2022/05/17

ネルソンス&VPOのベートーヴェン交響曲全集

Nelsons ベートーヴェン生誕250年を記念して、アンドリス・ネルソンスが2017年から19年にかけてウィーンフィルを指揮した交響曲全集を聴いた。最近までその存在を知らなかったCDだが、彼の誕生日が自分と同じことが分かってから何となく親近感が湧いていた。(笑)

一言で感想を言えば、大変メリハリの効いた、清新にして味わい深いベートーヴェンである。アレグロ楽章はまさに「コン・ブリオ」の快活この上ない音楽で、聴いていて爽快感が味わえる一方、緩徐楽章では一転してゆったりとしたテンポと穏やかな表情づけが印象的だ。

とりわけて第6番「田園」が素晴らしく、これぞウィーンフィルというローカル色豊かな響きを引き出していた。愛聴盤であるイッセルシュテット盤以来、ついぞ耳にする機会がなかった音である。

録音もライヴとは思えないほど優秀で、ウィーンフィルのベートーヴェンとして、イッセルシュテットによる全集盤、クライバーによる第5、7番以来の出色の出来ではないかと思う。

ネルソンスはゲヴァントハウス管と組んだブルックナーの交響曲全曲も録音していて、そちらにも食指が動きかけている。ああ、時間がいくらあっても足りない。

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2022/05/13

抗癌剤治療を終了

ついにその時がやってきた。前回の記事で「当面は今の薬を継続」と書いたが、癌治療の一寸先は闇である。総ビリルビンの数値が反転上昇したうえ、浮腫の症状が進行して下半身から腹回りにかけてパンパンに腫れてしまっている。

一方で肝機能の数値は思わしくなく、これ以上抗癌剤を投与することは意味がないという結論に達したわけだ。

今週、浮腫対策として赤血球輸血を行なうため3日間入院したが、それも即効性のあるものではなく、解消しなければ来週の診察で穿刺して腹水を抜いてもらうことになっている。

並行して緩和ケアへの移行が具体的に視野に入り、紹介状等を送付していつでも転院出来る態勢を整えつつある。まだ肝臓癌そのものの痛みは出ておらず、いつがその時期となるかは見通しが立たないけれど、いざそうなったら残された時間は1、2か月というのが通常だという。

心の準備はとっくに出来ていて、やり残したことはほとんどないと思うけれど、いよいよという段階になってみないと分からないこともあるだろう。

ただ、積極的治療が終わったことで、これまで約3年間ほどんど口にしなかったビールを少量飲むようになり、今のところそれが嬉しくて仕方がない日々である。(笑)

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2022/05/08

ハイティンク&LSOのブラームス交響曲全集

Lso ハイティンクが指揮したブラームスの交響曲全集は、1970年代にコンセルトヘボウ管と録音したもの、1990年代にボストン響(BSO)と録音したものがあるが、2003年から04年にかけてロンドン交響楽団(LSO)とライヴ録音したこの全集は、3度目にして最後のものである。

ただし、国内盤は第1番のみで、LSO自主レーベルによる英本国盤も現在ほとんど品切れか廃盤となっている。それと関係あるのかどうか、一般的な評価はBSO盤が最も高く、このLSO盤は「迫力と重厚感がない」「無気力」など散々な有様である。しかし、自分としてはこれが文句なしのベスト盤であり、他の指揮者のCDを含めても屈指の名演であると思う。

何よりも渋みを帯びたオケの響きが素晴らしく、いかにもブラームスという音響空間を作り出していて、その上に立って、ハイティンクらしく奇を衒うことのない正統派にして盤石の音楽が、まるで川が流れるように自然に進行していく。妥当極まるテンポ設定、楽器間のメロディの受け渡し、対旋律のさりげない強調など、これぞ職人技と唸らされる箇所は少なくない。

個人的な趣味を言えば、BSO盤は柔らかでまろやかな響きが魅力的ではあるものの、最後に録音された第1番を除き、第1クラリネットを担当した首席奏者ハロルド・ライトのヴィブラートがあまり好きではないのだ。それに対し、ヴィブラートの本場(?)ロンドンのクラリネットが、音色的にはいかにもイギリス的なのにノンヴィブラートなのが好ましい。

