2021/01/27

我が名はヤマト

「*ヤ*マ*ト」

自分の姓名を1字飛ばしで読むと「ヤマト(大和)」となることを、62年も生きてきて初めて知ったのだ。生来、奈良とは因縁浅からぬ人間だったようだ。

クレジットカードの利用控えなどで、カード番号の一部が伏字になっているのをよく見かけるが、先日届いたカード会社からの通知文書の中で、カード名義もそのように表記してあったのを見て気がついた。

姓名はそれぞれ意味のある言葉の組み合わせだが、これを1文字飛ばしに読んだのでは、何ら意味のない文字列になるのが普通で、こういう偶然が起きる確率は相当低いだろう。

そう思って、家族友人知人の名前を片っ端から試してみたところ、わずかに一人、ある友人(男性)の姓名の飛ばし読みが別の男名前になる例があるだけだった。

さて、あなたやあなたの周辺にそんな例はあるだろうか。おヒマな方は是非お試しを。(笑)

1月27日 ジョグ4キロ

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2021/01/24

歌劇「ロメオとジュリエット」

Gounodグノー作曲のオペラ。2017年、メトロポリタンオペラ公演の録画を鑑賞。METライブビューイングの紹介文。

18世紀のイタリア、ヴェローナ。対立する家に属するロメオとジュリエットは、素性を知らずに舞踏会で出会い、恋に落ちる。敵同士と知っても離れられない2人はひそかに結婚式を挙げるが、喧嘩に巻き込まれたロメオはジュリエットの従兄弟を殺し、追放の刑に。別れを前に、恋人たちは愛を確かめ合う。親が決めた結婚を強いられるジュリエットは、仮死状態になる薬を手に入れる。彼女が死んだと誤解した一同は、ジュリエットを墓所に運ぶが…。(引用終わり)

シェイクスピアの名作悲劇を題材にした音楽作品は数多いが、本作はその中でも最も成功した部類に入るとされる。グノーという作曲家は何となく馴染みが薄いけれど、親しみやすいメロディ、巧みな管弦楽法、場面に合わせた緩急自在の展開など、いずれをとっても円熟した作曲技法を見せている。

見どころは何といっても主役二人の歌唱と演技で、ディアナ・ダムラウとヴィットーリオ・グリゴーロの豪華コンビが、蕩けるような美声とともに大変な役者ぶりを発揮している。

とりわけグリゴーロは、有名なバルコニーのシーンで軽業師のごとく柱に攀じ登ったかと思えば、ティボルトとの決闘で大立ち回りを演じた直後でも息を乱すことのない歌唱を披露するなど、厳しい修練の成果を窺わせていて立派である。

ダムラウも14歳の少女という設定のジュリエット役にふさわしく、可憐な表情づくりとともに、軽々とした身のこなしを見せていた。指揮はジャナンドレア・ノセダ、演出はブロードウェイの大物バートレット・シャー。ともに正攻法の音楽、舞台づくりで好感が持てた。

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2021/01/21

“George Szell: A Life of Music”

Szell_20210119180201弟子 Michael Charry によるジョージ・セル伝。Kindle版の英書を何とか読破した。セルの生涯とその音楽に対する興味に加え、抗癌剤点滴の長い待ち時間がなければ、到底読み終えることは出来なかっただろう。

ジョージ・セルの生い立ちと天才少年ぶりから始まり、若き日の音楽修業を経て楽壇に華々しくデビューした後、様々な経緯を経てアメリカ・クリーヴランド管弦楽団の音楽監督に就任し、この楽団を世界有数の名門オーケストラに育て上げた過程を詳細に記述している。

紙の本で452頁に及ぶ内容を要約して紹介するのはとても手に余るので、自分として意外に感じたいくつかの点をメモしておくに止めたい。クリーヴランド管と数々の優れたレコーディングを残したセルだが、それ以外にも録音には残らなかった(一部音楽祭のライヴ録音を除き)多面的な活動を展開していたのだ。

  • セルはクリーヴランド管以外にも米国主要オーケストラとの関係を保ち続け、特にニューヨーク・フィルハーモニックには毎シーズンのように客演指揮に訪れていた
  • 毎年夏は必ずヨーロッパに滞在し、ザルツブルク、ルツェルン等の音楽祭に出演したり、夫人とともにスイスで静養したりという生活を繰り返していた
  • 古典派、ロマン派の作曲家の作品を主要レパートリーとしていたが、現代作品とりわけアメリカの作曲家の新作を積極的に取り上げ、その紹介に努めた

さて、セルと言えば、練習での厳しい指導ぶりや、楽員の大幅な入れ替えなどが取り沙汰されるが、それについてはさすがに「与党」である著者の立場から悪しざまなことは書けないようで、セルを擁護するような論調になっているのは致し方ないところか。

