2019/08/24

モーツァルトのピアノ協奏曲全集

Concertos_20190823085201「作曲家には4つの種類の人々がいます。面白くない作曲家。面白い作曲家。偉大な作曲家。そしてモーツァルト。モーツァルトは誰にも比すことができない」

バレンボイムがあるインタビューの中で語った言葉である(朝日新聞2015年12月9日)。けだし至言である。私見では面白い作曲家は数十人、偉大な作曲家も10人はいると思うが、モーツァルトだけは別格、唯一無二の存在である。

そのモーツァルトのピアノ協奏曲は、もともと作曲者自身が独奏と指揮を兼ねて演奏する(弾き振りという)ために作曲されたもので、今日でもそのスタイルで演奏するピアニストは少なくないが、早くも1970年前後にイギリス室内管弦楽団とその形での全曲録音をなし遂げたのがバレンボイムである。これが私の愛聴盤であることは以前にも書いた。

しかし、折角全集盤を持っていながら、これまでは適当に摘み聴きする程度で、全曲を通して聴いたことはなかった。バレンボイムのファンとしてこのまま終わってはならじと、第1番から第27番まで、全集盤には含まれない2台ピアノと3台ピアノのための2曲を除く全25曲を通して聴いてみた。

「二刀流」などと器用さを持て囃すレベルを超えて、ピアニストとしても指揮者としても超一流のバレンボイムだけがなし得た、歴史的な名盤と言って過言ではない。ピアノソロのダイナミクスや音色、タッチは千変万化しながら、しかも本来そうあるべしという自然さで聴こえてくる。ピアニシモでの微細なニュアンスは息を呑むほど美しい。

最初期の第1番から第4番までは他の作曲家の作品を編曲した、いわゆる「パスティーシュ」であって、モーツァルト自身の作品としては第5番ニ長調K175が実質的な第1番ということになるが、まだザルツブルク時代の17歳の若書きにもかかわらず、既にモーツァルトの特質が明確に現れている。

ここから始まった彼のピアノ協奏曲は、ウィーンに移り住んだのちの第11番からはさらに円熟味を増し、その創作は晩年まで連綿と続けられていった。急緩急3楽章からなる古典協奏曲の形式を踏まえながら随所に革新的な試みを交え、それでいて全体としては「どこを切ってもモーツァルト」という奇跡のような音楽ばかりである。

とりわけ第20番ニ短調K466と第27番変ロ長調K595の2曲は芸術性が高く、特に最期の年に作曲された後者は、同じ時期のクラリネット協奏曲などと同様、メロディ、リズム、和声いずれも必要最小限の簡明な構成ながら、聴こえてくる音楽は清澄にして深遠であり、枯淡とも言える境地に達している。バレンボイムの演奏を聴いていると、もし「神の音楽」というものがあるとするなら、こういう音楽かもしれないと思うのである。

冒頭のインタビューはこう続いている。

「全ての音が当たり前のようにそこにある。いつ演奏しても、すべてのフレーズが、その瞬間に生まれたかのように響く」

| | コメント (0)

2019/08/22

肝転移再発

ここに書くべきかどうか迷っていたが、実は退院直前のCT検査で肝臓に転移していることが判明していた。手術直前の検査では何もなかった複数の場所に新たな結節が出現していて、医師の話ではこれほど短期間に現れるのは珍しいという。手術前の時点では画像に映らなかったけれども、既に転移していた可能性がある。

いずれにしても、大変厳しい状況になったのは間違いない。「転移性肝癌」でネット検索してみると、5年生存率が30%から50%などというデータが出てくる。もちろん、年齢や生活習慣、体力、既往症など千差万別の患者を母集団とした、それも少し以前のデータだから、今の私自身にそのまま当てはまるわけではないのかもしれない。

しかし、最悪の場合は数年以内に死亡することもあり得ると考えておかなければならない。前回、前々回の音楽ネタ記事は、そういう認識をもとに書いたものであり、「あと何年聴けるか」というのは、決して大袈裟な表現ではない。

すぐに手術するという選択肢もなくはなかったが、また新たな結節が出てくる可能性があり、そのたびに何度もお腹を切るわけにはいかないので、当面は抗癌剤で全体的に叩いた上で経過を観察し、適当な時期に外科手術に踏み切るという方針で臨むこととなった。

