在で、物語の節目節目でハインリヒが息子への思いを綴った手記が朗読される。

にもかかわらず、本国の妻からは離婚届が送られてきて、息子からは「父親でない人からの手紙は欲しくありません」と拒絶されてしまう。むしろ、ダライ・ラマとの交流が深まる中で父性に目覚めていったのかもしれないが、ダライ・ラマはそれを敏感に見抜いていた。彼はハインリヒに次のように言って、本当の息子に会いに戻るべきだと諭す。図星を指されたハインリヒは思わず嗚咽する。ダライ・ラマがただの子供ではないと痛感させられるシーンだ。

私はあなたの息子でなく
あなたを父と思ったこともない
父親なら気軽に話せない

(息子のことがずっと心にあるなら)
帰国して彼の父になるべきだ
私との仕事はもう終わった

蛇足ながら、ハインリヒの手記や手紙などは全てドイツ語で書かれていたのに、取り戻した友人ペーターの時計に添えたメモが英語で書かれているのはなぜだろう。ダライ・ラマや高官などチベット人とは英語で話しているようなので、ハインリヒは英語も堪能らしいけれど、ドイツ人であるペーターへのメモはドイツ語で書くのが自然ではないか。

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2019/10/02

歌劇「仮面舞踏会」

Maschera ヴェルディ23作目のオペラ。18世紀スウェーデンの専制君主グスターヴォ3世が、仮面舞踏会の席上アンカーストレム伯爵に暗殺された事件に題材を取りながら、伯爵は国王の最も忠実な側近である一方、その妻アメリアは国王との秘められた恋に苦しむなど、史実にない設定を交えた「3幕のメロドランマ」(原作のサブタイトル)に仕立てられている。

当時のイタリアでは当局による検閲が厳しかったことから、舞台を17世紀末、イギリスの植民地ボストンに移し、登場人物の名前も変えるなどの改訂を加えて初演に漕ぎつけ、大成功を収めたということだが、現在ではオリジナル版で上演されることも多く、今回鑑賞した1991年収録のメトロポリタンオペラ公演も同様である。演出、装置、衣装はピエロ・ファッジョーニ。ヤマ場となる最後の舞踏会シーンはため息が出るほど美しく、幕が開いた瞬間に聴衆から拍手が起きるほどだ。

「リゴレット」や「イル・トロヴァトーレ」などと比べると、ストーリーは比較的単純で分かりやすい。道ならぬ恋に落ちた国王とアメリアの苦悩はいかにも人間らしく、その悲劇的な結末に十分感情移入できる真っ当な「メロドラマ」であるとも言える。国王役のパヴァロッティ、伯爵役のレオ・ヌッチはいずれもさすがの貫禄を見せていて、迫力ある歌唱のみならず、表情の変化やちょっとした仕草による演技も大変こまやかである。舞台ではオペラグラスがないと分かりづらいが、DVDではアップでしっかり確認できる。

ところで、本作はこのブログ開始早々の2005年4月、ボストンマラソンを走る前にMETの同じプロダクションを鑑賞していた。その予習として購入したのがこのDVDというわけだが、その時2回も観ていたのに、ストーリーの大半を忘れてしまっていた。(泣)

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2019/09/29

歌劇「シモン・ボッカネグラ」

ヴェルディ21作目のオペラ。1857年に初演されたが大失敗に終わる。作品に愛着を持っていたヴェルディは改訂上演の機会を探っていたが、24年後の1881年に大幅改訂されてミラノ・スカラ座で初演、大喝采を浴びた。

シモン・ボッカネグラは、14世紀イタリアのジェノヴァ共和国初代総督に就任した実在の人物である。平民派出身の彼を主人公として、対立関係にある貴族派との確執を軸に、そのさなかで翻弄される男女や親子の情愛、復讐と呪い、誘拐や毒薬による暗殺などが混然一体となって繰り広げられる。これまで観てきたヴェルディオペラの要素を全てテンコ盛りにしたようなストーリーで、同じ原作者による「イル・トロヴァトーレ」と同様、いやそれ以上の作り物くささ、ハチャメチャさである。

