2018/06/18

特別展「広重-雨、雪、夜」

Hiroshige美術ネタなど初めてかもしれない(笑)。明日香村の奈良県立万葉文化館で現在開催されている標記展覧会を観に行って来た。この施設は飛鳥周遊マラニックなどの機会に何度か訪れているが、いつも外の売店で買い食いするだけで、中に入ったのは実は今回が初めてである。入場料を取る施設には基本的に入らないという一貫したポリシーゆえである。(笑)

しかし、先月奈良県文化会館のコンサートに行った際、配られたチラシの中にこの展覧会の案内が入っていた。街道ファン、広重ファンの自分としては見逃すわけにはいかないので、わざわざ入場料を払って入ることにしたのだ。

昨年から全国各地を回って行われている展覧会のひとつで、「東海道五拾三次」を中心に、実に150点もの広重の風景版画を展示している。東海道街道走りと並行して、近所の図書館所蔵の複製画を鑑賞してきたが、やはり本物は微細な線まで生々しく、大変迫力がある。

また、あまり詳しく知らなかったが、広重の東海道は保永堂版と呼ばれる有名なセット以外にも、行書版、隷書版、狂歌入など、実に20種類以上にも及ぶそうだ。今回はその一部も展示してあり、保永堂版とはまた違った趣の絵を楽しむことが出来た。入場料800円は十分に値打ちがあった。

ところで、この展覧会の版画は亀山市のかめやま美術館所蔵のものである。前々回と前回の街道走りでは、亀山を終点、起点にしていた。広重のコレクションを有する同美術館の存在は知っていたが、交通不便な場所にあるため断念していたのだけれど、仮に実際に訪問していたとしても、この展覧会のため貸出し中で観られなかった可能性が大きい。それが地元の施設で、しかもたまたま配られたチラシで知って観られたのだから、今回は本当にラッキーだった。

6月17日 LSD20キロ

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2018/06/15

『あやしい彼女』

Ayakano2016年、「あやカノ」製作委員会。松竹配給。多部未華子主演。allcinema の紹介文。

73歳の瀬山カツ(倍賞美津子)はワガママで無神経な毒舌おばあちゃん。地元商店街ではいつもトラブルの元凶となる鼻つまみ者。女手一つで育て上げた娘の幸恵(小林聡美)とバンド活動をしている孫・翼(北村匠海)の自慢話に周囲は辟易。そんなカツの唯一の理解者が、昔なじみの中田次郎(志賀廣太郎)。彼女を一途に慕い、どんな時でも味方になってくれていた。
ある日、幸恵と喧嘩して家を飛び出したカツは、見知らぬ写真館にふらりと足を踏み入れる。やがてふと気づくと、いつの間にか20歳の時の自分(多部未華子)に若返っていたのだった。そしてひょんな成り行きから、大鳥節子と名乗り、次郎の家に居候することに。やがて、のど自慢大会がきっかけで翼のバンドにスカウトされたカツ。かわいい孫のためとひた肌脱ぐことに。一方、音楽プロデューサーの小林拓人(要潤)も同じようにカツの歌声に魅了され、その行方を捜していたのだが…。(引用終わり)

2014年の韓国映画『怪しい彼女』のリメイク。中国版、ベトナム版もあるそうだが、そうと知らずに見れば、純然たる邦画として全く違和感はない。突然若返るというベタな設定ながら、単なるファンタジーコメディにとどまらない。苦労続きだった主人公の人生を振り返りつつ、もう一度青春時代をやり直せたらという、ヒューマンドラマとしての厚みをもっている。

何と言っても、多部未華子の可憐さが本作最大の魅力だが、そのキュートな外観と、言葉遣いなどに現れる73歳の老女の中身とのギャップがとてもコミカルである。「大鳥節子」の人物造形は、その名前からして『ローマの休日』のオードリー・ヘップバーンへのオマージュで、他にも「真実の口」を模した福引の抽選箱に手を突っ込むシーンなどが登場する。ラストも「やはりそう来たか」という納得のオチだ。(笑)

冒頭の輸血シーンの意味が最後に明らかとなり、清々しい結末へと繋がっていく。ほろ苦いラブロマンスや、母娘間のわだかまりとその解消なども織り交ぜ、多部未華子が吹き替えなしで歌うナツメロとも相俟って、老若男女が楽しめる一級の娯楽作品に仕上がっている。

ところで、ふと多部未華子の顔はどこかで見た気がすると思ったら…

6月13、15日 ジョグ10キロ

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2018/06/12

断捨離、第1弾!