ただ、内輪の人間しか知らない裏話がいくつか披露されているので、そのうち2つを紹介することにしよう。

ひとつは、1969年9月にオイストラフ、ロストロポーヴィチ、リヒテル、カラヤン、ベルリン・フィルという組み合わせで実現したベートーヴェンの三重協奏曲の録音を巡る話である。実は同じ年の5月に、セルとクリーヴランド管はオイストラフ、ロストロポーヴィチとブラームスの二重協奏曲を録音していた。ベートーヴェンもセルが指揮して不思議はなかったのに、なぜカラヤンに話が行ったのか。

それは、ロシア人3人のソリストのスケジュールが厳しく、コンサートでの公開演奏を経ず僅か2回のセッションで録音するという条件を、たとえスケジュールが合ってもセルは承知しなかっただろうが、カラヤンはすぐに飛びついたからだというのだ。EMIのプロデューサー、ピーター・アンドリーがそのことについてセルに謝罪する一幕もあったようだ。

もうひとつは1970年の来日公演の際の札幌での逸話である。コンサート終了後、セルがホスト役となって、来日公演スポンサーを招待した宴席が札幌市内の高級料亭で開催された。出席者それぞれに着飾ったゲイシャがついていたが、セルについたのはその筆頭格だった。セルはもっと若くて魅力的なゲイシャに当たらなかったことで気分を害し、さらには宴席の請求額にショックを受けたそうである。(笑)

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2021/01/18

人工肛門解消は断念

年末の緊急手術と入院の原因となった、直腸縫合部付近の膿瘍(ウミ)は現時点でかなり排出され、抗生剤の効果もあって体温は平熱に戻り、抗癌剤治療を再開したところだ。しかし、直腸縫合部の状態はまだまだ完全ではなく、今後とも膿瘍の出方を経過観察していかなければならない。

現在、回腸に人工肛門(ストーマ)が造設され直腸縫合部に便が達していない状態でもそうなのだから、ストーマを解消して便がそこを通過するようになると大変危険である。また、そのための手術を行なおうとすれば、抗癌剤の投与を一定期間中断しなければならず、肝臓癌の進行が懸念される。

要するに、直腸縫合部付近の膿瘍と、肝臓に転移した癌、その両睨みで経過観察を続け、現在の状態を1日でも長く保つことが最善の対処方法ということになる。ストーマの解消はほぼ絶望的となったのだ。

癌の発覚以来、ほぼ全ての予想が裏切られ続けていて、今回はその最たるものだが、ものは考えようだ。ストーマを装着して既に1年半が経過して、その取扱いには慣れている。もう肚を決めて、死ぬまでこいつと付き合うしかないではないか。

昨秋は北海道や日光に行って、ストーマをつけたままの旅行が可能であることを確認した。念願の最後の海外旅行は、出来ればストーマを解消してから行きたいと考えていたが、現状で何とかするしかない。今はコロナ禍で行きたくても行けない情勢だが、十分な準備期間が与えられたと前向きに考えることにしよう。

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2021/01/15

『嘘八百 京町ロワイヤル』

Royal 2020年、製作委員会。中井貴一、佐々木蔵之介、広末涼子ほか。アマゾンの紹介文。

贋物仕事から足を洗った古美術商・小池則夫と陶芸家・野田佐輔。京都と堺でそれぞれ再出発をしたのも束の間、あるTV番組に過去をスッパ抜かれて開運人生に暗雲が。そんな則夫の前に現れたのは謎の京美人・橘志野。千利休の弟子にして「天下一」と称された古田織部の幻の茶器≪はたかけ≫を騙し取られたと聞くと、堺から佐輔を呼び寄せ、愛と正義の贋物作戦。ところが、その茶器の背景にはとてつもない陰謀がうずまいていた…。(引用終わり)

前作『嘘八百』の続篇で、古美術商則夫と陶芸家佐輔がタッグを組み、過去を暴かれ恥をかかされた相手に一泡吹かせるという展開は前作同様である。そこに謎の美女志野が絡んで、復讐劇はさらに大仕掛けで手の込んだものになっている。そのクライマックスの場面は、実際に東本願寺渉成園で撮影されたそうである。

何といっても主人公二人の遣り取りが絶妙のテンポ感で面白く、彼らと加藤雅也や友近など脇役陣との絡みは笑える。ユーモアということでは、Ⓒの表記についてのお遊びも前作を踏襲している。

ところで、本作はある人物が豪華客船ダイヤモンド・プリンセスに乗船する場面で終わる。本作の公開は2020年1月31日。3日後の2月3日に横浜港に到着した同船に、その後何が起こったのかについては、今さら言うまでもないだろう。嘘でもハッタリでもない、この本物の偶然を一体誰が予想しえただろう。