9日から抗癌剤治療が開始され、初日は点滴投与をした上で、念のため4日間入院し、その後は自宅で服薬を続けている。冷たいものに触れると指先が痛かったり、下痢の症状で脱水気味になったりしたが、それ以外特に目立った副作用はなく経過している。

3週間で1サイクルの治療を8サイクル、約半年間に亘って続けることになる。あとになるほど副作用が重くなって、途中でギブアップするケースが多いというけれども、出来るだけ最後まで頑張りたいと思っている。既に覚悟は出来ているつもりだが、まだ決して諦めたわけではないのだ。

| | コメント (6)

2019/08/19

歌劇「タンホイザー」

長年クラシックファンの自分であるが、ことオペラに関してはこれまで敬遠がちというか、あまり馴染めないまま過ごしてきた。ひとつには長大な作品が多いため、まとまった時間と心の準備が必要なこと。さらに、主にイタリア語やドイツ語など原語で上演されるため、歌詞対訳や字幕を追いかける必要があるのが煩わしい。約25年前のアメリカ滞在時にはメトロポリタンオペラ(MET)にかなりの回数通ったものだが、当時は現在のような字幕装置もなく、歌詞も分からないままオペラの雰囲気だけを味わう程度だった。

ただ、当時METの売店で買い求めたオペラのVHSビデオだとか、最近WOWOWで放映されたMETライブビューイングなどを録画したオペラのDVD・BDがうちに相当数ある。これまで観る機会はほとんどなく、老後になって時間が十分できたときの愉しみというか、死ぬまでにはいずれ鑑賞する機会が訪れるだろうと考えていた。

ところが、今回の病気が最悪の経過を辿った場合、近い将来それが現実のものとなる可能性が出てきた。自宅で一応普通に過ごせている今のうちから、順次観ておくに越したことはないと思い立ち、とりあえず序曲などで多少馴染みのある「タンホイザー」から手を付けることにした。手元にはシノーポリ指揮による1989年バイロイト音楽祭公演を収録したVHSビデオ(英語字幕)と、レヴァイン指揮による2015年MET公演のBDの2種類があり、順番に観てみた。

前者はいかにも「本家」バイロイトらしく、必要最小限の装置だけにとどめた、ほとんどモノトーンのシンプルな舞台は、ワーグナーの音楽を聴かせるためという目的を明確に示している。オーケストラや合唱の力量の高さも相俟って、音楽作品としての完成度は極めて高い。ただ、英語字幕には見慣れない単語や古語(?)が頻出し、たびたび一時停止して辞書で確認するなど苦労した。

それに比べて、後者はいかにもMETらしい絢爛豪華な舞台で、カメラワークも変化に富み、娯楽作品といって悪ければ、総合芸術としての完成度は高い。独唱者はもちろん、オケや合唱も四半世紀前に比べれば格段の進歩が窺え、何よりも日本語字幕付きなので筋書きを追うのがラクだ。

作品は異教の女神ヴェーヌスに魅入られ、愛欲の日々を送っていた主人公タンホイザー(劇中ではハインリッヒ)が改悛し、カトリック信仰に救いを求めようと巡礼に旅立つも、ローマ法王から拒絶されて絶望の淵に陥るが、恋人エリーザベトの命がけの祈りによって死後の救いを得るという物語。ワーグナーお得意の聖女の自己犠牲ものではあるが、愛欲を謳歌する異教神と厳格なカトリック信仰との二項対立といった、一筋縄ではいかないところがミソだろう。

せっかく邪宗から目覚め、長い巡礼の旅をしたタンホイザーが救われなかったというのは、カトリック信仰の力をもってしても異教神を排除できなかったということだし、一方のエリーザベトにしたところで、神の言葉を代弁する天使という設定でありながら、第3幕では次のような衝撃の告白をしているのだ。

かつて罪深い欲望が芽生えた時 
私はもだえ苦しみました
心の中の欲望を押し殺すために

信仰に救いを求めようとする心も、また愛欲に支配される人間の業の深さも、どちらも紛う方なき人間の真実であることを、このオペラは示しているのではないか。

| | コメント (0)