バービカンセンターは比較的デッドな音響ながら、DSDによる録音は各パートの分離が良く、極めて優秀である。ロンドンの聴衆は終始しわぶき一つ発せず、無論フライング拍手やブラヴォーなど皆無である。もしかしたらリハーサル時の録音ではないかと思うほどである。

ちなみに、ブックレットのデータから各演奏会のプログラムを再現すると次のとおり。

2003年5月17、18日 悲劇的序曲、二重協奏曲、交響曲第2番
2003年5月21、22日 セレナーデ第2番、交響曲第1番
2004年6月16、17日 交響曲第3番、交響曲第4番

なお、ブックレットでは交響曲第4番の演奏日付が同年5月16、17日となっているのは単純な誤植と思われる。5月17日はコリン・デイヴィス指揮による全く別の演奏会が行なわれているのだ。

二重協奏曲の独奏者は有名ソリストの招聘ではなく、LSOコンサートマスターのゴーダン・ニコリッチ、チェロ首席のティム・ヒューである。「独奏楽器付きの交響曲」と称されることが多いブラームスのコンチェルトには相応しく、何よりオーケストラの奏者を大切に考えるハイティンクらしい起用と言える。

ハイティンク&LSOのCDには、他にベートーヴェンの交響曲全集、ブルックナーの交響曲第4、9番があり、現在これらも取寄せているところだ。自分としては、知られざる名盤を発掘したような気でいるのだが、さてどうなるか。(笑)

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2022/05/04

『億男』

Oku 2018年、製作委員会。大友啓史監督。佐藤健、高橋一生ほか。KINENOTE の紹介文。

図書館司書の一男(佐藤健)は、兄が3000万円の借金を残して失踪して以来、夜もパン工場で働きながら借金を返済している。だがある日、窮屈に生きることしか選んでいない一男に愛想を尽かした妻の万佐子は、離婚届を残して娘・まどかと共に家を出てしまう。そんななか、突然一男は当選金額3億円という宝くじが当たる。これで借金を返せるだけでなく、家族の絆を修復することができるはず。
ところがネットを見ると、宝くじの高額当選者たちはみな悲惨な人生を送っているという記事ばかり。怖くなった一男は、大学時代の親友で、起業して億万長者となった九十九(高橋一生)にアドバイスを求めることに。久しぶりの再会と、九十九プロデュースの豪遊に浮かれて酔いつぶれた一男。だが翌朝目を覚ますと、3億円と共に九十九は姿を消していた。3億円と親友の行方を求めて、一男のお金をめぐる冒険が始まる……。(引用終わり)

Book 川村元気の同名小説(写真下)を映画化。映画のポスターとヴィジュアルの落差ありすぎ(笑)。それはともかく、紹介文などから、3億円を横領した親友九十九の行方を追い求める、一種のサスペンスものかと予想していたが全く違っていた。

九十九の関係者を当たって話を聞いていく中で、一男は「お金」というものの本質、それが人間をどう変えるかなど、これまで考えたこともなかった事柄と向き合うことになる。億などという大金と無縁で過ごしてきたフツーの人間の当惑、困惑ぶりを佐藤健が好演している。

金で買えないものはほとんどないけれど、しかし、金が全てを解決するとは限らない。そのことに思い至った一男の前に意外な結末が待ち受けていて、大きな円環を閉じるように本作は結末を迎える。

作中、大学の落語研究会に所属していた九十九が演じる落語「芝浜」がしばしば登場する。その内容を全く知らなかったのだが、観終わってから調べてみて、それが本作のストーリーと表裏一体となっていることに気がついた。知っていて観れば、ある程度結末の予想がついたかもしれない。