なお、その船の映像をバックに、「つづく」…「かも」という字幕が現れ、さらなる続篇の製作が示唆されている。次はどんな「嘘」が見られるだろうか。

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2021/01/12

フリッチャイのベートーヴェン交響曲集

Fricsay_20210111183001フェレンツ・フリッチャイは、1914年ハンガリーのブダペストに生まれ、63年に48歳の若さで亡くなった指揮者である。同じブダペスト出身で夭折した指揮者イシュトヴァン・ケルテスのCDは何枚か持っていて愛聴しているが、フリッチャイについては名前を知っているという程度だった。

最近、ベートーヴェン生誕250年に因んで、フリッチャイのベートーヴェンについて書かれたある記事を読んで興味が湧いたので、彼がベルリン・フィルを振ったベートーヴェンの交響曲集を聴いてみた。

録音順に、第1番(53年1月)、第8番(同4月)、第9番(58年4月)、第3番(同10月)、第7番(60年10月)、第5番(61年9月)で、収録場所は全てベルリン、イエス・キリスト教会。なお第1、8番はモノラル録音である。

フリッチャイの若すぎる死をもたらした白血病の兆候は57年に現れたとされる。58年11月と59年1月に大きな手術を受け、1年近い療養生活を余儀なくされたが、その前後で彼の芸風が大きく変貌したことがしばしば指摘されている。

確かに上記の録音順に聴いていくと、初めの頃はトスカニーニを思わせる、キビキビとして推進力に富んだ颯爽とした演奏ぶりだが、後の年代にいくにつれテンポは次第に遅くなり、メロディをたっぷりを歌わせた恰幅の良い演奏を繰り広げるようになる。

晩年になると演奏テンポが遅くなる傾向は、バーンスタインやチェリビダッケなど他の指揮者にも見られるが、それが弱冠40代の指揮者の芸風に現れているのである。大病の発覚で死期の近いことを悟り、自らの生きた証としての表現を極限まで追求した結果なのであろうか。演奏時間38分余に及ぶ第5番も、こうした事情を知った上で聴くと胸に迫ってくるものがある。

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2021/01/09

『グラン・トリノ』

Grantorino2008年、米。クリント・イーストウッド監督、主演。アマゾンの紹介文。

妻に先立たれ、一人暮らしの頑固な老人ウォルト。人に心を許さず、無礼な若者たちを罵り、自宅の芝生に一歩でも侵入されれば、ライフルを突きつける。そんな彼に、息子たちも寄り付こうとしない。学校にも行かず、仕事もなく、自分の進むべき道が分からない少年タオ。彼には手本となる父親がいない。二人は隣同士だが、挨拶を交わすことすらなかった。ある日、ウォルトが何より大切にしているヴィンテージ・カー<グラン・トリノ>を、タオが盗もうとするまでは――。
ウォルトがタオの謝罪を受け入れたときから、二人の不思議な関係が始まる。ウォルトから与えられる労働で、男としての自信を得るタオ。タオを一人前にする目標に喜びを見出すウォルト。しかし、タオは愚かな争いから、家族と共に命の危険にさらされる。彼の未来を守るため、最後にウォルトがつけた決着とは――?(引用終わり)

クリント・イーストウッド演じる頑固老人ウォルトの姿を見ていて、トランプ大統領の岩盤支持層というのは、恐らくこういう人たちで構成されているのだと思った。朝鮮戦争退役後はフォードの工員を長年勤め上げ、グラン・トリノに代表されるアメリカ車に限りない愛着を持つ。日本車なんてクソくらえだ。

アフリカ系、アジア系の人間への差別意識を隠そうともせず、タオやその姉スーを含むモン族の一家が隣に越してきたことを、当初はあからさまに毛嫌いしていた。しかし、タオが不良グループにけしかけられてウォルトのグラン・トリノを盗もうとしたことから、ウォルトとの不器用な交流が芽生える。

家のメンテナンスを教えるところから始まったそれは、やがて仕事口の世話や、男らしい喋り方、生き方の伝授にまで及ぶようになる。ウォルトの遺産だけが目当てで擦り寄ってくる実の家族よりも、ウォルトにとってタオは実の息子か孫のような存在になっていく。

そして、タオ一家が不良グループに襲撃された復讐として、ウォルトは命をかけた合法的な反撃を企て、それは見事に成功する。そのラストに至るまでの伏線の張り方、緊迫感の高め方は、映画人クリント・イーストウッドの総決算のような趣きがある。これまで観てきた彼の作品中、文句なしのベストと呼びたい。

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2021/01/06

タッチペンを使ってみた

年末の入院中にとても便利なグッズを入手した。スマホ、タブレット用のタッチペンとかスタイラスペンと呼ばれるものである。入院中、家族とはLINEで連絡を取り合うことが多かったが、ベッドで仰向けに寝ながらの文字入力はミスタッチの連続で、とてもストレスが溜まった。8インチのタブレットでもそうなのだから、スマホの小さな画面ではさぞかし苦労することだろう。