2019/08/16

CDプレーヤーを買い替え

闘病ネタ続きになったので、少し目先を変えて音楽ネタをひとつ。

退院してから専らの楽しみは、食べることと音楽を聴くこと(笑)。とりわけ、1か月以上ちゃんとした環境で音楽を聴いてなかった反動と、最悪の場合あと何年聴けるか分からないという状況から、大袈裟に言えば一期一会のような覚悟で音楽を聴く日々を送っている。

皮肉なもので、そういうときに限って不具合が生じるもので、前にアンプを修理したときに書いた「タイマー」がついに作動したのか、ソニーのCDプレーヤーがとうとう故障してしまった。再生音に特に異常はないのだが、70分を超えるようなディスクの最後の方になると、アナログディスクの「針とび」のような現象が発生するのだ。別のCDコンポでは起きないので、CDソフトの不良ではなくプレーヤー側のトラッキングサーボ不良が原因なのは間違いない。

中島平太郎著『CDオーディオ談義』によれば、CDの音溝をトレースするというのは、スケールを10万倍した直径12キロメートルのディスクで言えば、「両脇にガードレールなしの幅5メートルの道路を、秒速1万2千キロで突っ走ることになる。全行程は5千万キロ。地球から月まで65往復を1時間余のドライブでこなす。しかも、道は左右に幅700メートルぐらいで揺れていて、これを毎秒十数回ハンドルを切り続けながら走るのである」とある(一部表記を修正)。そういう制御を30年近くこなしていれば、どこかにガタがきてもおかしくないし、ディスクのどこかでエラーが出るということは、それがない箇所でも再生音に何らかの影響を及ぼしている可能性がある。

ということで、この際思い切って買い替えることにし、以前から決めていたアキュフェーズDP-430という機種を早速発注した。SACD非対応とか、ハイレゾ音源再生可能とか、そういうことは自分にはどうでもいい。手持ちのCDがきちんと再生されれば十分であり、それに足る性能は備えていると評価される製品である。

Dp430

デザイン的にも大変美しい。何より、トレイ開閉のスムーズさからしてクォリティの高さを物語る。前のソニーで時々気になったシュルシュルというディスクの回転音も皆無である。これは、音楽に集中する上でとても大事なことなのである。

肝心の再生音については、まだエージングが十分でないため確たることは言えないが、第一印象としてとても密度の濃い、緻密な音であることは疑いない。それは空間と時間、両方の意味においてであり、左右のスピーカーの間に形成される音場が隙間なく埋め尽くされ、かつ、音が減衰する過程が忠実に表現されている。とくにピアノが打鍵され減衰していく音が、完全に一体のものとして再現される。管弦楽のトゥッティでも、個々の楽器の音の足し算ではなく、音場全体が一体のものとして聴き手に迫ってくる印象で、これまでとは明らかに次元の異なる再生音である。

「あと何年聴けるか」などと言いながら、思い切った買い物をしてしまったが、十分にモトは取って見せるつもりだ。(笑)

 

| | コメント (5)

2019/08/13

退院まで

退院は7月26日。実に36日間、病院から一歩も出ない日々が続いた。入院後に始まった梅雨が、退院したときにはもう明けていた。

といっても、再手術から退院までは単調なルーティンの繰り返しで、詳細に書くほどの内容はない。治療に関しては、随時抗生剤で炎症を抑えながら、体調が回復するにつれて下半身に何本も繋がれていたパイプ類が順次外され、ゆっくりとではあるが次第に普通の人間の生活へと戻っていった。

それに伴うリハビリも、当初は廊下を歩くだけだったのが、リハビリルームでバイクを漕いだり、筋トレのような運動をしてみたりと、徐々に負荷を増していった。私の場合、「途中からはリハビリの域を出て、トレーニングに近くなっている」とは、ついてくれた理学療法士の弁である。(笑)

食事も最初は流動食がやっとという状態から始まって、次第に普通食へと移行していったが、いかんせん病院食のこと質量とも満足できるものではない。副食(おかず)の不足を主食(米)で補うような食事内容は、普段の自分の食事とは正反対で、何とか毎日完食しているのに、体重がなかなか元に戻らず、入院前より5キロ以上も減った状態が続いた。