ちょっと前に流行語になった「断捨離」なるものの第1弾を実行に移したのだ。還暦を前にして、そろそろ身の回りを整理し始めても良い時期に来ている。死に支度に着手した、と言っても良いかもしれない。

きっかけは、20年以上取り組んできたあるボランティア活動から、今年の春に引退したことだ。使用していた機材や書物、書類など、結構な量のモノが部屋を占領していたが、3カ月経過してもう処分しても問題ないと判断した。

空いたスペースに他のモノを移し替えるなどした結果、3段のカラーボックスを2個廃棄できることになった。部屋はリスニングルームを兼ねているが、スピーカーの前のスペースが広がるようセットし直した結果、聴感上ややライヴ(反響音が大きい)に変化し、高音の「抜け」が良くなったように感じられる。

思わぬ副次的効果もあって、第1弾としてはまずまず成功したと思っている。また何かきっかけがあれば、第2弾、第3弾と実行していきたい。

6月11日 ジョグ10キロ

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2018/06/09

『怒りの葡萄』

Grapes1940年、米。ジョン・スタインベックの同名小説の映画化。ジョン・フォード監督。ヘンリー・フォンダ主演。allcinema の紹介文。

殺人容疑で入獄していた主人公トム・ジョードは仮釈放で4年ぶりに故郷オクラホマの農場に戻るが、小作人として働いていた一家は既に凶作の土地を逃れさったあとだった。叔父の家で家族と再会した彼は、みなで遥かカリフォルニアに行き、職を求める。そして、桃もぎで雇われた農場で賃金カットに反対したストが起き、首謀者ケイシーを殺した男をトムは殴り殺してしまう。一家で国営キャンプに潜んだが、彼を追う保安官が姿を現わし、トムはまた一人逃亡の旅に出る……。再会を信じ、彼を送り出す母の逞しい言葉で映画は締めくくられ、やるせない余韻を残す。(引用終わり)

世界で最も豊かな経済大国アメリカにも、こんな悲惨な時代があったのかとまず驚く。家財道具一式を積んだオンボロトラックで遥かカリフォルニアを目指す一家の姿は、現在のシリアやロヒンギャなどの難民と重なって映る。

しかも、「乳と蜜の天地」のはずだったカリフォルニアに着いてみたら、難民キャンプのような所しか行き場所がなく、一家は道中で聞かされた過酷な現実を目の当たりにすることになる。そのシーンでは音声はほとんどなく、キャンプの人々の茫然とした表情を次々に映すだけだが、それがどんな言葉にも勝る説得力をもって迫ってくる。

ちなみに、「乳と蜜…」という言葉は、聖書の「出エジプト記」を踏まえたものである。そもそもタイトルの「怒りの葡萄」からして、ヨハネ黙示録の「神の怒りで踏み潰される人間」から来ており、スタインベック文学の背景には聖書やキリスト教信仰があると言われる。

資本家による土地収奪や搾取、それに対する労働者の抵抗やストライキなど、社会主義の側に立った映画と捉えられかねない内容で、当時のハリウッドでは相当な勇気が必要だったと思うが、本作は単なるイデオロギー映画ではなく、逆境を生き抜く民衆の逞しさや家族の絆といった、普遍的な価値を謳い上げている点に価値があるだろう。

主人公トムが「俺は闇のどこにでもいる。母さんの見える所にいる」などと語って母親との別れを告げるシーンが有名だが、それよりもラストの場面で、元の家に戻りたいと嘆く父親を励ます母親のセリフが素晴らしい。さしずめ、アメリカ版「肝っ玉母さん」と言ったところか。