そういう悩みを解決すべく、指に代わって確実に正しいキーをタッチしてくれる道具がこれである。調べてみたら百均ショップでも売られていて、意外に使い物になるというレビューがいくつも出て来た。これは試すに如くはないと家内に頼んで買ってもらい、着替え等とともに病室に届けてもらった。

Touchpen

見た目は普通のボールペンで、実際ボールペンとしても使えるが、ペン軸を引っ込めて丸いゴム状の部品でタッチパネルを軽く押す仕組みだ。ミスタッチは激減して文字入力の効率は格段に上がり、ストレスは激減した。ゴム状の部品は消耗品で寿命は長くないようだが、どのみち税込み110円の商品だ。次々と新しい商品が出ているようなので、いろいろと試してみたい。

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2021/01/03

『約束のネバーランド』

Neverland2020年、製作委員会。浜辺美波、北川景子他。公式サイトの紹介文。

幸せに満ち溢れた楽園のような孤児院、「グレイス=フィールドハウス」。そこで暮らす孤児たちは、母親代わりでみんなから“ママ”と呼ばれている、イザベラ(北川景子)のもと、里親に引き取られる年齢になる日を待ちわびていた。エマ(浜辺美波)、レイ(城桧吏)、ノーマン(板垣李光人)の3人も、いつか外の世界で暮らすことで、より幸せな日々がやってくると信じていた。“その日”がくるまでは……。
里親が見つかり、孤児院を笑顔で後にするコニーを見送ったエマとノーマンは、彼女が肌身離さず抱きしめていた人形が、食堂に落ちているのを偶然見つける。忘れ物の人形を届けるため、決して近づいてはいけないと、ママから教わっていた「門」に向かった2人がそこで目にしたのは、無残にも命を奪われ、食料として出荷されるコニーの姿だった。
そう……、みんなが「楽園だと信じていた孤児院」は、実は「鬼に献上する食用児を育てる農園」で、さらには母親のように慕っていたママは、「最上級の食用児を育てる飼育監」だったのだ。全てが偽りだったと気がついた3人は、孤児たち全員を引き連れた、無謀ともいえる脱獄計画をスタートさせる……。(引用終わり)

原作は『週刊少年ジャンプ』連載の同名コミックで、既にTVアニメ化されているが、その「禁断の実写映画化」という触れ込みである。公式サイトを見る限り原作者が映画化に反対していたという記述はなく、何ゆえに「禁断」なのかは不明であるが(笑)。どちらかと言えば若い人向けの作品で、還暦を過ぎたオジサンが観るべきものではなかったかもしれない。

紹介文からも分かるように、一見するとカズオ・イシグロ原作の『わたしを離さないで』に似たストーリーであるけれど、イシグロ作品が医療の進歩と臓器移植といった重い問題提起を含んでいるのに対して、「外」の世界を支配する鬼に食べられるという本作の設定は、ファンタジックとも荒唐無稽とも言え、コミックの世界ならではなのかもしれない。

北川景子の悪役は『探偵はBARにいる3』以来か。美女であればあるほど悪役は冴えるという見本みたいな演技はさすがだった。これに対し、主役エマを演じた浜辺美波は、明るく健気という単純なキャラ設定にとどまり、内面の迷いや懊悩などがほとんど窺えないのは残念だ。その他、公式サイトでは伏せられているサプライズ・キャスト(?)が終盤に登場し、ちょっと驚いた。

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2020/12/31

2020年回顧

Fricsay急な手術と入院のせいでバタバタの年末になったが、大晦日には落ち着いて恒例の第九を聴くことが出来た。今年のチョイスは、フェレンツ・フリッチャイ指揮ベルリン・フィル他による1958年の録音。ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ唯一の「第九」正規盤としても有名な録音である。現代風のキビキビとした演奏とは対照的な、恰幅のある堂々たる音楽づくりがかえって新鮮だった。

さて、これまた恒例の今年の回顧。

 1月 電源雑音軽減器を購入
 2月 高尾山&かしわら水仙郷ハイキング
     8か月ぶりに走る
 3月 下街道を歩く(~4月)(大和郡山-五條)
 4月 中街道(高野街道)を歩く
 5月 D病院に転院(帰院)
     御所街道を歩く
 9月 札幌・小樽へ旅行
      旧千歳線廃線サイクリング
      札幌交響楽団定期演奏会
11月 日光・中禅寺湖へ旅行
12月 ラン仲間とWeb忘年会
     緊急手術&入院

皆様、どうぞ良いお年を!

月間走行   8キロ
年間走行 195キロ

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