生活面では、持ち込んだ本やウォークマンのおかげでさほど退屈せずに済んだが、狭い病室にずっと籠っているのはさすがに気が滅入る。そんな中、家内がただ1日を除いて毎日来てくれたのは有難かったし、他の家族も何度か顔を見に立ち寄ってくれた。ラン仲間2人がわざわざ見舞いに来てくれたのは本当に嬉しかった。

そう言えば、入院期間中に参議院選挙があり、不在者投票という貴重な体験をすることが出来た。これは期日前投票とは異なり、名簿登録地以外や指定病院等で投票できるというもので、予め選挙管理委員会に投票用紙を請求しておく必要がある。当日は病院の談話室が臨時投票所となり、病院職員立ち合いのもと記入した投票用紙は、二重の封筒に封緘された上で選挙管理委員会に戻される。ただ、この投票用紙の請求、交付の際には投票所入場券のみならず、免許証や保険証など本人確認書類も一切必要なく、「なりすまし」投票が簡単に出来そうに思えた。

抗癌剤治療に伴う短期入院は昨日終了。これについてはまた改めて。

| | コメント (0)

2019/08/09

緊急再手術

翌日には鼻から胃に通していたカテーテルが抜かれ、エコノミー症候群防止のため周期的に下肢を圧迫するポンプが取り外されたが、まだ全身にチューブが繋がっている。そんな状態でも早速リハビリが開始され、初日からもう立ち上がって歩き、廊下に出て帰ってくるところまで実行した。ただ、食事の方はまだ栄養ドリンク1本だけである。

翌々日になると黄疸の症状が現れ、ひとまず抗生剤の点滴が投与された。手術中に残留していた便が、縫合部から腹腔内に漏れ出した可能性があるとのことだった。リハビリは早くも病棟の廊下を1周歩くところまでいった。また、手術直後は緊急時にすぐ対応できるよう、ナースステーションと繋がった特別室に収容されていたが、この日の午後から個室に移動した。ちなみに、D病院では患者からの相部屋、個室の希望は受けず、医療上の判断のみで部屋を割り当てている。その代わり、個室料金を取らないというポリシーなので、年金生活者にはありがたい。

手術から3日後の27日午前3時過ぎ、腹部の耐え難い痛みに見舞われ、堪らずナースコールのボタンを押した。とりあえず氷枕をしただけで暫く放置されていたけれど、その間放射線医師を緊急で呼び出し、CT撮影に備えていたようだ。七転八倒呻吟しながら何とかCT撮影を済ませたが、直後に少し嘔吐してしまった。

検査結果を踏まえ、当直の医師が胃にカテーテルを入れて内容物を吸い出してくれ、ようやく楽になった。腸の動きが止まっているため、胃の方に向けて内容物が逆流していたのが原因だったのだ。その後、朝になって主治医のY先生が来られ、腹腔内に漏れ出した便により腹膜炎を起こしていて、そのために腸の動きが止まっていることから、緊急に再手術して腹腔内を洗浄する方針が伝えられた。

看護師が自宅に電話して家内が呼ばれ、二人でY先生から手術内容の説明を受けたあと、正午前から再び全身麻酔下で、今度は開腹による手術が約3時間にわたって行われた。後で聞くと、生理食塩水を19リットルも注ぎ込んで、腹の中を洗浄したとのことである。それによって状態は一気に改善したが、今後縫合部の修復が自然に行われるのかという不安が残るとともに、腹腔内に残った雑菌とこれによる膿が排出されるまで数週間を要し、それだけ入院期間が延びる結果となった。

本日から抗癌剤治療のため短期の再入院となった。次回更新まで少々お待ちを。

| | コメント (2)

2019/08/07

手術

6月21日に入院。24日の手術に向けて、主治医や麻酔科医師、手術室と病棟の各看護師から詳細な事前説明があった。ストーマ(人工肛門)を造設する下腹部の箇所に、マジックで印をつける作業もあった。回腸(右側)に造設する予定だけれど、最悪肛門が温存できない場合は結腸ストーマ(左側)に変更となるので、左右2つのマークがつけられた。