女は男より変わり身が早い/男は不器用でいちいち止まる/ところが女は流れる川でね/渦や滝があっても止まらずに流れる/それで強くなる

金持ちはダメ/子供が弱いと死に絶える/でも私たち民衆は違う/死なない/しぶとく生きていく/永遠に生きるのよ/民衆だから

他にも要所要所でキーパーソンとなるこの母親役を演じたジェーン・ダーウェルは、ノミネートどまりだった主演男優ヘンリー・フォンダを差し置いて(笑)、アカデミー賞助演女優賞を獲得している。巨匠ジョン・フォードが同監督賞を受賞したのは言うまでもない。

6月7、9日 ジョグ10キロ

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2018/06/06

カラヤン最高の名録音

Swanlake_3音楽ネタをもうひとつ。先日、フォノカートリッジを買い替えて試聴した際、カラヤンがベルリンフィルを指揮した、チャイコフスキーのバレエ組曲「白鳥の湖」を聴いた。LPとCD、同じ音源のディスクで比較してみたというわけなのだが、改めてこの録音の凄さに気づかされた。

中でも1曲目の「情景」は、これまで自分が聴いたカラヤンの録音の中で、最も素晴らしいというか、最もカラヤンらしい名録音だと思う。オペラの序曲や間奏曲など、小品でも全く手を抜かないどころか、小品になるとその芸が一層冴える、カラヤンの面目躍如といったところだろう。

「バレエ」というと必ず登場する、あまりにも有名なメロディで始まる、僅か3分ほどの短い曲。「何をいまさら。こんなの誰が振っても同じ」と、並みの指揮者なら思いかねないところ、カラヤンは違う。最初から最後まで気迫に満ちた真剣勝負を繰り広げるのだ。

まず、「つかみ」が見事だ。ヴァイオリンとヴィオラのトレモロ、それにハープのアルペジオ。冒頭わずか1小節だけで室温が4、5度下がり、霧の立ち籠める北国の湖の風景が現れる。そこに浮かび上がるように、オーボエソロが白鳥のテーマを切々と奏でる。5、6小節目のハープの細かい音型は湖面を吹き渡る冷たい風のようだ。

ところで、このオーボエソロはローター・コッホの演奏だとずっと思い込んでいたが、ネットで調べてみるとカール・シュタインスとする記事があり、その可能性もありそうだ。いずれも名人というにふさわしい奏者であることは間違いない。特に、10小節目アウフタクトからの後半では、クレシェンド、デクレシェンドに応じて微妙にテンポを揺らし、緊迫感をさらに強めている。

19小節目からはトゥッティ(総奏)でテーマを繰り返す。前半は荘厳なホルンの響きが、鬱蒼とした北国の森林風景を思わせる。後半は木管の3連符に乗って、ヴァイオリンとヴィオラが情熱的に、うねるような節回しで歌い、聴く者の心を鷲掴みにする。一歩間違えると低俗趣味に陥りかねない、そのギリギリ手前で踏みとどまるのがカラヤンの「芸」である。

テーマの終わりから3連符による経過的な部分に入り、次第に高潮していく。ff の42小節からの金管楽器群の掛け合い(特に3連符!)は、まるでブルックナーの交響曲のような迫力である。52小節目以降、fff  で白鳥のテーマが再現されクライマックスを迎えるが、その轟然たる音響は聴く者を圧倒する。60小節目で再び冒頭の霧の湖畔の風景に戻り、余韻を残して曲は終わる。

一篇の壮大な音楽ドラマを聴き終えたような感覚になり、これ1曲でお腹いっぱいになるのだが、演奏時間は僅か2分43秒でしかない。自分はこの演奏を聴くたびに、「邯鄲の夢」という中国の故事を思い出すのである。

6月5日 ジョグ10キロ

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2018/06/03

1台のラジオキットから

フォノカートリッジの話題が出たついでに、オーディオに興味を持ったきっかけと、その後のことについて書いてみたい。

タイトルのとおり、それは1台のトランジスタラジオキットから始まった。キットというのは、必要な部品が全てセットされていて、説明書に従って組み立てれば完成するというものだ。小学校高学年のとき、電気工事店の跡取り息子である従兄からプレゼントされたものだ。従弟の私にも電気に興味を持たせようとしたのかもしれない。

