2019/12/07

娘の新居

昨日は娘を首都圏の新居まで送り届けた。高校時代から家内が駅までの送迎を続けてきたが、今回が最後にして最長の送りとなった。奈良から箱根を東に越えて約470キロ。東海道の昔とは違い、数時間もあれば行き来できる距離ではあるが、それでもいよいよ離れ離れになるのかという実感が湧いてきた。

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当日に引越荷物が届き、その整理が待っているし、来週初めには入籍、そして転勤先への初出勤と、結婚式まで予定は目白押しである。ともあれ、新しい門出に幸あれと祈るばかりだ。疲れを溜めず、体調万全にして結婚式を迎えてほしい。おっと、自分自身も十分気を付けないといけないのだった。

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2019/12/04

大学病院に転院

闘病日記は8月以来ご無沙汰していたが、そこに書いた抗癌剤治療を5サイクル15週間継続した先月下旬にCT検査等を行った結果、肝臓に転移した癌は少なくとも拡大はしていないことが判明した。そこで、外科手術の可能性を検討するため、県下有数の規模を持つ大学病院の消化器外科に紹介状を出してもらい、肝臓癌については今後そちらで治療を受けることとなった。

大学病院での診察の結果、今のところ画像で見える癌は確かに大きくないものの、癌を疑う小さな病変が複数あること、癌の指標となる腫瘍マーカーの数値が増加傾向にあることから、現時点で手術を行っても残った部分で癌が再発(残肝再発)する可能性が高く、今後別の抗癌剤を投与して経過を見た上で、改めて手術の可能性を探るという方針となった。

主治医は極めて温和かつ紳士的な表情で説明してくれたが、客観的に考えると手術の検討が先延ばしになったということは、根治への道のりがそれだけ厳しくなったと言わざるを得ない。もちろん、現時点では次の抗癌剤が効果を発揮してくれることを祈るばかりだが、そうならなかった場合の身の振り方について、そろそろ現実味をもって考え始めないといけない年の瀬を迎えそうである。

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2019/12/01

アモルメットコア

オーディオネタは久々である。標題の商品は、8月にCDプレーヤーを買い替えた際、上新電機がサービスでつけてくれたもので、オーディオケーブルに通すだけで音質改善に効果があるという触れ込みである。上新の推薦文。

“Amormet”は本来ノイズ防止用のチョークコイルのコアに使われ、オーディオ再生で特に有害な高周波ノイズを除去するための重要なパーツです。『アモルメットコア』は、オーディオ専用に特に音質を重視して設計された、副作用がなく安心して使えるトロイダル・フィルタで、ケーブルを通すことでコモンモード用チョークコイルとなります。その効果は抜群で、高周波ノイズを取り去ることで、これだけ音質が向上することと、本来耳には聞こえない高周波ノイズが、これ程再生音に“悪さ”をしていたことに改めて驚かされました。
『アモルメットコア』の最大のメリットは、従来からあるノイズフィルタでは、例えノイズは取れても本来持っている音楽のエネルギーまで削がれてしまい、痩せた面白くない音になってしまうのが常でしたが、それらを微塵も感じさせないところが“素晴らしい”そして“画期的”と感じました。「超高周波ノイズ」対策において、今後のオーディオ再生にとっての“ターニングポイント”になりそうな予感がします。それ程にインパクトの大きな『アモルメットコア』の登場です。(引用終わり)

文系人間の自分にはチンプンカンプンであるが、要するに周辺の各種電気機器から発生する高周波が、電源系統に乗ってか空気中を伝播してか知らないけれど、オーディオ機器の再生信号を伝送するケーブルに悪影響を及ぼしていて、その影響を安全に除去するという効果があるのだろう(たぶん・笑)。