手術日が近づくにつれ、食事内容が次第に流動食へと変わり、次第に空腹感が増してきた。前日の昼食が手術前最後の食事となり、午後3時に下剤を服用するよう指示があった。しかし、その後就寝前になってもお通じはなく、当直の看護師に思い切って相談してみたが、心配ないの一言で片づけられてしまった。しかし、これが後に緊急再手術に繋がることになるとは予想もつかなかった。黙って市販の浣腸薬でも使えば良かったかもしれないが、入院していて勝手なマネは出来ない。

手術は24日午前9時開始。手術室は意外に狭く、様々な機械に囲まれた手術台も予想外に小さなものだった。BGMは有線放送のチャンネルから予めリクエストさせてくれ、希望どおり室内楽中心のクラシックが静かに流れている。点滴や麻酔のチューブ、酸素マスク、心電図などが取り付けられ、「タイムアウト」と称する関係者一同の最終確認を経て、いよいよ手術開始である。

といっても、マスク経由で入ってくる麻酔薬がすぐに効いて、本人は完全に意識がない状態に陥る。目が覚めた時にはもう手術は終わっているのである。古市を発車したばかりと思っていたのに、目が覚めたら壺阪山駅まで乗り過ごしていた、という感じである(笑)。しかし、その間、実際には10時間もの時間が経過していた。術前の説明では8時間程度と聞かされていたが、いざ取り掛かろうとしたら大量の便が腸内に残留していて、まずそれを処置するのに余分な時間がかかったそうである。

執刀する主治医ほかのスタッフは長時間さぞ大変だったと思うが、控室で待機する家族もまた大変だったに違いない。ただ、D病院ではソファやTV、冷蔵庫等を備えた専用の家族控室が用意されていて、プライバシーが保たれた中で過ごすことが出来る。また、手術終了まで何の説明もないというケースも珍しくないそうだが、スタッフが何度か控室に足を運んで、家族に途中経過を報告してくれたそうだ。

意識が回復してまず最初に気になったのは、予定どおり肛門が温存された状態で直腸の摘出と吻合がなされ、回腸にストーマが造設されているかどうかだった。「どっち?」との問いに、家族から「右(回腸側)だよ」と返事があった。それでひとまず安心したのか、すぐにまた深い眠りに落ちてしまった。

| | コメント (0)

2019/08/04

受診から入院まで

受診を決心したのが5月21日。この先は最悪もう二度と走れないことも予想されたので、前々から計画していた野上電鉄廃線ランを23日に決行。週明けで混雑が予想される月曜を避け、5月28日火曜日午前、大腸専門病院として県内では有名なD病院を受診した。外来フロアの約半分が大腸肛門科で占められるという特化ぶりである。

しかし、大腸肛門科はこの日も満員御礼の大賑わいで、予約も紹介もなしに飛び込んだ自分に順番が回ってきたのは、かれこれ夕方近くになっていた。まず浣腸薬を肛門から入れて排便した後、医師が肛門から指を入れての触診。続いて内視鏡で直腸を調べ始めて間もなく、増殖した腫瘍の塊が画面に映し出された。

これは只事でないと判断したのだろう、急遽同僚のY医師がその場に呼ばれ、2人の医師で今後の対応を協議している様子だった。検査終了後、Y医師から「これはあまり良くない種類と思われる」という説明があり、癌であることが仄めかされた。この先、様々な検査を受けてもらい、その結果を見て今後の対処方針を決めるということだった。

それからというもの、腹部造影CT、全大腸内視鏡検査、注腸レントゲン、腹部エコー、胃カメラ、下肢静脈エコー、心臓エコー、心電図と、4日間にわたり立て続けに検査を受けた。さらにD病院には設備がないため、県内T病院を紹介されてPET検査、骨盤と腹部の造影MRI検査を受けた。ちなみに、ブログ中断前最後の記事のタニタ食堂は、そのT病院の1階にテナントで入っている。中断理由のヒントのつもりだったが、そんなことをいちいち気にする人はいなかったようだ。(笑)