それまでプラモデルには親しんでいたけれど、ちゃんと音が出るラジオを自分で組み立てた感激は比較にならないほどで、中学時代には電子工作に熱中するようになった。「子供の科学」という雑誌に掲載された様々なガジェットを拵えた。当時は大阪市内に住んでいて、週末はほぼ日本橋の電気街で過ごす少年だったのだ。(笑)

それがさらにエスカレートして、アンプやスピーカーなどの自作に取り組むようになる。ラックスやケンクラフトなどのアンプキット、オール自作の真空管アンプ、16センチフルレンジを自作ボックスに納めたスピーカーなど、小遣いはほとんど全てオーディオに費やした。

さらに、オーディオと並行して、音楽の方にものめり込んでいく。折角ステレオを自作したのだから、本格的な音楽を聴かないともったいないと、ワケも分からないくせにクラシックのレコードを買い始めた。最初はオーケストラの迫力ある音に満足するだけだったのが、繰り返し聴くうち音楽そのものに心奪われるようになっていく。

オーケストラの編成とか各楽器の音にも興味が湧いて、ポケット版のスコアを買ったりしていたが、そのうち何を思ったか自分でも演奏してみたくなった。とりあえず簡単に音が出そうで、楽器も比較的安価なクラリネットを買ってもらい、教則本を見ながら自己流で練習を始めた。

中学、高校時代は弱小ブラスバンドの一員として活動するだけだったが、高校時代に聴いた某大学オーケストラのブラームスに衝撃を受け、何が何でもこのオケに入るんだという一念で受験勉強に励んだ結果、無事合格したことはだいぶ以前にも書いた。

今から思えば、プレゼントした従兄本人は全く意図しなかっただろうが、1台のトランジスタラジオキットが、その後の私の人生を大きく変えたのだ。他にもそういう人物が2人いるのだが、いずれも本人は全く与り知らないはずだ。

6月1日 LSD40キロ
6月3日 ジョグ10キロ

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2018/05/31

フォノカートリッジを買い替え

アナログレコードプレーヤーのフォノカートリッジを買い替えた。最近でこそ見直されつつあるものの、アナログレコードがCDに主役の座を譲ってから30年近くは経つだろう。自分自身、そう多くはないLPレコードのコレクションを再生する機会は最近ほとんどなくなった。

それでも、ちょっと前にLPでしか持っていない曲を聴きたくなって針を落としたら(このフレーズ、懐かしい・笑)、中心に近い内周部で音がビリつく現象が出た。もう何年使ったか分からないオルトフォンのMCカートリッジの針先がさすがに摩耗していたようだ。

ちょっと専門的になるがMC、つまりムービング・コイル式のカートリッジは、音質が良い反面、針先だけの交換が不可能で、カートリッジ全体を取り替える必要がある。しかし、オルトフォンMC20という機種はもう生産中止になっていて、対応する現行機種はかなり高価だ。

そこで思い切って買い替えることにして、ネット等でいろいろとリサーチしてみたところ、オーディオテクニカのAT-F7という機種が、リーズナブルな価格の割に評価が高いことが分かった。驚いたことに、2010年になって発売された商品ということである。写真は出荷時のダミーシェルについたまま、上下逆の状態である。

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ヘッドシェルへの取り付けやリード線の結線など、デリケートな割に意外に力の要る作業は、手元が見づらくなった身には大変だったが、昔取ったなんとやらで何とか完了。オーバーハングや針圧、インサイドフォースキャンセラーの調整(この辺りの用語は昭和のオーディオマニアしか分からない・苦笑)も済ませた。

再生音はfレンジ、Dレンジともよく伸びて、定位感にも優れている。目の前で演奏しているかのような臨場感、音場感に関してはCDを凌駕するほどだ。これで今後も引き続きアナログレコードを楽しむことが出来そうだ。

5月30日 ジョグ10キロ
月間走行 173キロ

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2018/05/28

関西弦楽四重奏団コンサート

久々にコンサートに出かけた。といっても、NHK-FM「ベストオブクラシック」公開収録として行われた演奏会の観覧希望者に当選したものであり、早い話がロハというわけだ。(笑)