しかし、何だかちょっと胡散臭い感じもするし、暑い時期に配線作業で汗を掻くのもイヤだったので先延ばしにしていたのだけれど、気がつくともう冬本番の寒さになっていて、頃合いは良しとようやく試しにつけてみようと思い立った。CDプレーヤーとアンプの接続は末端部分の大きなXLR端子で行っていて装着不能であるため、今回はアンプとスピーカーを繋ぐケーブルに装着することにした。

実際にスピーカーケーブルに装着したところ。

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合計8本の太い銅線を外して付け直す作業が必要で、使用前後の状態を簡単に切り替えて比較試聴することが出来ないため、あくまで記憶と印象に基づく判断になるけれど、音の透明感がより増して定位感も向上し、音場の自然な広がりが明瞭になったように感じる。特筆すべきは、ピアノの打鍵音やホールの残響音などの減衰音が、音本体と完全に連続したものとして再生されることで、音楽の再生にとって非常に大事なポイントが改善したことになるだろう。

自腹を切って購入したのではなく、それによる評価バイアスは考えられないので、おそらくかなりの効果があるのは間違いないと思われる。このコイルを内蔵したXLRケーブルも発売しているようなので、CDプレーヤーとアンプの接続に用いれば更なる音質向上が期待できるかもしれない。って、またもやオーディオ無間地獄に陥りかけているし、何より上新電機の作戦にまんまと嵌ることになるなあ。(苦笑)

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2019/11/28

『ミスター・ガラス』

Glass132019年、米。ナイト・シャマラン監督作品。公式サイトの紹介文。

フィラデルフィアのある施設に3人の特殊な能力を持つ男が集められ、研究が開始された。彼らの共通点はひとつ―自分が人間を超える存在だと信じていること。不死身の肉体と悪を感知する力を持つデヴィッド(ブルース・ウィリス)、24もの人格を持つ多重人格者ケヴィン(ジェームズ・マカヴォイ)、そして、非凡なIQと生涯で94回も骨折した壊れやすい肉体を持つ〝ミスター・ガラス″(サミュエル・L.ジャクソン)…。彼らは人間を超える存在なのか? 最後に明らかになる“驚愕の結末”とは? M.ナイト・シャマラン監督が『アンブレイカブル』のその後を描く、衝撃のサスペンス・スリラー。(引用終わり)

紹介文には『アンブレイカブル』(2000)のその後とあるけれど、もうひとつ『スプリット』(2017)も加えた3部作という構成になっている。したがって、前2作を観ていないと3人の男たちの来歴等が分からず、「驚愕の結末」の意味もピンと来ないことになる。

ここまで伏線を張るだけ張って、いよいよこの完結篇で三者が一堂に会することになる。そこに謎の女性精神分析医が絡んでという展開だが、最後はアメリカン・コミックを踏まえた「スーパーヒーローは実在するのか」という命題に収斂していくことになり、それに向けての虚々実々の駆け引きが繰り広げられる。

フィラデルフィアに最近完成したという設定の「オオサカ・タワー」(あべのハルカスにヒントを得たものか?)でのアクションシーンを期待したけれど、そこに行くまでに勝敗が決してしまったのには少し拍子抜けした。しかし、「驚愕の結末」には次に繋がる伏線が張られているようでもあり、三者それぞれの関係者に引き継がれた続篇もありそうなエンディングは、いかにもシャマランならではである。

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2019/11/25

歌劇「ラ・ボエーム」

Labohemeプッチーニの作品中、いや全てのオペラ作品中でも屈指の人気を誇る傑作。パリの屋根裏部屋で暮らす芸術家4人組のひとり、詩人のロドルフォとお針子ミミの悲恋を中心に描く。

今回鑑賞したのは、1965年にミラノ・スカラ座で収録された映画版(写真)と、2014年メトロポリタンオペラ公演のライブ映像。前者はミレッラ・フレーニ(ミミ)、ジャンニ・ライモンディ(ロドルフォ)、カラヤン(指揮)、後者はそれぞれ、クリスティーヌ・オポライス、ヴィットーリオ・グリゴーロ、ステファーノ・ランザーニといった面々、演出はともにフランコ・ゼフィレッリである。