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2022/04/30

『ブラックバード 家族が家族であるうちに』

Blackbird 2019年、米・英。『ノッティングヒルの恋人』のロジャー・ミッチェル監督。公式サイトの紹介文。

ある週末、医師のポール(サム・ニール)とその妻リリー(スーザン・サランドン)が暮らす瀟洒な海辺の家に娘たちが集まってくる。病が進行し、次第に体の自由が利かなくなっているリリーは安楽死する決意をしており、家族と最後の時間を一緒に過ごそうとしていた。
長女ジェニファー(ケイト・ウィンスレット)は母の決意を受け入れているものの、やはりどこか落ち着かず、夫マイケル(レイン・ウィルソン)の行動に苛立ちがち。家族だけで過ごすはずの週末にリリーの親友リズ(リンゼイ・ダンカン)がいることにも納得がいかない。詳しい事情を知らなかった15歳の息子ジョナサン(アンソン・ブーン)も、この訪問の意味を知ることに。
長らく連絡が取れなかった次女アナ(ミア・ワシコウスカ)も、くっついたり離れたりを繰り返している恋人クリス(ベックス・テイラー=クラウス)と共にやってくるが、姉と違い、母の決意を受け入れられておらず、ジェニファーと衝突を繰り返す。大きな秘密を共有する家族がともに週末を過ごすなか、それぞれが抱えていた秘密も浮かびあがりジェニファーとアンナの想いは揺れ動き、リリーの決意を覆そうと試みる…。(引用終わり)

安楽死を扱った作品は邦画『ドクター・デスの遺産』以来だが、本作では安楽死そのものの是非とか、実行に至るまでの経緯などより、本人と家族との関係性や、それとどう最終的に折り合いをつけて「その時」を迎えるかという、ヒューマンドラマとしての色彩が濃い。邦題に付された副題もその辺りを考慮したのだろう。

性格が対照的な二人の娘の間で、積年の確執と対立が表明化してハラハラさせられるが、それに加えて本人の親友リズが同席していることの意味が明らかになって、ストーリーはさらに込み入ってくる。

しかし、最後は収まるところに収まって、本人の希望どおりの結末を迎えることになるわけだが、安楽死を実行するだけでも容易でないところに、残された家族のことも考え、後顧の憂いなく旅立っていった主人公の勁さを思った。

8人の登場人物がアメリカのニューイングランド地方と思われる風光明媚な海辺の家に集まり、そして別れていくだけの単調な展開ではあるが、スーザン・サランドン、ケイト・ウィンスレット、2人のオスカー女優の共演などで最後まで飽きさせない。ただ、タイトルの「ブラックバード」が何を意味するのか、少し調べてみたけれど分からなかった。

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2022/04/27

クナッパーツブッシュ盤「パルジファル」全曲

Parsifal_20220427085001 先々月、このオペラを初めて鑑賞したときの記事で、「ほとんど動きのない映像はこの際抜きにして、様々な動機が複雑に絡み合う音楽だけを集中して聴けば、何とかとっかかりが得られるのかもしれないが、4時間半の長丁場に再挑戦する気力はすぐには出て来ないだろう」と書いたが、ようやくその気力が出てきたので、標記の全曲盤CDを聴いてみた。

1962年8月、バイロイト祝祭大劇場でのライヴ録音で、当時から名盤の誉れ高いものである。タイトルロールのジェス・トーマスをはじめ、グルネマンツのハンス・ホッター、アンフォルタスのジョージ・ロンドン、クンドリのアイリーン・ダリスなど、当時の名歌手を集めた声楽陣は豪華の一語に尽きる。

「音楽に集中して」と書いたけれども、やはりストーリーと歌詞が分からなければ、そこにワーグナーがつけた音楽の意味合いを本当に理解することは出来ないので、今回は図書館で借りた全曲対訳本を参照しながら聴いた。何度も聴き込めば「ああ、ここはこういう場面だ」と合点がいくようになるだろうが、さすがにその境地に達する時間はもう自分には残されていない。

1日1幕で3日がかりの鑑賞になったが、意外にそれほど間延びすることなく長丁場を乗り切ることが出来た。クナッパーツブッシュと言えば、これまで残響が極端に少ない貧弱な録音しか聴いたことがなかったが、ここでは独特な構造をしたバイロイト祝祭大劇場の音響を、フィリップスの技術陣が見事に捉えていて、客席のノイズを我慢しさえすれば十分に鑑賞に堪える。