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会場は奈良県文化会館国際ホール。開館50周年記念ということで県も主催者に名を連ね、開演前には荒井知事の挨拶も行われた。出演は関西弦楽四重奏団。全員東京藝大出身で、関西で活躍する若手実力者たちである。

曲目はシュルホフ「5つの小品」、ラヴェルの弦楽四重奏曲ヘ長調、休憩後にベートーヴェンのラズモフスキー第3番ハ長調と、時代を遡っていく構成である。

シュルホフはプラハ出身の作曲家で20世紀初頭に数多くの作品を発表したが、ナチスドイツによって「退廃音楽」の烙印を押され、最後は強制収容所で死去。長く顧みられることがなかったが、最近になって見直しの機運が生じている。「5つの小品」はワルツやタンゴなど様々な民族舞曲をモチーフにした諧謔性に富む作品。もちろん初めて聴いたが、刺激的な不協和音がなぜか快感をもたらす不思議な作品だ。

このあと第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリン、2人の女性奏者がパートを交替した。このように曲によってパートを交代するのは、アメリカのエマーソン弦楽四重奏団などでも例があるが、楽曲の性格などに応じて柔軟に対応していくのが狙いだろうか。

続くラヴェルはこの日の出色。緩急や強弱、音色を、まるで万華鏡のように絶えず変化させつつ、まさにひとつの楽器のように4人が一体となった音楽が繰り広げられる。どちらかと言えば明るめの音色を持つ、このカルテットの特質も、曲調とよく合致していた。

休憩後のベートーヴェンもなかなかの力演だったが、急速なパッセージでの細かい音符がやや不鮮明に聴こえたのが残念だった。これは1300人収容の大ホールということも関係しているかもしれない。ラヴェルでは気にならなかったけれど、ベートーヴェンに関しては出来ればもう少しデッドな小ホールで聴きたかったところだ。

なお、アンコールとして、チェロ奏者の義父と紹介されたように記憶するが、福富秀夫という人が作曲した「関西ラプソディ」が演奏された。関西各地で親しまれる歌(最後の「琵琶湖周航の歌」しか分からなかったが)をモチーフにした小品である。

さて、会場を出て大宮通りを渡った登大路園地では、オクトーバーフェストが開催されていた。5月なのにオクトーバーとはこれいかにと思いながら立ち寄ってみたが、ビール300ccが何と千円というお値段だった。ノルウェーじゃあるまいし、いつも飲んでいる金麦が10本飲めるではないかと憤慨して、年金生活者はそそくさと会場を後にしたのだった。(笑)

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5月26、28日 ジョグ10キロ

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2018/05/25

鍛冶屋線廃線ラン

昨年走った高砂線と同じく、加古川線の支線であった鍛冶屋線(野村(現西脇市)-鍛冶屋間、13.2キロ)の廃線跡を走った。「支線」と書いたが、沿革からすればむしろ鍛冶屋線の方が本線というべきかもしれない。

Kajiya

旧播州鉄道が大正2年に開通させた加古川-西脇間が、現在の加古川線の前身に当たり、大正12年には西脇から鍛冶屋まで延伸している。しかし、播州鉄道から事業継承した播丹鉄道が、その翌年に野村から谷川まで延伸して福知山線と接続、現在の加古川線が全通したため、野村-鍛冶屋間の方が支線となってしまった。

鍛冶屋線は地場産業である原糸、木材、酒米などの輸送を担ってきたが、戦後のモータリゼーションの進展により輸送需要が低迷。沿線では「カナソ・ハイニノ国」(鍛冶屋から順に駅名の頭文字を繋げたもの)の独立宣言を発するなど利用促進を図ったが、平成2年3月末をもって廃止となったものである。

快晴に恵まれた22日午後、野村(現西脇市)駅前からスタート。加古川線との分岐点となっていた駅であるが、現駅名にもかかわらず西脇市街中心部から離れており、駅舎も比較的小さい。ちなみに駅伝の名門、西脇工業高校はここからすぐ近くである。

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野村駅を出ると間もなく、加古川線(右)と分岐する。直進する鍛冶屋線の方が本来の路線であったことがハッキリ分かる。