オポライスは何と前日夜に「蝶々夫人」のタイトルロールを歌った翌朝、MET総裁のゲルブから急遽電話が入り、その日の昼公演の「ラ・ボエーム」のミミ役がキャンセルとなったので、代役で歌ってくれと依頼された。24時間に2つの役でMETにロール・デビューした歌手は、MET史上初めてという快挙だそうだ。

その事情を感じさせないほどの出来映えはさすがと言えるが、それでも歌に関してはフレーニの方がやはり一日の長がある。若干線が細いながらもよく通る声は、病弱という設定のミミにぴったりだし、最後のベッドでの場面など万感の思いを籠める箇所で、あえてソット・ヴォーチェというのか、「大事なことは小さな声で言うのよ」といった表現が素晴らしい効果を上げている。

ゼフィレッリの舞台の見事なことは言うまでもない。実はアメリカ滞在時にMETの舞台をナマで見たことがあり、第2幕冒頭のパリ街頭のシーンには心底驚愕した覚えがある。まるで巨大な印象派の絵画がそのまま動き出したかのような錯覚に襲われたものだ。幕が開いた瞬間、観客から思わず溜息が漏れ、拍手が起きるのはいつものことという。

もう一か所、印象に残る演出があった。第3幕で最初降っていた雪が一旦止み、その後ミミとロドルフォが別れる決意をする場面になる。「花の季節になったら別れよう」と二人は決心し、「ずっとこのまま冬だったらいいのに!」とミミが歌うと、また静かに雪が降り始めるという演出は心憎いばかりだ。

音楽の面では、それまでのオペラでは、筋書きはレチタティーヴォの部分で言わば散文調に淡々と進み、情感が高まったところで詩的な歌詞のアリアとなって一旦時間が止まるような構成だったのが、この作品ではレチタティーヴォとアリアの両方で筋書きが進められ、オペラ全体の一体感が高まっているように感じた。そんなところにも、メロディの美しさだけではない、プッチーニの音楽の魅力があるのかもしれない。

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2019/11/22

ハイティンク&ウィーンフィルのブルックナー交響曲集

Haitink最近やたらとブルックナーばかり聴いている(笑)。先日はバレンボイム&ベルリンフィルの全集を聴いたが、今度はハイティンクがウィーンフィルを指揮したCDをまとめて聴いた。ただ、「全集」とはなっていないのが残念な限りで、録音順に第4番、第5番、第3番、第8番まで終えたところで打ち切りとなってしまった。

ハイティンクは他にもベルリンフィルとマーラーの交響曲の録音をスタートさせたものの、これまた第8番、第9番を残したところで打ち切りの憂き目に遭っている。発売元のフィリップスや楽団等とどのような問題が生じたのかは不明であるが、ブルックナー、マーラーともに、ハイティンクはコンセルトヘボウとは既に全集盤を完成させていたことから、フィリップスとしては他国のオケと全集盤同士の競合になるのを避けたかったのかもしれない。

そんな邪推はともかく、ハイティンクは芸風自体が実直そのものであるし、人相容貌もどこかセントバーナード(Bernard はマエストロのファーストネームと同じ・笑)とかレトリーバーなど性格の温和な大型犬を連想させる(笑)。フィリップスや楽団を相手に、ハッタリや駆け引きも厭わず、上手く立ち回ることが出来なかったのだろうと推察される。

そうした経緯はさておき、残された4曲の演奏はいずれも中庸に徹したオーソドックスなもので、ブルックナー演奏のリファレンスとでも言うべき存在となっている。かつて「なにも足さない。なにも引かない。」というウイスキーのCMがあったが、ちょうどそんな感じだ。テンポ設定やダイナミクス、フレージング、全体のバランス、どれを取ってもびくともしない抜群の安定感を示し、安心してブルックナーの世界に浸ることが出来る。