しかし、不思議なことに観ていて白けるどころか、最後まで心を掴まれたように引き込まれてしまったのだ。これはひとえにヴェルディの音楽の迫力と巧みさによるものだろう。「え、なんでそんな展開になるの?」と突き放す余裕すら与えないというのだろうか。後で考えるとあまり合理的とは言えない登場人物たちの行動や心情に、まんまとシンクロさせられてしまっているのだ。

と、ここまで書いてきて、これは「オレオレ詐欺」の手口と同じだと思った。犯人側が設定したストーリーは事実無根、全く信用するに値しないものであるにもかかわらず、電話をかけてきた人物の迫真の演技そのものに被害者は引き込まれてしまい、その内容に少々不合理な点があってもそれが見えなくなってしまうのだ。

ということは、この手の詐欺には絶対に引っ掛からない自信を持っていた自分も、下手をすると被害者になる可能性がゼロではないということになる。まさかオペラを観て「詐欺には注意しよう」と思うことになるとは。(笑)

なお、今回視聴したのは2010年のメトロポリタンオペラ公演。まだバリトンに転向したばかりのプラシド・ドミンゴ、指揮を務めたジェイムズ・レヴァインともども、スキャンダルを起こしてMETから追放されてしまったのは残念だが、彼らの芸術は記録として長く生き続けることだろう。

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2019/09/26

ベートーヴェン チェロソナタ全集

Uccd2141_20190926082501「全集」と言っても全部で5曲しかないのだが、内容的には「チェロの新約聖書」(「旧約」はもちろんバッハの無伴奏)と称されるほどの深みと多彩さを有している。ピアノソナタや弦楽四重奏曲と同様、作曲時期が初期、中期、後期と分散していて、それぞれの特徴を反映しているのも興味深い。

作品5の第1番と第2番は、いずれも序奏を持つ長大な第1楽章と、軽快なロンドによる第2楽章という特異な構成で、まだピアノが主役でヴァイオリンやチェロはオブリガート(助奏)的な色彩が強かった当時のソナタの様式を残すものの、生き生きした楽想や意表を突く展開に早くも作曲者の特質が現れている。

第3番作品69はいわゆる「傑作の森」の時期の作品だけに大変充実した内容を持ち、朗々としたメロディで開始される第1楽章、スケルツォの第2楽章、序奏のついたアレグロ・ヴィヴァーチェの第3楽章というオーソドックスな構成の中に、いかにもベートーヴェンという快活で躍動的な楽想が展開される。

一転して作品102の第4番、第5番は、作曲者晩年の特徴である自由な楽章構成、個人的な独白のような緩徐部分、フーガによる緊密な構築美などがみられ、後期のピアノソナタに相通じるものがある。

今回聴いたCDは、ロストロポーヴィチとリヒテルが共に壮年期の1960年代初頭に録音した名盤の誉れ高いもので、剛毅にして男性的な、気迫に満ちたベートーヴェン演奏である。ジャケットからしていかにも男性的な画で、面相や頭頂部の具合から、両者はまるで兄弟のように見える。(笑)

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2019/09/23

奈良街道を歩く その3(小倉~三条)

18日は近鉄小倉駅前から京阪三条駅前まで14キロ強を歩いた。今回はほとんど都市部のため、至るところにコンビニ、商店、鉄道駅があり、全く不自由することはなかった。

スタートして間もなく、街道に面してお茶の小山園のディスプレーがあり、本社はこの奥というので思わず誘われて行ってみた。本社併設の売店で煎茶を購入したが、試飲させてもらったお茶がいまいちだったので、あまり期待しない方がいいかも。

古い街並みを行くと、右手に巨椋(おぐら)神社がいかにも由緒ありげな佇まいを見せている。

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この先、街道は大きく左に曲がり、府道69号を越えたところから登りとなる。登り切ると両側より数メートル高くなった道筋が続き、太閤堤(小倉堤)の南端部分に当たっているようだ。堤防道はこの先で削平されて一旦途切れるが、近鉄向島駅手前にも当時の堤防跡を残す場所がある。写真中央が堤防上の街道で、脇には樹齢250年以上というムクノキの大木が聳える。

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向島駅を越えて宇治川に近づくと、風情のある街道筋が残っている。写真では表現できないが、ここでも街道は周囲より数メートル高くなっている。中二階の民家は梯子型のむしこ窓が特徴らしい。