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踏切跡には線路の痕跡が今も残る。

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間もなく、西脇駅に到着。駅跡にはアピカという商業ビルやホテルが建っている。ここから先は道路転用され、鉄道の痕跡は全くないが、西脇市と姉妹都市関係にある米国レントン市にちなんで「レントン通り」と称されている。

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加古川の支流、杉原川に沿ってしばらく行くと、市原駅の跡が記念館として整備され、キハ30形気動車2両が展示されている。管理人室に中年男性が2人いたが、案内してくれるでもなく、どこかのラーメン屋の評判話をしていた。

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館内には当時使用されていた鉄道用品が多数展示されている。

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これはタブレット閉塞機といい、単線の行き違いの際に使うタブレットを管理する装置だ。

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この先で道路転用部分は一旦終わり、廃線跡を利用した遊歩道が田んぼの中をまっすぐ伸びている。一部に線路や枕木を模した舗装がなされている。

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途中、文化財発掘工事が行われていて、回り道を余儀なくされた。大正年間の鉄道敷設時はともかく、平成に入った廃線時にも見つからず、今頃になって掘り返すとはちょっと妙な話だが。

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羽安(はやす)駅跡にはおそらく当時のままの駅舎が残る。羽安という駅名は、この付近の羽山と安田の両集落がともに駅名にするよう主張して折り合わず、仕方なく両方から一文字ずつ取ったという。

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この先で再び道路転用部分に入る。西脇市から多可町に入ってすぐ、曽我井という駅があったはずだが、その痕跡は残っていなかった。ただ、付近の歩道の柵には電車のイラストが入っている。鍛冶屋線は非電化だったが。(苦笑)

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さらに進むと、中村町(なかむらまち)駅の跡が「あかね坂公園」として整備されている。この付近は町役場やベルディホールなどもある、多可町の中心部だ。

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この先で再び遊歩道になり、多可赤十字病院手前で杉原川を渡る。鍛冶屋線最大の橋梁である。

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終点の鍛冶屋駅手前には信号用器具箱が残されている。

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鍛冶屋駅舎は鍛冶屋線記念館になっているが、施錠されていて中に入ることは出来なかった。覗いてみたけれど、展示物はあまりないようだった。

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裏にはホームが残され、キハ30形気動車1両が保存されている。

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鍛冶屋線は廃止されたのが平成2年と比較的最近で、廃線跡がよく残っている方ではないかと思う。西脇から鍛冶屋までの延伸に当たっては、地元の人々が用地や資金を提供したという経緯があるようで、そうした事情も反映しているのだろう。

5月24日 ジョグ10キロ

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2018/05/22

『フェリーニのアマルコルド』

Amarcord1974年、伊仏。WOWOWの紹介文。

1930年代のある年の春、イタリア北部の港町リミニ。チッタ少年は友人たちといたずらに明け暮れる毎日だが、思春期の自分にとって興味津々な大人の美女グラディスカを追い回すものの、彼女はチッタのことを子ども扱いする。それからの1年間、チッタの父親がファシズムに反対したせいで拷問を受けたり、母親が亡くなったり、グラディスカが町一番のハンサムである軍人と結婚したりといった出来事が次々とチッタの周囲で起きる。(引用終わり)

フェリーニの映画は何本か観たものの、『道』以外は難解というか、自分にはさっぱり分からない作品ばかりだったが、本作は比較的平易な内容である。というより、全体的なストーリーは存在せず、1年間の色々な出来ごとを寄せ集めただけの特異な構成である。

しかし、美しい映像表現とあわせて、個々の出来ごとの描き方がとても巧く、「ああ、確かにこういうことってあるな」と思わせる。それらを連続して観ることによって、観客は登場人物たちと同じように1年を過ごした感覚に陥る。

精神病院に入院している叔父を連れ出したものの、目を離した隙に彼が高い木に登ってしまい、「女が欲しい!」と叫び続けるシーンが有名だが、記録的な大雪で町中にうず高く積った雪の塊りの周りで、チッタとグラディスカがすれ違うシーンも大変印象的だった。

5月20日 ジョグ10キロ
5月22日 ジョグ13キロ

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