ブルックナーの交響曲の多くを初演し、「本家」意識が強いに違いないウィーンフィルの自主性を尊重し、任せるべきところは任せた演奏なのだろう。ベルリンフィルの重厚な音と比べると、南欧的な明るさのある音が伸び伸びと広がり、とりわけスケルツォのトリオなどに出る舞曲風のメロディの歌わせ方は他の追随を許さない。

ウィーンフィルのブルックナーと言えば、古くはシューリヒト、クナッパーツブッシュ、時代が下ってベームやカラヤン、ジュリーニといった名指揮者の録音が数多く残されているが、録音が古かったり、解釈が個性的だったりと一長一短がある。そんな中にあって、まるでお手本のような演奏に加え、残響まで美しい優秀な録音のこれらCDは貴重な存在と言える。

なお、ハイティンクは90歳を超えた今年6月に引退を表明、9月のルツェルン音楽祭での公演が最後のコンサートとなった。ちなみにその演奏会で指揮したのは、コンセルトヘボウではなくウィーンフィル、プログラムの最後はブルックナーの交響曲第7番であった。

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2019/11/19

『花嫁のパパ』

Bride1991年、米。チャールズ・シャイアー監督。Yahoo! 映画の紹介文。

「花嫁の父」(1950)のリメイク。スポーツ靴メーカーの経営者ジョージ(スティーヴ・マーティン)は、可愛い娘アニー(キンバリー・ウィリアムズ)がイタリア留学から帰ってきていきなり結婚宣言して気が動転。相手は非の打ち所のない資産家の好青年ブライアン(ジョージ・ニューバーン)。妻ニーナ(ダイアン・キートン)は大喜び、周囲も大乗り気でジョージも露骨な反対で娘に嫌われたくないのでしぶしぶ了承。結婚する前になんとか娘に思い止まらせようというジョージの思惑とは裏腹に、結婚の準備は着々と進み、さらには費用も膨らむ一方で…。(引用終わり)

来月自分も同じ立場になるという、絶妙のタイミングでWOWOWが放映してくれたので、観ないではいられなかった。娘が結婚して家を出て行くに際しての父親の寂しさがテーマだと思っていたが、もちろんそういう場面はあるものの、どちらかと言えば結婚式の事前準備と当日の運営の大変さがメインテーマである。冒頭、結婚式までの半年間を振り返るシーンでジョージはこう述懐する。

結婚は単純だと思ってた
男と女が出会い 恋に落ち 指環を買う そして誓う
だが違った
“結婚”はともかく “結婚式”となると大変だ

「大変」さはもちろん金銭的なものを含む。娘の姓が変わるのに要した費用は、17年前に買った自宅(150人を招待できるほど広い)より高くついたというのである。アメリカでは花嫁側が結婚披露パーティの費用を全て負担するという伝統があるそうで、それはこの映画のように、新郎側が大邸宅に住む富豪で、結婚祝いに新車を1台ポンと寄越すような家であっても同じなのである。

結婚式当日、ジョージは多数の招待客にもみくちゃにされながら、娘に最後の挨拶をしようとするものの、招待客が路上駐車した車への対応などに追われ、とうとう娘に近づくことすら出来ずにお開きとなる。多額の費用を負担した挙句に、挨拶も出来ないまま娘は家を出て行った。「花嫁のパパ」の哀れさを象徴するようなシーンに胸がつまったが、最後にはそれを埋め合わせる出来事がちゃんと用意されて、目出度くハッピーエンドとなる。

ところで、アニーの年の離れた弟マティを演じているのはキーラン・カルキン。どこかで見た名前と顔だと思ったら、『ホーム・アローン』に兄マコーレーとともに出演していたのだった。本作公開当時9歳という子役ながら、惚けたユーモアを交えた演技はなかなか見事で、父母と娘の関係が込み入った場面でも、清涼剤のような笑いを提供してくれている。