これらの検査結果を受けて、6月18日にY医師から今後の対処方針の説明があった。診断は下部直腸癌。ステージは3で、リンパ節への転移はあるものの、肺や肝臓など他の臓器への転移は今のところ明瞭には認められない。そのため、全身麻酔、腹腔鏡補助下による直腸摘出他の手術を行うこととし、21日入院、24日手術の日程が決定した。幸い、肛門から腫瘍まで約7センチほどの余裕があり、何とか肛門は温存することが可能で、永久人工肛門となるのは避けられる見通しということだった。

| | コメント (3)

2019/08/01

受診まで

癌が見つかったきっかけは、健康診断や人間ドックで異常があって検査を勧められたからではない。自分自身で感じていた体の異変が、もはや疑う余地がなくなった挙句に受診を決心したものだ。5月21日のことである。

今から約7年前、退職前最後の会社の健康診断で便潜血反応が出て、病院での検査を勧められていたが、当時しばしば経験した肛門からの出血のせいだと勝手に判断して、そのまま何もしないでいた。退職後は献血時の血液検査を除けば、健康診断や人間ドックは全く受けないできた。

マラソン大会から引退した後もランニングを継続し、食事内容にも十分気をつけていたので、これで病気になったら諦めるしかないという覚悟で過ごしてきた。ただ、何の根拠もないけれど、それはせめて70歳台後半以降だろうと想像していた。まさか60歳でこんな事態になるとは思いもしなかった。

最初に異変を感じたのは、昨年10月に伊勢街道を走ったときだった。走っている最中にしばしば便意を催し、コンビニ等のトイレに駆け込むものの、出るはずのものがごく少量しか、あるいは全く出ない。ガスは出るので一旦便意は収まるものの、15分から20分経つとまた同じことの繰り返しになる。

今から思えば、直腸に出来た腫瘍のため便が出にくくなっていたのだと分かるが、当時はちょっと厄介な便秘ぐらいにしか思わず、実際そのすぐ後に走った旧北陸本線廃線ランのときはそんな事態は起こらなかったし、普段のジョグや日常生活ではほとんど問題なかった。

しかし、今年春ごろからはジョグの際にもそうした現象がしばしば起こるようになり、5月に入った頃には1時間強のジョグの間に3回4回とトイレに駆け込む破目になっていた。これはいくら何でもおかしいという疑念が日に日に強まり、それが健康への根拠のない自信と、肛門や大腸を診察される抵抗感に打ち勝ったのが5月21日だったというわけだ。

ちなみに、それまでの間、整腸作用があるというビオフェルミン錠を服用してみたがあまり効果はなかった。もし、それに続いて便秘薬に手を出していたら、病院受診はずっと後になっていたに違いない。実際、手術直前に病院から下剤か便秘薬の服用を指示され、市販の便秘薬を服んでみたらある程度のお通じがあったからだ。

どうでもいいことだけれど(笑)、当ブログのアクセス数が知らない間に20万件を超えていた。

6月走行距離 50キロ
7月以降はゼロ

| | コメント (4)

2019/07/29

直腸癌

まだ生きてます。(笑)

先月中旬に標記病名が判明し、6月24日に外科手術を受けた。手術自体は成功したが、直後に腹膜炎を併発して3日後に再手術となったことから入院期間が大幅に延び、ようやくこの週末に退院することが出来た。入院した後に始まった今年の梅雨が、退院したときにはもう明けていた。

これまで手術といえば白内障の日帰り手術しか経験がなく、入院するのも人生で初めてである。何かと制約の多い不自由な生活からようやく解放されたが、残念ながらこれで目出度く快気祝いというわけにはいかない。来月上旬からは再発予防のため約半年間に亘る抗癌剤治療が始まり、癌との闘いはこれからが正念場といったところだ。肝臓へ転移する場合が多いことからアルコールは一切禁止。また、その間は一時的に造設した人工肛門による生活を余儀なくされる。

自分自身の記録のためにも、これまでの経緯や治療の経過など追々書いていきたい。ランニングブログ改め、今後は闘病ブログになりそうである。タイトルも本家(?)永井荷風と同じ『断腸亭日乗』に改めようかとも思ったが、さすがにそれはやめておこう。

| | コメント (6)

«タニタ食堂