ところで、このCDはタワーレコード限定盤として復刻発売されたもので、ブックレットの裏表紙(クリックで拡大表示)には初出時のLP盤の帯まで再現されている。昔懐かしい字体に加え、作品に冠された名称がただの「楽劇」だったり、指揮者名が「クナッペルツブッシュ」だったりするところに時代を感じる。

それより、LP5枚組で9千円という値段は、当時の物価を考えれば相当高価に違いなく、オペラ全曲盤というのはある種の贅沢品だったのだ。なにせ、ちょうど同じ頃に放送を開始したNHKFMの「オペラ・アワー」という番組は、「オペラのステレオ全曲録音」がタダで(笑)聴けるのがウリだったのだから(現在の「オペラ・ファンタスティカ」は海外放送局提供の最新ライヴ録音が中心である)。

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2022/04/24

当面は今の薬を継続

前回の記事では、今月から次の、そして最後の抗癌剤治療に移行する予定と書いたけれども、しばらくは今の治療を継続することになった。ひとつには、肝機能の検査数値は相変わらず悪化の一途を辿っているものの、そのスピードが加速しているというほどではないこと。もうひとつは、やはり次の抗癌剤がもたらす、劇症肝炎を含む重篤な副作用への懸念である。

主治医としても難しい判断を迫られているようで、相当迷っておられたような様子だったが、さほど強い副作用が出ていない今の治療法が、現時点では最良の対処法であるという結論に達したようである。

一方、肝臓癌の末期には白目が黄色くなるなどの黄疸症状が現れ、そうなるともう治療不可能となって、1、2か月で最期を迎えることになるらしいが、その指標である血液中の総ビリルビンの濃度がむしろ低下(改善)傾向にあり、正常値の範囲まであと一歩というところまで下がっているという嬉しい指摘があった。意外としぶといぞ、俺!(笑)

ただ、これが肝臓癌と直接の関連があるのかどうか不明だが、浮腫(むくみ)の症状が出ていて、両足がパンパンに膨れているため、靴の脱ぎ履きにも一苦労する有様なのと、二度目の手術の際の縫合部から腸が腹膜外に出るヘルニア(脱腸)が起きていて、そのせいでストーマ(人工肛門)の皮膚との接合部が引っ張られ、時に悲鳴を上げたくなるほどの痛みを発生させている。

前者については経口栄養剤の処方を受けて対処中であるが、後者は今さら開腹手術による復旧は不可能で、基本的に我慢するしかないと言われている。癌そのものの進行はある程度抑えられ、食事や日常生活に重大な支障が出ているわけではないが、新たな事態への対応に悩む日々が続きそうだ。

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2022/04/20

ショルティ盤「ロ短調ミサ」

Hmollマタイ受難曲に続いて、ショルティが1990年に録音したCDを聴いた。

予想どおり、マタイ受難曲と同じく、楽譜に忠実で真摯な、正統派の演奏である。教会の中にいるような雰囲気に浸れるヘレヴェッヘ盤もいいけれど、楽曲の構成や各声部の動きが手に取るように分かるショルティの演奏は、この曲が宗教から離れても、純粋音楽として十分鑑賞に値する楽曲であることを示している。

ショルティならではの鋭い分析力と、高い統率力の賜物だろう。この曲の演奏に携わる人々や学習者にとって、打ってつけの模範的な演奏ではないかと思う。

名手揃いのオーケストラ(第11曲のホルンソロはクレヴェンジャーか?)、フォン・オッター(A)、ブロホヴィッツ(T)らの独唱陣もさることながら、マーガレット・ヒリス率いるシカゴ交響合唱団が、単なるオケ付属の合唱団とは思えない高度なレヴェルの合唱能力を発揮していて、とりわけppでの息を呑むような絶妙のアンサンブルは大変素晴らしい。

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2022/04/18

吉野山奥千本

吉野山の桜は下千本から上千本までは何度も見に行ったけれども、奥千本は何時のことだったか忘れたが、一度行ったきりになっていた。既に満開を過ぎているとの情報に接し、吉野の桜の見納めにと出かけてきた。もちろん今となっては自分の脚で「走って」ではなく、車で行って最も近い駐車場を目指した。