蛇足ながら、続篇『花嫁のパパ2』も観たけれど、ちょっと無茶な設定に基づくストーリーで、それこそ蛇足という感が否めなかった。

もうひとつ蛇足ながら、昨日61歳になった。あと何回誕生日を迎えられるか分からないが、1年1年を、いや1日1日を大切に生きていきたいと改めて思った。

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2019/11/16

歌劇「マノン・レスコー」

自堕落な美少女マノンに振り回される青年デ・グリューの破滅的な恋を描いたプッチーニの出世作。今回鑑賞したのは、2016年3月メトロポリタンオペラ公演の録画で、タイトルロールはクリスティーヌ・オポライス。デ・グリューは当初ヨナス・カウフマンの予定だったが、例によって直前にキャンセルされ、急遽代役に指名されたロベルト・アラーニャが初めてこの役を歌った。演出リチャード・エア、指揮ファビオ・ルイージ。METライブビューイング公式サイトの紹介文。

18世紀(本演出では1940年代)のフランス、アミアンとパリ。修道院へ入るために旅していた美少女マノンは、アミアンの町で青年デ・グリューと恋に落ち、駆け落ちする。だが贅沢好きのマノンは、デ・グリューとの貧乏暮らしに耐えられなかった。裕福な貴族ジェロンテの庇護を得て豊かな生活を送るマノンのもとに現れたデ・グリューは、自分とともに来るようマノンを説得し、彼女も同意するが、そこへジェロンテが踏み込んで…。(引用終わり)

ポスト・ヴェルディのオペラの主流は、いわゆるヴェリズモ・オペラとなる。登場人物は王侯貴族や英雄ではなく、市井に生きる普通の人々であり、物語も神話や絵空事の世界ではなく、生々しい真実のドラマである。その傾向はプッチーニにも見られるところで、この出世作にもそれが色濃く現れている。登場人物はどこにでもいそうな普通の人々ばかり。物語も「カネで囲われた恋人を奪い返した青年が、恋人と一緒に逃亡を図るも…」という、今でも映画やドラマの題材になりそうな、まあよくあるメロドラマだ。

一方、音楽的な面では、より感覚的、直接的に聴衆に訴えかける力が強い。メロディは明快で親しみやすく、伴奏がそれをユニゾンで補強することで、いっそう訴求力を高めている。ヴェルディの音楽が20世紀音楽の到来の近いことを窺わせるとすれば、プッチーニのはさらにそれを飛び越え、現代のミュージカルにも通じる、分かりやすさと魅力を兼ね備えた音楽と言える。

主役以外の群衆の扱い方にもリアリティが感じられ、ヴェルディでは「その他大勢」に過ぎなかった群衆が、このオペラ冒頭の街頭シーンでは、一人一人にそれぞれの動作があり、互いに談笑したり口論したりしている。そこから抜け出てきたエドモントが最初のアリアを歌い始めてオペラはスタートするのだが、まさに「真実主義」に相応しい自然なオープニングである。

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2019/11/13

バレンボイムのブラームス交響曲全集

Brahmsブルックナー交響曲全集と同様、バレンボイムにとって2度目となるブラームス交響曲全集。オケは手兵シュターツカペレ・ベルリン、収録は2017年10月で、同年3月にオープンしたばかりのピエール・ブーレーズ・ザールにおいて行われたセッション録音である。ジャケット写真で聴衆が写っているのは、同時期に行われた一般公演時のものだろうか。

第1番第1楽章冒頭から、重心の低い、ズシンと腹にくる重厚なサウンドに引き込まれる。ベルリンの壁が崩壊してもう30年になるけれど、旧東ドイツ地域に残されていたドイツ伝統の響きが再現されたかのようだ。しかし、それでいて対旋律や伴奏音型など細部まで実に見通しの良い演奏であることに驚かされる。このような重厚な響きと見通しの良さを両立させた演奏、録音というのはかつて経験がなく、この全集の最大の成果として誇れるものだろう。