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観月橋を渡ると、伏見宿エリアに入る。

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京阪伏見桃山駅手前の団地内に伏見奉行所跡がある。江戸時代、幕府直轄領だった伏見の奉行職は、遠国奉行としては上席に位置し、旗本よりも大名が任じられることが多かったという。また、この地は慶応4年の鳥羽伏見の戦いの舞台ともなった。

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この先は伏見街道京町通となって、ほぼ平坦な道路が延々と続く。近鉄京都線を越え国道24号を横断する辺りから、以前走った京街道のルートと重複する。右折して京阪墨染駅東側で左折、その先から直違橋(すじかいばし)通となって、これまた真っ直ぐな道が延々と続く。

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京から数えて4番目の橋「四ノ橋」を渡る。親柱に「伏水街道第四橋」とあるが、伏見は古くは「伏水」とも表記されていた。良質な地下水に恵まれ、酒造りに適した土地であることが地名からも分かる。

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名神高速の高架を潜ると、右手に京都聖母学院のレンガ造りの校舎が見える。元陸軍第16師団司令本部だった建物で、疎水を挟んでひとつ西側の大通りは師団街道と呼ばれている。

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JR奈良線の踏切を渡ると稲荷駅で、旧東海道本線時代の最後の遺構である明治13年築のランプ小屋が残る。伏見稲荷は外国人旅行客の人気スポットで、周辺は外国人で溢れ返っていた。

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駅から離れるにつれ、街道は静けさを取り戻し、伏見人形の名店「丹嘉」を訪れる人も今は少ないようだが、そのうち外国人が押し寄せるときが来るかもしれない。

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この辺りから街道は本町通となり、五条通まで続いている。資料によっては伏見街道起点の五条通をもって奈良街道の起点としているが、折角の機会なのでさらに大和大路通を北上して三条まで歩き、旧東海道の終点と接続させて3日間の行程を終えた。

街道「歩き」は今回初めての経験だった。「かったるい」と感じることもあったが、走っていては気づかない遺物や風景もあり、これはこれで面白いことが分かった。また機会があれば出かけてみたい。

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2019/09/20

奈良街道を歩く その2(棚倉~小倉)

16日はJR棚倉駅前から近鉄小倉駅前までの約15キロを歩いた。途中、かつての玉水宿、長池宿を通過するが、長池までは長閑な田園地帯を行く単調な道が続き、名所旧跡などほとんどない区間である。図書館で借りたガイドブックでは、玉水-長池間はJRで移動というコース設定がなされている。

棚倉駅前をスタート。いかにも旧街道という、うねるように蛇行する道を進む。

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間もなく不動川を渡るが、橋で越えるのではなく、トンネルで潜る。この辺りに多い天井川のひとつで、トンネルの高さは1.6メートルと表示されている。身長167センチの自分でも頭を打つと思ったが、何とか屈まずに歩き通すことが出来た。実際は1.7メートル近くあるのを、余裕をみて切捨てて表示してあるのだろう。

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JR玉水駅付近では、線路が川の下を通っている。

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かつて玉水宿の中心部だったと思われる辻に、天保年間創業という料亭「八百忠」が現在も営業中である(左側の板塀の建物)。また、右手の電柱の左には、付近の史蹟名勝などを案内した道標が建つ。これも三宅安兵衛氏の遺志で建立されたものである。

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この先、長池までの間も歩き通したが、わずかにコンビニが1軒あるだけで、民家と田畑、学校以外本当に何もなかった。ようやく辿り着いた長池宿の中心部にある元旅籠の和菓子店「松屋」でひと休み。店内には旅籠当時の宿帳や引き札(今日の宣伝チラシ)などが展示してあった。

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集落の西端には「是北京都街道 南奈良街道」などと刻む道標が建つ。これまた三宅安兵衛氏である。なお、「京都五里 奈良四里半」とあるように、長池宿は奈良と京都のほぼ中間点に位置しており、「五里五里の里」と呼ばれていた。

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ここで一旦国道24号に合流し、城陽新池の先でまた旧道に分岐する。久津川付近、街道のすぐ東側に車塚古墳、丸塚古墳が往時の姿をとどめている。