止められる台数が限られているというので、早朝6時に自宅を出発、現地に7時過ぎに到着したが、先客はたった1台のみ。帰るときにはうちの1台だけの貸し切り状態だった。散策中も絵を描いている人が一人いただけで、他には全く人気がなく、西行法師とともに静かな花見を楽しむことが出来た。

Saigyo

ただ、肝心の桜は一部を除いて植え替えが行なわれていて、西行庵の向かいの斜面はまだ若い木が僅かに花をつけているだけの状態だった。これでは花見客が少ないのも致し方ないところだ。

Oku2

Oku1

ところで、同行した家内が、奥千本に行くという話が出て以来、郷ひろみの「あの歌」の一節が耳から離れないとボヤいていたが、実は自分もそうだったのだ。(笑)

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2022/04/13

ハイレゾ音源を試してみた

ハイレゾリューション(高解像度)オーディオ、いわゆるハイレゾについて、正直これまであまり興味はなかった。今のCDプレーヤーに買い替えたときの記事にも、そんなことはどうでもいいと書いた。

その理由としては、いくら録音再生のデジタル処理が高度化しようと、人間の耳が聴くのはデジタルの「データ」ではなく、それをアナログに変換した「音」である以上、その音質はデジタル・アナログ変換回路(DAC)や、変換後のアナログアンプの性能に依存するからである。

ただ闇雲にサンプリング周波数や量子化ビット数を増やせば良いというものではないはずなのに、やれ何kHzだ何ビットだというスペックのみを強調して、小さなイヤホンで再生する音がさぞ素晴らしいかのように宣伝するのは、苦境にあるオーディオメーカーの起死回生策ではないかと疑ってしまう。かつての4チャンネルステレオがそうであったように。

しかし、実際に体験もせずにそんなことを言っていても始まらないし、自分に残された時間も限られている。新たに対応機器を購入するまでもなく、今のCDプレーヤーに内蔵されたDACでハイレゾ再生が可能であることは分かっていたので、配信サイトを通じていくつかの音源を購入して試してみた。

これまでに数種類の音源を聴いた感想としては、CDと雲泥の差があるというほどではないというのが正直なところだ。ただし、高音部の歪感の少なさはハッキリ感じることが出来る。

CDのフォーマットはサンプリング周波数が44.1kHzで、22.05kHzの音まで記録可能だというけれども、そのぐらいの音域では1つの波形を約2回サンプルしただけの直線的な波形にしかならないから、いかに優秀なDACでも歪が生じてしまうし、それより高い音域はカットされてしまう。

それが192kHzのハイレゾの場合、22kHzの音なら約9回サンプルするから、少しは滑らかな波形に近づく。人間の可聴音域を遥かに超えるとは言え、96kHzの高音まで一応記録することが可能だ。

そうした高音域の記録精度の向上が、聴感上の歪感の減少をもたらしていると思われる。実際、オーケストラの第1ヴァイオリンが高い音をフォルテで演奏する際、CDではキンキンとした刺激的な音が気になる場合があるが、ハイレゾではその点はかなり改善されている。

高音域の改善とおそらく無関係ではないだろう。音の定位感、音場の広がりもCDよりも相当良いことは確かだ。突飛な連想だけれど、人間の可聴音域を上回る超音波を使って自らの位置を認識し、暗闇でも飛び回ることができるコウモリの習性を思い出した。

しかし・・・。

メリットを感じるのはそれぐらいで、ダイナミックレンジに関しては普通の住宅の一室で聴く限りはCDで十分であるし、パソコンを持ち込んで接続したり、マウスで選曲や再生を指示したりするのが面倒だ。

何より、配信されているハイレゾ音源の数が限られているうえに、価格がCDの倍以上もするとあっては、おいそれとCDから移行するというわけにはいかない。アナログ時代の特別に思い入れのある音源(ブルーノ・ワルターやジョージ・セルの名盤など)をより良い音質で楽しむぐらいのことになるのではないかと思う。

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