ピエール・ブーレーズ・ザールの音響がそれに寄与していることは間違いない。写真で見ると、楕円形の客席が中央のステージを取り囲む独特の配置となっているが、建物自体はかつての国立歌劇場の倉庫を改造したもので、全体の形状としては天井の高いシューボックス型のホールだそうだ。そのフロアの中央に音源を配置することで、理想的な音響を実現しようとしたのだろう。ちなみにホールの音響設計は日本の永田音響設計が担当した。

ただ、演奏解釈については全面的に賛成とは言いかねる。第1番、第2番は比較的オーソドックスで、じっくり音楽に浸ることが出来たが、第3番、第4番ではテンポをかなり伸び縮みさせた情緒纏綿たる演奏で、時には音楽が止まってしまいそうなほど遅くなる。特に第4番は、冒頭主題からして四分音符のアウフタクトのHを、次の二分音符のGより長くなるほど引っ張る。フルトヴェングラーがベルリンフィルを振った1948年の録音に似た、かなり時代がかったような演奏だ。

自分としては、この第4番は出来る限りインテンポで演奏してほしい。冒頭主題はしばらく演奏してきた音楽の続きででもあるかのように淡々と。第1楽章のコーダも必要以上に煽らず、最後から2小節目のティンパニの四分音符もリタルダンドしない。最低この2点を押さえていない演奏は、基本的に聴く気がしないのが正直なところだ。

ブラームスはこの交響曲を、フリギア旋法だのパッサカリアだの、あえて古色蒼然たる手法を用いて書いた。したがって、形の上ではバロック音楽のような正確なテンポ、地味な音色で演奏すべきである。しかし、そんな古典的な器の中に封じ込めても自ずから滲み出てしまう、作曲者の滾るような熱い思いが籠められている。そのことが分かるような演奏こそが理想であって、クライバーがウィーンフィルを指揮した1980年の録音がまさにそれである。

もうひとつ難点があって、バレンボイムが指揮台で足を踏ん張る「ドン」という音や、ヤマ場で力が入ったときの「シュッ」という呼吸音がかなり頻繁に入る。それだけ気合が入った演奏ということなのだろうが、まるでバレンボイムクジラが指揮台で暴れ回っているかのようである。(苦笑)

しかし、そうしたことを含めてもなお、今日あまり聴くことの出来なくなった重厚な音響によるブラームスは貴重な存在というしかなく、演奏解釈は別として、この音が恋しくなったらまた聴くことになるだろう。

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2019/11/10

当世結婚式事情その2

昨日は甥の結婚式、披露宴に参列した。今年3月以来となるが、その時と比べるとまだ従来型のパターンに近く、結婚式は大阪市内の某神社で挙行され、親族友人を含め大勢の人たちが参列した。幸い、抜けるような秋晴れに恵まれ、屋外での記念撮影も滞りなく行われたが、雨天だったら大変だったろうと思う。

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挙式後は市内某所の高級フレンチレストランに移動して披露宴の運びとなった。3月の時と同様、ここでも媒酌人やケーキカット、キャンドルサービスなどはなかったものの、職場の上司によるスピーチや乾杯挨拶は型通り行われた。ご多分に洩れず少し長くなったけれど、甥っ子本人があまり喋りたがらない、職場での働きぶりの一端を知る良い機会になった。

直腸癌の手術以来、公の場への長時間の外出は初めてで、相当疲れてしまったが、レストランには設備の整ったトイレがあり、その点では特に問題なかった。ただ、抗癌剤の影響で冷たい飲み物、食べ物はNG、当然アルコール抜きなので、折角のフルコースが味気なくなったのは残念だったが。

ところで、来月には今年3度目の結婚式が控えている。今度は何とうちの娘である。新婦のエスコートなど大役が控えているので、しっかり体調を整え、くれぐれも粗相のないようにしたい。

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