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近鉄大久保駅を過ぎた広野町辺りに「宇治屋の辻」があり、これは宇治、六地蔵を経由する古い奈良街道との分岐点に当たる。「右うぢミち 左なら道」などと刻む道標は、平成9年交通災害で破損したものを、翌年に近隣町内会が再建したとの説明がある。

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近鉄小倉駅前で2日目の行程を終了。折角宇治まで来たので、駅前の吉田銘茶園で少し値の張る煎茶を土産に買い、帰路に就いた。

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2019/09/17

奈良街道を歩く その1(奈良~棚倉)

記事カテゴリーは便宜上「街道走り」としたが、今は「歩く」しかない。体力的にはまだ十分走れるけれども、長時間ストーマに衝撃を与え続けるのが不安だからだ。

今回は奈良から京都に至る奈良街道(大和街道)約40キロを3日間に分けて歩く。往時は途中に木津、玉水、長池、伏見の4宿が置かれていた。ルートは複数ある。かつて京都盆地南部にあった巨椋池が交通の大きな支障となり、古くは六地蔵、宇治方面に迂回していたが(現在のJR奈良線ルート)、秀吉時代に巨椋池を渡る太閤堤が築かれて最短ルートが整備された(現在の近鉄京都線ルート)。今回行くのは後者である。

また、木津川に沿った区間は江戸時代中後期には木津川右岸の土手を行くことが多かったようで、いつも参照している明治末期の地形図でも土手道を奈良街道としている。しかし、あまりに単調で面白味に欠ける上、トイレやコンビニ等もないことから、今回は古くからの集落を抜ける山背(やましろ)古道を通ることにした。

まだ残暑の残る14日午前、近鉄奈良駅前を出発。東向商店街を抜け、三条通に突き当たると以前走った伊勢本街道に一旦合流する。猿沢池から興福寺境内を抜けて大宮通に出て県庁前を東に進むと、今年4月に約45億円をかけて整備されたバスターミナルがある。観光バスによる渋滞の緩和が目的であるが、使い勝手が悪くて利用は想定の半分以下にとどまっているという。この日も3連休初日というのに、広い構内は人気もなく閑散としていた。

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ここを左折して一路北上し、転害門前を経て今在家交差点で旧道に分岐する。佐保川に架かるこの橋の土台は慶安3年(1650)のものだそうだ。

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ここから奈良坂の登りとなり、途中で振り返ると東大寺など奈良市内の風景が望める。

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坂を登り切り、般若寺の先の植村牧場で名物ソフトクリームを食べながら牛たちを眺めて一息入れる。ラン仲間と何度か来たことがあるが、牛舎の屋根の上に牛がいることに、これまで気づいていなかった。フランスの作曲家ダリウス・ミヨーも多分これを見たのだろう。(謎爆)

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この先、奈良豆比古(つひこ)神社の先の辻に弘化4年の道標が建ち、「すぐ京うぢ道 右いがいせ道」などと刻む。

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やがて県道に合流したのち京都府木津川市に入り、州見台(くにみだい)住宅地の中を進む。JR奈良線と国道24号を越えて木津宿エリアに入ると、街道らしい風情が残っている。

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木津川に突き当たる手前のとある寺の境内に和泉式部の墓がある。彼女は木津の生まれで、余生もここで過ごしたという伝承があるものの、それを裏付ける資料はなく、和泉式部の墓と称するものは全国各地にあるそうだ。

 

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かつてはこの付近に木津川を渡る泉橋が架かっていたが、現在は少し上流側にある国道24号の泉大橋を渡る。

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対岸の旧泉橋の袂と思しき付近に「西京都街道 東笠置山伊賀上野街道」などと刻む道標が残っている。裏面に「□□年春稟京都三宅安兵衛遺志建之」とあり、幕末から明治期の商人三宅安兵衛の遺志を稟けて、その子息が京都各地に建立した多数の道標のひとつと知れる。

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この先は茶問屋が並ぶ地区であるが、土曜で休みなのか茶の香りが漂うという風情はなく、通りも閑散としていた。国道24号を渡ったJR上狛(かみこま)駅付近に環濠集落が残る。濠を渡る橋が危なげな駐車スペースになっている。

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この先は集落の中を縫うように狭い道が蛇行しながら進み、いかにも古道の風情が感じられる。

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この日はJR棚倉駅前までの約12キロで終了。奈良まで電車で戻ると僅か18分だった。

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